02 サイン

「…双子の、弟?」

ぽかんと口を開けて、アスランは唖然とした顔で僕を見た。アスランは僕の幼馴染で、小学校から現在に至るまでいつも一緒に過ごしてきた。当然僕の両親のことも、僕が現在一人暮らしをしていることも知っている彼が、この事実を易々と受け取ってくれるわけがないということはわかっている。

「実は僕、弟がいたんだ。すごい病弱で、いままでずっと遠くの病院に入院してたんだけど…最近具合が良くなったから、僕と一緒に暮らすことになったんだ」

僕がそういうと、アスランは納得がいかないというような顔をした。

シンが僕の家に転がり込んで来てからもう3週間が経過している。もちろん僕はまだ完全に彼の話を信じたわけではないのだが、しかし彼との生活は快適だった。

「…弟がいることはわかった。双子ということは、オレ達と同い年ということだよな?ここ最近転校生は見かけないから…どこの学校に通っているんだ?どうせなら同じ学校に通えばよかったのに、」

「えっと…彼は、学校には行ってないんだ」

そう、意外なことに彼は中学を卒業した後、高校に進学することはしなかったのだ。彼が育てられた家は小さな孤児院で、卒業後はその孤児院を手伝っていたらしい。だから彼は男で、しかも僕と同い歳の癖に炊事洗濯が完璧にこなせるものだから、学校へも通わずに家のことをしていてくれるのだ。

朝は6時に起きてきちんと朝食を作ってくれるから僕は最近まったく遅刻をしなくなった。部屋も綺麗になったし、洗濯もしてくれる。食事中はいつも双子についての講釈をしつこく語ってくるのだが、それさえ除けばまさに理想の同居人と言えよう。

「今頃はきっと、夕飯の準備でもしてるんじゃないかな?彼のご飯、すごいおいしいんだよ」

昨日のハンバーグもとてもおいしかったなあと、思わず頬がにやけてしまう。そんな僕を、アスランはおもしろくなさそうな顔で見ていた。まあそれも当然か。僕が両親を亡くして以来、ずっとアスランにはお世話になってきているのだ。カップ麺ばかり食べている僕を毎晩のように夕食に呼んでくれたり、アスラン自らがやってきてわざわざ僕の部屋を掃除してくれたりしてくれていた。そんなアスランに突然「実は弟がいたから、もう食事も掃除も必要ない」だなんて、失礼にも程がある。

「…今はまだ、こっちに来たばかりだからアレだけど…でも、そのうちアスランにもちゃんと紹介するよ。僕もまだ、彼とは会ったばかりだし…」

「…わかったよ」

渋々といった様子でアスランは頷いた。僕はほっと胸を撫で下ろした。



「…ただいま」

がちゃり、と扉を開くと綺麗な玄関が広がっていて、僕は未だこれに慣れることが出来ない。シンは僕の部屋に入るなり早々「汚すぎる」と言い、ほぼ1日でそれを片付けてしまった。まるで他人の家に帰ってきたようだなと、僕は思う。まあ汚いよりは良いのだが。

玄関には靴がひとつもない。シンが全て片付けてしまうのだ。僕も脱いだ靴をすぐに棚に仕舞う。出しっ放しだとシンが怒るのだ。

棚の中に、シンの靴が見当たらなかった。どうやら出かけているらしい。彼が一体どこに出掛けたのか僕にはわからない。買い物だろうか。いつもならとっくに帰ってきて夕飯の準備をしているはずなのだが、部屋の奥からは何の匂いもしてこなかった。

首をかしげながらも僕はリビングに入る。左手にはキッチンが、右手にはソファーと大きな窓がある。正面には扉が2つあり、片方は僕の部屋、片方は使われていないがそのうちシンの部屋になるのだろう。僕は部屋にカバンを放り投げると、キッチンを覗いた。相変わらず綺麗に片付けられているキッチンには、夕食らしきものは何もない。リビングのテーブルにも何の書置きも見当たらず、僕は首を傾げたまま自室に入った。

彼がやってきてからおよそ3週間。たったそれだけの時間なのに、独りになるのが本当に久しぶりなような気がした。彼が片付けてくれるおかげで僕の部屋もとても綺麗だ。どうやらシーツもかえてくれたりしているらしく、僕は制服のまま真新しいシーツに身を沈めた。ひんやりと頬に心地よい。いつの間にか雨が降ってきていたらしく、ぽたぽたと響く雨音の中、僕はいつのまにか眠ってしまっていた。


「おい、起きろ!大丈夫か!?」

僕がうっすらと目を開くと、びしゃびしゃに濡れているシンの姿が目に入った。ごしごしと目をこすりながら、もういちど彼を見る。雨音がうるさい。雨足はあれからもっと酷くなったらしい。シンはサミット袋をひとつ足元に置き、片膝をベッドに乗り上げているような格好だった。

「…あ、お帰り。雨、酷かったの?」

ぼんやりと呟く僕に、彼は大きくため息を吐いた。

「悪い、立ち話してたら遅くなった。帰ってきたら靴はあるのに電気はついてないし、あんたは制服のまま倒れるように眠ってるし…病気にでもなったのかと思ったぞ」

「ごめん」

まさかそこまで心配されるとは思ってもおらず、僕はすこしだけくすぐったい気分になった。こんな風に心配されることなんて、初めてかもしれない。ぽたり、と彼の髪からしずくが落ちる。

「頭、拭かないと風邪引くよ。タオルは…どこにあったっけ」

首を傾げる僕を見て、シンはくすりと笑みをこぼす。

「あんた、そんなんでよく今まで生活してこれたな。タオルはオレがとってくるから、あんたは荷物をキッチンまで運んでくれ」

僕は頷き、ベッドから立ち上がる。

まったく自分でも、今までよく生きてこれたものだと感心してしまう。しかしそれもこれも全て、僕の力ではなくアスランや彼の両親のおかげなのだ。僕は小さく溜息を吐いてから、部屋を出た。


「…あ、そうだ。アスランがね、キミに会いたいって」

「アスラン?」

がしがしとタオルで頭を拭きながら、シンが顔を上げた。

「誰だよそれ」

「僕の友達だよ。僕が両親を亡くしてからずっと、アスランが夕食作ってくれたり、掃除してくれたりしてたんだ」

「…ふうん」

どうでもいい、というように、シンはタオルをソファーに投げ捨てた。綺麗好きなシンにしては珍しい行動に、僕は少しだけ驚く。

キッチンに入っていくシンを見つめながら、僕は話を続ける。

「複雑な話は出来るだけしたくなかったから、シンは僕の双子の弟で、ずっと遠くの病院で入院してたってことになってるから」

「…なんで」

「なんでって…良い案がとっさに考え付かなかったんだよ。アスランとは小学校の頃から一緒だけど、弟がいるなんて話したことなかったしさ」

「そうじゃなくて…なんで本当のこと言わなかったんだよ」

「だって…僕だってまだ、あの話を信じてるわけじゃないんだ」

彼の持っていた写真は、写真立てに入れてリビングに飾ってある。あの話が嘘だとは思わないが、でも僕はどうしても信じることが出来ないのだ。

「ふうん…まあいいけど」

そういうとシンは、もうこの話はするなとでも言うように、料理の方に没頭してしまった。手を持て余した僕は仕方なく、テレビをつけてそれをなんとなく眺めていた。