02 vary

「聞いたぞキラ、最近シンとよく遊んでるんだってな!」

軍本部の廊下を一人歩いていると、突然ぽんと肩を叩かれ、振り向いた先にいたカガリは満面の笑みで言った。突然の登場と、その会話の内容に驚きながらも僕は軽く苦笑を返す。

「いや、遊んでるっていうか…」

ほぼ強引に連れ回されているだけというか。

先日のゲームセンター事件を皮切りに、シンは仕事が終わる終わらないに関わらずとにかく強引に僕を連れまわしていた。もちろん嫌なら嫌とはっきり断らなかった僕が悪いのだが、しかし断る理由を考えているうちにいつの間にか目的地に辿り着いているのである。僕がぼんやりと考え事をしている隙に、彼が上手に事を運んでしまっているのだ。彼のほうが年下なのに、なんだか良いように扱われていて悔しい。支払いはもちろん僕だし。なんかもう意味がわからない。

はあ、と溜息を吐くと、カガリが笑った。笑い事ではない。

軍内の廊下は人通りが多く、行き交う人々が不思議そうに僕等のことを眺めていた。何せ一国の代表が、こんなところで暢気に立ち話をしているのだから。しかしカガリはそんな視線を全く気にしていないようで、未だ楽しそうに笑っていた。まるで彼みたいだな、と思った。カガリとシンの、良い意味での強引さは、どこか似ているかもしれない。

「あいつがキラの隊に入るって聞いたときはどうなるかと思ったんだがな。でも上手くやってるみたいで良かったよ」

「上手く、やれてるのかな…」

ははは、と乾いた笑いを零すと、カガリは爆笑しながらばしばしと僕の背中を叩いた。

「何言ってんだ。そうだ!景気付けにぱーっと飲み会でもしないか?…実は、お前を紹介してくれって女が沢山いてなー」

「はぁ!?なにそれ、そんな話急に言われても…」

「だーいじょうぶだって。可愛い子いっぱいいるし。選び放題」

「だから、そういう問題じゃなくて…」

「膳は急げって言うし、じゃあ今日の夜な」

「ちょ、待ってカガリ、」

「じゃ、またなー」

耀くような笑顔を湛えたまま、カガリはひららひと手を振っていなくなってしまった。どこか似ているなんてもんじゃない、カガリとシンはそっくりだ。こうなってしまっては、断ることなど出来ないのだろう。

僕は今日何回目かもわからない溜息を吐いて、軍内にある自室に向かった。


扉を潜り室内を窺う。カガリの所為でここに来るのが随分と遅くなってしまった。時間に正確な彼はもうとっくにやってきているのだろうと思ったが、しかしそこにシンの姿はない。

「…あれ?」

ちらりと腕の時計を見た。やはり時間は押している。僕の遅刻も珍しいが、偶然が重なり彼も遅刻ということなのだろう。僕はソファーに腰を下ろし、一息ついた。


「…おはよーございます」

それから五分もたたないうちにシンはやってきた。僕は目線を書類から彼の方に移し、驚いた。いつもはたとえどんな相手を前にしても偉そうに見下すような視線を送っているあのシンが、今日はどんよりと項垂れながら溜息まで吐いている。明らかに尋常ではない彼の姿に、僕は驚きのあまりソファーから立ち上がる。がたん、と大きな音が鳴ったが、しかしシンはいつものように笑うわけでも怒鳴るわけでもなく、ちらりと視線をこちらに寄越し、はあ、と溜息を吐いてまた俯いてソファーに座った。僕は思わず後退る。

「ど、どうかしたの…?」

声をかけると彼はちらりと顔をあげ、じっと僕の顔を見た。僕か?僕の所為か?しかし彼はまた溜息を吐いてから「なんでもないです」とだけ言った。消え入りそうな声だ。

「えっと、あの…あ、こ、紅茶いれるね、」

この部屋に入ってきて、紅茶を入れるのが彼の日課だ。しかし今のシンはそれすらも忘れてしまったようで、ソファーから動こうとはしない。僕は言って立ち上がると、急いで給湯室に向かった。


