04 ドア02

あれから数日が経つが、やはり僕らはあの日のわだかまりをどこか残したままだった。


土曜の昼過ぎ、僕らはのんびりとリビングでテレビを見ていた。

「ねえキラ、この映画好き?」

テレビでは最近公開された映画の宣伝がやっていて、シンはそれを指差していた。

「興味ない」

「なんだ」

その映画は世界中で大絶賛されたというホラー映画らしいのだが、基本的に怖い話が大嫌いな僕には縁のない話だ。ちらりとシンを伺うと、普段より一層つまらなさそうな顔をしてテレビに目を向けている。

「だって僕、ホラー映画嫌いだもん」

「オレは好きだけどね」

「それより僕、違う番組みたいんだけど」

「やだよ、オレ、これ好きだもん」

シンが好きだと言ってみているのは、バラエティー番組だった。そういえばクラスの子たちが面白いといって盛り上がっていたのは、この番組かもしれない。しかし僕はこういった騒がしい番組はあまり好きではない。画面半分を埋め尽くすかのようなテロップとか、他人の失敗を笑いに持っていこうとするところがどうしても好きにはなれないのだ。

「じゃあキラは何が見たいの」

「えー…高校野球とか?」

「つまんないよ。オレ高校行ってないし」

断言され、僕は口を噤んだ。確かにシンは高校には通ってないが、僕だって、僕の高校だって甲子園に行けたことなどない。自分の学校を応援したいというわけではなく、なんとなく、バラエティー番組を見るよりは良いかなと思ったのだ。

「でもアスランだって野球見てるよ」

「そりゃ、あんたが見たがってるからだろ」

ぶっきらぼうなシンの言葉に、僕はむっとしてソファーの上の彼を見上げた。

「なにそれ」

「アスランザラ、だっけ?どうみてもあんたにベタ惚れじゃん。オレなんかより全然あんたのことわかってるし。オレよりもあいつが兄弟の方が良かったんじゃないの」

「何言ってんの、意味わかんない。どうしてそこでアスランが出てくるのさ」

「さきにあいつの名前を出したのはあんただろ」

確かにそうだった。僕はぐっと言葉を詰まらせる。

シンが伸ばした腕でテーブルの上のリモコンを取り、チャンネルを変えた。高校野球だ。シンはソファーから立ち上がると、自室の扉に向かって歩き出す。

「オレ夕方出かけるから、晩飯はなんかとって食べて」

「…どこか行くの?」

「映画。…さっきのヤツ。ルナに誘われた。あんたが好きだって言うなら連れてこうと思ったけど…一人で行ってくる」

「シン、」

僕は立ち上がり、慌ててシンの後を追った。とてつもなく嫌な予感がした。

しかしシンは素早く室内に入ると、ばたんと勢いよく扉を閉じてしまった。

「シン、開けて、」

がちゃがちゃとノブをひねるが、中で押さえているらしく扉はぴくりとも動かなかった。やっぱりダメだったのだ。何事もなかったように振舞っていたはずなのに、こんなにも小さなことで簡単に崩れてしまう。

「ねえシン…聞いて。確かに僕らは血の繋がった兄弟かもしれない。双子かもしれない。…でも僕ときみじゃあ、育った環境が違うんだよ。16年間別々に過ごしてきたのに、たった3週間で完璧な兄弟になれるわけがないんだ。僕達は、別の人間なんだから。…思っていることがなにもかも通じ合うなんてこと、無理なんだよ…」

僕は閉ざされた扉に向かって、途切れそうになる声を振り絞って呟いた。もしかしたらこの声は、シンには届いていないかもしれない。でも僕は、これ以上何も知らない振りが出来るほど、大人にはなれない。

足に力が入らずに、僕は床に座り込んだ。そして必死に耳を澄ます。シンが返事を返してくれたら、そのどんな言葉も聞き逃さないように。

「オレは、」

扉の向こうで小さく、シンの声が聞こえた。

「オレは双子の兄がいるって聞いて、物凄く嬉しかった。母さん達はずっとオレを自分達の子供として育ててくれたけど、オレにはどうしても、自分があの孤児院にいるほかの子供達と同じように思えたんだ。…オレだって、何もかもが通じ合うなんて思わない。ただ…ただキラに、オレのことをちゃんと見て欲しかっただけなんだ。一緒に暮らして、同じテレビ見て笑ったり、ご飯食べながら喋ったり…同じことを、考えてみたかっただけなんだ」

「違う、シンは何もわかってない。わかってないよ」

ちゃんと見てくれないのはキミだよ、シン。キミはいつも僕のことを、キラじゃなくて双子の兄としてしか見てくれなかったじゃないか。双子の兄という存在ばかりを求めて、決して僕のことを知ろうとはしなかった。

「僕はあの日キミが訪ねてきたとき、ほんとはとても嬉しかったんだ。僕達が本当に双子かどうかはわからないけど、やっと僕にも本当の家族が出来たんだって、そう思ったんだ」

幼い頃から両親は、僕のことをキラ君と呼んだ。キラ君は可愛いね、と言って、全てを誤魔化すのだ。そしてある日、親族の集まりがあると言い向かった先で事故にあった。置いてきぼりの僕だけが、助かったのだ。

