昨日の出来事が、まるで随分昔の話のようだとシンは思った。教室に入ると、慌ててヨウランとヴィーノが駆け寄ってくる。
「ようシン。キラと連絡とれたか?」
「キラはいない」
「は?」
シンの言葉に、ヨウランとヴィーノは顔を見合わせた。
「お別れ、なんだってさ」
「お別れ?なんだよそれ」
「知らねーよ、そんなの…納得出来るかよ!」
ばん、と力強く立ち上がると、シンはそのまま走りだす。
「シン、授業は」
「サボる!」
ヨウランとヴィーノは慌てて廊下に顔を出すが、みるみるうちにシンの姿は見えなくなってしまった。
シンはそのまま3年の教室に来ていた。授業が始まる前で、沢山の生徒が教室にいたが、シンは構わず中に入る。
「会長!」
突然現れたシンの姿に、カガリは驚きに目を見開く。
「シン!?どうした、もう授業が始まるぞ」
「ちょっと話あるんですけど」
「話?そんなの休み時間に、」
「キラのことで」
シンの言葉に、ぴたりとカガリの動きが止まる。
「…わかった」
カガリは立ち上がると、そのまま教室を出た。
シンが向かった先は生徒会室だった。ここなら鍵はカガリが管理しているし、他に邪魔が入ることもない。シンはいつものパソコンの前、カガリはソファーに腰を下ろした。
「まったく、会長と副会長が2人してサボったなんて知れたら大問題だぞ」
「そんなこと、どうでもいいです」
「それもそうだな。…で、話とは?」
カガリに問われ、シンは一瞬躊躇ったが、素直に答えた。
「キラのこと、教えてください」
「キラのこと?」
「なんでもいいんです。会長が知ってるキラのこと、全部」
シンの言葉に、カガリは首を傾げる。
「それは構わないが…なんでまた」
シンは昨日のやり取りを思い出しながら答えた。
「キラにお別れだって言われてオレ、何も言い返すことが出来ませんでした。多分オレは、キラのことを何も知らない」
「お別れ、か。キラらしいな」
ため息まじりにカガリは笑みを零した。
「キラらしい?」
シンの問いに、カガリは頷く。
「あいつは昔から身体が弱くて、碌に学校にも行かないから友達が少なくてな。だから私が無理矢理キラを誘って、クラスメイトと遊んだりしていたんだ。キラは人当たりは良いからすぐに仲良くなれるんだが…結局は自分から離れて行くんだ」
カガリの言葉に、シンは昨日のキラを思い出した。
「迷惑かけるから、ですか」
カガリは頷く。
「私とキラは元々捨て子だったんだ。ずっと一緒の孤児院で育って、小学校の半ばで別々の家に引き取られた。けれどキラの両親は忙しくて、キラはずっと家でひとりぼっちだったらしい。寂しく無いのかって聞いたら、いつも迷惑かけてるから仕方ない、って、おやにまで遠慮する子供でな」
「なんとなく想像つきます」
かつて幼かった頃のキラを想像して、シンはくすりと笑った。
「キラは、自分が捨てられたのも親が忙しいのも全部自分の所為だと思っている。自分は運動が出来ないから、皆の輪に入ればそれを崩してしまう。だから友達はいらない。そういうふうに考えているんだろうな」
カガリの言葉に、シンは静かに頷いた。そして、少しだけ気になっていたことを訪ねる。
「アスラン先輩とキラは、顔見知りなんですか?」
あの時アスランとキラは、何となくどこか親しげな雰囲気を醸し出していてシンはずっとそれが気になっていたのだ。カガリは頷く。
「中学が同じだからな。キラも初めはアスランとは親しくしていたようだが…高校に入って、私がアスランを振った話を聞いてからは碌に顔も合わせていないんだろうな」
その理由が容易に想像できて、思わずシンは吹き出した。
「なんていうか…難儀な性格ですね」
「ああ。だがそこが可愛いんだ」
「知ってます」
シンの言葉に、カガリは少しだけ驚いた顔をしたが、深くは訪ねてこなかった。それがシンの思いに気付いている所為か、そうでないのかはシンにはわからない。