「あの、どうぞ…」

彼のいれる紅茶とは違いおいしくないかもしれない。しかしシンは何も言わずにそれを飲み、そして何も言わずにただ溜息を吐いた。どうすれば良いのだ。

「隊長、」

「は、はい!」

小さな小さな呼びかけに、僕はとても大きな返事を返してしまった。驚きのあまり少しだけソファーから腰が浮いた。しかし彼は特に不快に思った様子はなく、何事もなかったかのように話を続ける。

「今日はこれから、どこか行かれるんですか」

「え?えっと、今日はちょっと用事があって…」

勢いに負けて流されてしまったとはいえ、約束は約束だ。僕はとりあえず頷いた。

しかしシンは何も言わない。

「あの、カガリとの約束があって…あの…アスカくん?」

大丈夫?という意味を込めて名前を呼ぶ。彼は先刻よりも更に激しく項垂れており、表情は窺えない。もしかしたら寝たんじゃないのか、と思い始めた頃、ぽつりと小さな声が聞こえた。

「…今晩、一緒にゲーセン行きません?」

「いや、だから今晩は用事が…」

「今日はちゃんと自分の金使いますから、」

「そういうわけじゃなくて、」

「じゃあ、今晩アスランさんが帰ってくるらしいので迎えに行きませんか?」

「アスランは当分帰ってくる予定はないって言ってたし、仮に帰ってきてたとしても僕がアスランを迎えに行くなんてありえないよ」

「この前借りたゲーム返すので、また隊長の家に遊びに行きたいんですけど」

「それ、別に今晩じゃなくてもいいんじゃぁ…」

「…どうしても、駄目ですか?」

「カガリとの、約束だから…ごめん」

珍しい、と僕は思った。彼が強引にではなくちゃんと僕の都合を聞いている。誘い方はいつにも増して滅茶苦茶だけど、この調子でいけばきっといつもとは違い、ちゃんと断ることが出来そうだ。

しかし。

どう考えてもおかしい。いつもの彼だって人としては十分におかしかったが、しかし今日の彼は違う。なんというか、常識人っぽい。多少項垂れはしているが、きちんと挨拶はしていたし、ちゃんと僕の予定を聞いて、しかもそれを受け入れてくれたのだ。

「…アスカくん、本当に大丈夫?」

僕はそっと立ち上がると、彼の額に手のひらを添えた。黒い髪の毛は、予想通りふわふわとしていて心地よい。どうやら熱は無いようだ。

「な、な…」

「熱はないみたいだけど…もしかして、お腹いたいとか?」

首を傾げて尋ねる。しかしシンは驚いたように口をぱくぱくとさせたまま、ぶんぶんと首を振った。熱もないし腹痛でもないのなら、病気の線は薄いだろう。絶対におなかいたいからだと思ったのになあ、と彼の顔を見ていたら、みるみると赤くなっていく。

「アスカくん、顔真っ赤だけど…ほんとに大丈夫?」

「だ、大丈夫です、」

「でも…。熱が上がってきたんじゃない?あたま痛いとか寒いとかない?」

もう一度手のひらを彼の額に添える。温かい。熱があるかどうかはわからなかったが、しかし彼の顔はみるみる赤く染まっていく。余程熱が高いらしい。

「あ、あの…オレ…今日は早退します!」

ばん、と立ち上がると、シンは颯爽と走り去って行ってしまった。

「まってアスカくん、」

急いで扉の外に出るが、どれほどの速さで走ったのか、もう廊下の奥に彼の姿は見えない。

「今日は医務室に誰もいないって教えようと思ったのに…でも、あれだけ熱が高かったらちゃんとした病院に行くかな」

自室に戻り、ソファーに腰を下ろす。シンが来る前まではずっと一人だったというのに、今ではなんだか一人でいることの方が慣れない。

自分でいれた美味しくない紅茶を飲みながら、僕は大して急ぎでもない書類に目を通した。



次の日の朝、来ない来ないと思っていたはずのシンの姿がそこにあり、僕は思わず足を止めた。シンは僕の姿に気付くといつものように紅茶をいれ、テーブルに載せる。

シンは何も言わない。僕はソファーに腰を下ろした。

「…あの、風邪はもう良いの?」

そう尋ねるとシンはぎくりと肩を揺らし、こちらを見ずに「はい」とだけ言った。

シンは昨日ほど項垂れているわけではないが、しかしいつもとは違い何も喋ろうとはしなかった。そして、僕の方を見ることはなくただぼんやりとテーブルの端を眺めている。

「あ、そうだ…」

僕はポケットに手を入れて、中からふわふわとした黄色い小鳥のぬいぐるみのついたキーホルダーを取り出した。卵大程のそれは、小さな鈴がついており揺れるたびにちりりと音を立てる。シンがその音を聞き不思議そうに顔を上げた。