両親が僕を連れていかなかったのは、僕が幼いからだとか、遠い場所に行くからだとかは関係ない。僕が、本当の子供じゃないからだ。大きくなるに連れて、僕と両親の違いは如実に表れてきた。僕が彼らの子供じゃないことは、誰もが気付いていたことだ。僕だってわかっていた。でも、認めたくなかったのだ。それを認めてしまえば、僕には何もなくなってしまうのだ。

「好きな食べ物とか、映画とか音楽とか、そんなの違ってても良かった。キミと暮らせるならそんなこと、どうだって良かった。でもキミが、どうしても同じが良いって言うのなら、僕はあわせるよ。キミがなって欲しい僕になるように頑張るから…だから僕のこと、嫌いにならないで。もう僕を置いていかないで」

シンは何も言わなかった。かちこちと、時計の針の音だけが辺りに鳴り響く。

「…そうだ、僕、アスランと約束してるんだった。ちょっと出かけてくるね」

無理に明るい声を繕うが、それはとてもうそ臭いものになってしまった。やはりシンからの返事はない。僕は小さくため息を吐いて、逃げるように家を出た。


どうせなら財布を持ってくれば良かった、と思った。どうせ家に戻っても誰もいないのだから、コンビニで何か買ってくればよかった。

夕暮れの公園には誰もおらず、僕は一人でぼんやりとブランコに腰掛けている。アスランと約束したなんて嘘だ。アスランは今頃、家族でどこか出かけていることだろう。

シンは。

今頃、あの女の子と一緒に映画を楽しんでいるのだろうか。


嫌いにならないで、なんて。

なんてわがままなんだろうかと自嘲する。もしも僕らが一緒に育っていたのなら、こんなことにはならなかったのだろうか。喧嘩なんて一度もしたことがないような、心が通じ合った兄弟になれたのだろうか。シンは僕とアスランが心が通じていると言うけれどそれは有り得ないと僕は思う。アスランは頭が良いから、僕が好きなものとか僕の癖を覚えてくれているだけで、僕はアスランのことを何も知らないのだ。僕はシンのこともアスランのことも何も知らないのに、何も知ろうともせずに彼らに自分を知ってもらいたいだなんて、そんな甘いことを考えていたのか。そんなの、シンが怒るのも当然である。

「…やっぱ、出てっちゃうのかな」

謝ったら、許してくれるだろうか。許してもらおうだなんて、それ自体が甘い考えなのだろうか。

キイキイと、ブランコが揺れて金属音が鳴る。夕日が落ちて、影が伸びていく。じゃり、と砂を踏む音が聞こえ、僕は振り返った。

「キラ、」

「シ、ン…どうしてここが…」

背後に立っていたのは、シンだった。映画を見に行ったはずなのに、シンはあの時リビングにいたときの格好のまま、僕の背後に立っていた。

「双子だから」

「え?」

「嘘。キラだから。…キラだから、わかったんだ」

いたずらっ子みたいに笑うシン。しかし、その額からは汗が滴り落ちている。荒い呼吸と共に、肩口も揺れていた。走ってきたのだろうか。シンはまだこの辺りの地理は知らないはずだから、きっとこの公園の場所も知らなかったはずだ。

しかしシンは、そんなこと微塵も感じさせないような美しい笑顔で、僕に言った。

「オレ、焦ってたのかもしれない。写真だけじゃキラが双子だなんて証明できないだろ?だから、どうにかしてオレとキラが家族だっていう、証拠が欲しかったんだ」

「…どうしてシンは、そんなに証拠を欲しがるの?」

「そりゃ、キラと一緒に暮らしたいからに決まってるだろ」

シンは言う。淡い期待が、僕の中に広がっていく。

「それって…」

「キラ、」

「シンも、前の家で嫌な思いをしたんだね。大丈夫、僕は絶対にシンにそんな思いはさせないよ!」

「いや、そうじゃなくて、」

焦ったようにシンが言う。その様子が面白くて、僕はくすりと笑った。シンが不思議そうに僕を見る。僕も彼につられるように微笑んで、言った。

「冗談だよ。…僕もシンと暮らしたいよ。もし家族じゃなかったとしても、ね」

「キラ…」

シンの瞳が、驚いたように見開かれる。僕はゆっくりと立ち上がると、疲れのあまり膝に手をついていた彼の前に右手を差し出す。

「さ、帰ってご飯作ってよ。今日はハンバーグがいいな。シンも好きでしょ?」

シンは微笑んで、僕の手を取った。走った所為か、それ以外の理由かはわからないが、その手はとても温かい。ふとシンが思い出したかのように、首を傾げた。

「あれ、オレ、キラにハンバーグが好きだって言ったっけ」

「聞いてないけど…わかるよ。シンのことなら」

説得力のないその言葉に、けれどもシンは嬉しそうに笑った。

真っ赤な夕日の中、僕らは手を繋いで歩いていた。僕の半歩前を歩くシンの、黒くて軽い髪の毛が夕日に照らされてきらきらと輝いている。あの赤い瞳は、もっと輝いているのだろうなあと、僕は彼と初めてであったあの日のことを思い出した。あの日もシンはこうやって、真っ赤な夕焼けの中で僕の腕を引いてくれた。彼の背中が、その腕があの日と違いとてもとても大きく見えて、僕は思わずくすりと笑った。