01 return

目を開くとそこには大きく翼を広げたフリーダムが、まるでオレを庇うように立ち塞がっていた。敵はまだ已然オレ達の前に立ち塞がっているのだけれどオレの頭の中はただただ、かつての戦場だけを写し出していた。

あの時オレ達は、名前も知らない敵同士だった。


そのフリーダムのパイロットと初めて体面したのは、オーブの慰霊碑の前だった。その頃は互いに互いのことを何もしらずただひとこと会話をしただけだったけれど何故か、あの悲しげな瞳が印象深くてオレはそのことをいつまでも覚えていた。2度目に会ったのもまた慰霊碑の前で、こんどは互いに名前を名乗り、握手をした。まさかこの人がフリーダムのパイロットだなんて思えなかったけれど、でもその瞳を見たらなんとなく、それが嘘ではないことがわかった。彼の瞳はオレと同じ、どこか鈍く光っている。握手を交わして微笑んだ、彼の顔が忘れられなかった。

しかし3度目に出会った彼は、過去2回の人物とは別人ではないのかと思えるくらいに静かな、とても冷たい瞳をしていた。


ザフトに、そしてプラントにいられなくなったオレはオーブに戻ってきていた。ルナマリアやヨウラン達はプラントに残っている。オレはオーブで一人で暮らそうと思い仕事を探したのだが、上手い具合には見つからずぼんやりと街を彷徨っていたところでアスランに出会った。そして彼の紹介でオレはオーブ軍に入隊することとなった。オーブ軍なんて、死んでも入らないと思っていたのに、何故だろう。それと同時に、アスランからトダカさんの話も聞く。多分オレはオーブのためではなく、あの時お世話になったトダカさんに何か恩返しがしたくて、罪滅ぼしがしたくて軍に入ったのだと思う。あてがわれた軍服は、予想に反して意外と似合っていたのだが、やはりどこか落ち着かない。そしてオレと同様に、彼もその真っ白な制服に身を包み、胸には上官を現すラインを掲げ無表情のままオレの前に現れたのだ。


そしてその彼が、今度もまたオレの前に立ちはだかっている。けれど今はいつもと違い、見えるのは彼の背中、彼の乗るフリーダムの羽だけだった。そして聞こえるのは彼の名前を叫ぶアスランの声と、次々と墜ちて行くMSの爆発音だけ。他の仲間に引かれるように撤退したオレは、その後どうなったのかはわからない。



医務室の前を、オレは行ったり来たりとうろうろしていた。先刻の戦闘の後、キラが医務室に運ばれたという話を整備士から聞いたのだ。機体に損傷は見られないから、衝撃で頭を強く打ち付けたのだろうと彼等は言っていた。コックピットから運び出されたキラに、意識はなかったらしい。

「…でもオレ、あの人に嫌われてるからな」

ぽつりと呟いた独り言は、何もない真っ白な廊下の壁に吸い込まれるようにどこかへ消えてしまった。しかしその呟きを聞き付けたかのように、がらりと医務室の扉が開く。

「シン?」

顔を出したのは、アスランだった。


「軽い脳震盪だろう。どこにも怪我はないし、あとは意識が戻るのを待つだけだ」

「…そう、ですか」

真っ白なベッドの上でキラは、静かに瞳を閉じていた。瞳を閉じてさえいれば、今のキラも以前のキラと変らず優しく見えるのに。開いた窓から入り込んだ風かさらさらとキラの髪を揺らした。


「あの…仕事戻らなくても良いんですか」

数十分程度、2人無言で時を過ごしていたのだが、沈黙に耐えきれずにオレはアスランに訪ねた。彼はアスハ代表のボディーガードという立派な任務があるはずなのだ。こんなところでぼんやりしていて良いのだろうか。しかしアスランの答えは、とても分かりやすいものだった。

「キラが起きるまで見ていてくれって代表本人に頼まれたのさ。…シンはどうする?戻るのか?」

「…オレも、もう少しここにいます」

もし彼が目を覚ましたところで、オレなんかがいても何の役に立たないし、むしろ彼を不快にさせてしまうかもしれないけれど。けれど胸のどこか片隅で、何か言い様のない不安が過る。瞳を閉じている彼の顔を見ていると、なにかとてつもなく大変なことが起こりそうな予感がした。


そしてその予感は、数十分後に的中することとなる。


「…シンくん?」

静かな声で名前を呼ばれ、オレははっと顔を上げた。

キラが医務室に運ばれてからおよそ2時間半。中々目を覚まさない彼に、いつのまにかうとうととしかけていたその時だった。

静かに起き上がったキラは、しっかりとオレの方を見てそう言ったのだ。顔にはうっすらと、笑みまで浮かんでいる。

あれはいったい誰だろうと、オレは思った。今までのキラとはまるで別人だ。今のキラはオレのことを絶対に『シンくん』なんて呼ばないし、ましてやオレに微笑みかけることなど皆無に等しい。ちらりと隣のアスランを盗み見ると、彼もオレと同様に驚きを隠せない様子でキラを見ていた。そして一度だけオレを見てから、もう一度キラに向き直り口を開く。

「…キラ、どこか痛いところはないか?」

「そういえば、頭が痛いかも。後ろの方がずきずきする」

そう言ってキラは後頭部を押さえる。キラの口調はいつもの静かで淡々としたものとは違い、どこか甘く穏やかだった。

「キラ、オレの名前はわかるか?」

「何言ってるのアスラン、わかるに決まってるじゃないか」

「じゃあ、こいつの名前は?」

アスランはオレを指差す。オレはどきどきしながらキラの言葉を待った。キラはいつもオレのことを『シンアスカ』とか『アスカくん』と呼ぶ。しかしキラは。

「シンくん、だよね?アスランの部下だった」

そう言って、オレに向かってにこりと微笑むのだ。オレは思わずどきりと胸をならしたが、すぐにアスランに向き合った。アスランは何か考え込むように口元に手をあて、眉間に皺を寄せている。

「キラ…今日の日付はわかるか?」

「えっと…5月…だったかな。何日かは忘れたけど」

「それじゃあお前、今、いくつだ?」

「アスランてば、からかうのもいい加減にしてよ。この前誕生日が来たから、17歳だよ」

オレとアスランは、信じられないというように顔を見合わせた。キラの年齢は19だ。今は5月の下旬だから、先日キラの誕生日が来て19歳になったばかりだった。けれどキラは自分の年齢を17歳と言った。何かの冗談かもしれないと思ってキラを見たが、その顔はいたって真面目で、そしてわけがわからないというように不思議そうにオレ達を見ていた。

「…記憶喪失、というものなのか?これは、」

アスランは言う。

「でも、そんなこと、」

あるはずがない。もしキラが19歳から17歳までの記憶を無くしてしまったとしても、ひとつだけ小さな矛盾が残っているのだ。17歳のキラはまだ、オレとは出会っていないのだから。

しかしキラの瞳には、昨日までの冷たい色は何一つ浮かんでいなかった。









CE72→ヤキン戦
CE73→ヤキン戦後(キラは今ここ)
CE74→メサイア戦
CE75→今
という時間軸でいきます