「あの、これ、昨日ゲーセンでとったんだ。お見舞いにアスカくんにあげようと思って…」

「…ゲーセンで?」

「昨日の帰りに偶然寄ったら可愛くって思わず…ほら、このふわふわした毛のとこがアスカくんの髪に似てるでしょ?でも難しくって、取るのに4時間くらいかかって…結局は見かねた店員さんがかわりに取ってくれたんだけどね」

シンの目が驚きに見開かれる。

「だって昨日は合コンって…じゃあ、行ってないのか!?」

「合コン!?…あ、カガリの話?も、もしかしてあの話聞いてたの!?」

「あんな公衆の面前で大声で話してるのが悪いんだよ!で、行ったのか?行ってないのか?」

「行くわけないだろ!カガリには悪いけど、僕、大勢で飲み会とかって好きじゃないんだ。だから、アスカくんが風邪ひいて早退したからお見舞いに行かなきゃいけないって言って、飲み会は中止にしてもらったの」

「…なんだよそれ…」

はあ、と大きく溜息を吐いて、シンはソファーに寝転がった。多少の服装の乱れはあるが普段からきちっと座っているようなタイプのシンが、ここまで姿勢を崩したところを見るのは初めてだ。シンはちらりとこちらを見た。久々に、彼と目があった気がする。

「心配して損したよ…。でもあんたうちにお見舞いに行くとか言って、結局ゲーセン行ったんだろ?」

「そ、それは…」

僕だって、行こう行こうと思ってはいたのだ。しかし、まず軍を出たところでシンの家の場所を知らないことを思い出し、戻って住所を調べようかとも思ったけどそこまでするのも面倒で。ふらふらと歩いていたら馴染みのゲーセンに辿り着き、覗いてみたらこの黄色いひよこを見つけたのだ。そこからはずっとひよこを取るのに夢中になって、取れた頃にはもう随分と夜が更けてしまっていたので結局シンの家に行くのは諦めたのだった。

「で、でも、アスカくんの風邪がすぐに治ってよかったよ」

「なんで?」

「え?」

なんでってそれは。

「ま、いっか」

そう言うとシンは、ゆっくりと立ち上がりぐしゃぐしゃになった衣服を直す。そしてまだひとつも手をつけていない僕の紅茶のカップを持ち、空になった自分のカップも持ち上げる。そのまま給湯室に戻ってしまった。僕はただぼんやりと、視線で彼の姿を追う。

戻ってきたシンは、今度はぼんやりと座っていた僕の手を引き、ソファーから立ち上がらせた。

「じゃあ快気祝いってことで、なんか食べに行きましょーよ」

「って、僕今来たばっかなんだけど…」

「良いじゃないですか、どうせ仕事ないし。それに、隊長はせっかく部下の風邪が治ったのに祝ってもくれないんですか?」

「いや、でも…僕、実は今手持ちがなくて…」

昨日のゲーセンの所為だ。いや、今まで散々シンに集られた所為かもしれない。

するとシンは、いつもとは違う、とてもやさしい笑みをみせた。

「良いですよ、今日はオレのおごりで」

「え?…でも、」

「いいからほらほら、早く行きますよ!」

ぐいぐいと手を引かれ、廊下の外に出される。どうやら完全に元のシンに戻ったみたいで、僕は安心してほっと一息ついた。シンはふと思い出したように室内に入り、すぐに戻ってくる。ひらひらと、シンは手に持ったひよこのキーホルダーを揺らした。









シンくんは自分で触るのは平気ですが触られるとどうしても照れてしまう年頃。