02 夢のなかでさえも逢わせてくれないなんて、神様はひどい

朧げなその時間はここ数日毎日のようにやってくるが、彼は決してそこから出ようとせずただ同じことを繰り返す。そしてオレは眠ったふりをしながら、僅かな期待を込めてかなわない夢を見るのだ。

 

彼は集中すると周りが見えなくなるらしく、一度パソコンに向かってしまうと電話が鳴ろうが話しかけようがおそらく気付かないだろう。おそらく、というのは、今まで実際にその状況に陥ったことがないからだ。彼が仕事に向かうと、オレは邪魔をされないように電話の線を抜くし、扉を閉めて鍵もかける。外の音には細心の注意を払っているし、それ以前に他の隊員達にはこの部屋に近づかないよう厳重に言い含めてある。全ては心地よい夢を見るために。

 

夢の中にオレはいない。彼ひとりだけだ。

彼はまず時計を見、ブラインド越しにもう日が昇りきった空を見、そしてこのソファーを確認する。その瞬間オレはソファーに微かに存在し、そして彼はオレに手を伸ばす。が、決してその手は届かない。オレは存在しない。

それなのに今日もまた寝たふりを続けるのは、もしかしたら今日こそは彼が触れてくれると期待しているからなのだろうか。この夢の中で、彼に出会えることを。

 

しかし今日もまた彼はオレに触れることはなく、痺れを切らしたオレが目を覚ますことでこの夢は覚める。ごしごしと目を擦ると、どこからか視線を感じ顔をあげるが、彼はじっと机の上の書類を見ていた。気のせいだろうか。こころの奥からじわじわとむず痒い感情が込み上げてきて、いてもたってもいられなくなる。

「あの、」

「なに?」

思わず話しかけたが、彼の視線は動かない。やはり彼がオレに触れようとしているなんて嘘で、あの時間は本当にオレが見た夢なのではないかという気さえしてきた。

声をかけたままじっと黙りこんだオレを不審に思ったのか、彼が顔をあげる。視線が合ったことが何故か気恥ずかしくて、視線が泳いだ。

「あー…、いや、なんでもないです」

「…そう」

彼は即座に書類に目を落としてしまい、オレは静かに肩を落とした。悔しいような、悲しいような複雑な感情が、ゆるやかにこみ上げる。だからつい見返してやろう、みたいな、彼が驚いた顔が見たくなって。普段なら絶対にしないようなことを思いついてしまったのはきっと、この心の底に溜まっている感情が、一定のラインを越えてあふれてしまったからだろうか。

オレは躊躇なく足音をたてて彼に近づいて、机越しの彼のなめらかな頬に手を触れた。

「え、」

「動かないで」

彼はとても驚いた顔をしていて、オレは無意識に微笑む。彼の頬は冷たくて、ひやりと心地良い。が、気分が良かったのも束の間、オレは自分がしてしまった非日常的な行為に気付き、慌ててその手を離した。彼に触れたかった。もう随分前から心の奥に隠してきたこの気持ちを、こんな些細なことで暴いてしまうなんて。

「睫毛、ついてました」

咄嗟についた見え見えの嘘に、彼が気付いたかどうかはわからない。心臓がばくばくいって、今にも破裂してしまいそうだった。赤くなった顔を隠すように踵を返し、扉を開く。

「じゃあ、また夕方」

彼が何か言っていたような気がしたが、心臓の音がうるさすぎてなにも聞こえなかった。

 

明日からどうしようか、と考える。一度彼に触れてしまったこの手はきっと、彼を見るたびにまた触れたくて触れたくてひどく疼くのだろう。それでもまだ寝たふりを続けようと思ってしまうのは。やはり心のどこかで彼も、オレに触れたいと思っていてくれればいいと、そう思えるのならば多分。この夢は覚めない。