「お別れ、するつもりはないんだろう?」
カガリの言葉に、シンはしっかりと頷いた。
「当たり前じゃないですか。言ったでしょう、キラにはオレがついてるって。ちゃんと承諾したんですから、邪魔しないでくださいね」
「キラの退院は明日の予定だ。学校に来るかどうかはわからないが…」
「…ありがとうございます」
シンが頭を下げると、カガリはどこか寂しい気持ちになりながらも「いいさ」と言って笑った。カガリには、シンの気持ちもキラの気持ちも、十分すぎるほど理解出来ていたのだから。もちろんそれを、2人に教えてあげるつもりはないが。
次の日の朝。無事に退院し家に戻ってきていたキラは、学校に行くかどうかを悩んでいた。昨日の夜、退院祝いと称しカガリが遊びに来て、シンがまだキラのことを心配していたということを告げて行った。あれほど直接的に言ったのに、きっとシンはまだ自分のことを、友達である自分のことを心配しているのだろうとキラは思う。だから本当はこのままシンに会わずにいるのが一番だと分かっているけれど。そんな優
しいシンを利用して、いつまでも友達でいられるとはキラには思えなかった。散々悩んだ挙げ句、キラは昼を少し過ぎた頃に漸く家を出た。この時間ならシンはいないだろうし、学校に入ってしまえば人込みに紛れてシンと出会うことはないと思ったのだ。
しかし。いつもの交差点をまがったところに、シンは立っていた。
「…なんで、」
キラが呟くと、ぼんやりと俯いて屈み込んでいたシンは立ち上がり、にこりと笑う。
「遅いぞ。何時間待ったと思ってんだ」
「なんで、なんできみがここにいるの、」
しかしキラはシンの言葉など耳に入らず、ただただシンに問う。シンは、ずっと笑みを浮かべたまま、静かに、穏やかに言う。
「だって、待ってるって言っただろ」
「僕はお別れだって言ったよね?」
「でもオレは納得してないし、納得なんてできない」
シンはそっとキラの手首を掴んだ。しかしキラは、それを振りほどく。
「シンは優しいから、僕のことが心配なだけなんだよ。でも僕は、そんな同情なんていいらない」
「じゃあキラは何が欲しいの」
「僕は、」
言葉を詰まらせたキラに、尚も畳み掛けるようにシンは続ける。
「オレがここで待ってること、予想はしていたんだろ?本当にお別れしたいなら、なんで別の道を通ってこなかったんだよ。オレはこの道しか知らないから、他の道を通ればオレと会うこともなかったのに」
「それは…」
「キラが欲しいものは、何?」
「僕が、欲しいものは…」
シンはもう一度キラの手を握った。キラは思考に集中しているらしく、振りほどくことを忘れている。
「いいよ、あげる。キラが本当に欲しいって思ってるんなら、あげるよ」
「あげる、って、僕が何を欲しがってるのか、わかるの」
「わかるさ。言ってみろよ。今さらあげないなんていわないから」
「でも、」
「ほら」
「…」
しかしキラは答えなかった。シンは小さくため息を吐き、また1歩キラに歩み寄る。
「言ったらあげるって言ってるのに、なんで言わないの」
「…君がたぶん、僕が欲しいものを勘違いしてるかもしれないから」
「うん、わかってるよ」
「僕は、君と友達になりたいわけじゃないんだよ」
「知ってるよ」
シンの言葉に、キラは驚いたように目を見開いた。そんなキラの様子を見て、シンは尚も笑みを深くする。
「ほら、早く」
「僕が欲しいのは、きみだよ」
「うん、いいよ、あげる」
「…本当に?」
「もちろん」
そう言ってシンは、握っていたキラの手を放し、両手を大きく広げた。暫くぼんやりとそれを見ていたキラだが、シンが言いたいことを理解したらしく、戸惑いながらも恐る恐る歩み寄る。シンが両手で強くキラを抱き込むと、漸くキラも安心したのかシンの肩口に顔を埋めた。
「オレも欲しいものがあるんだ」
抱き込んだままのキラに、シンは静かに言う。
「何?」
「オレはキラが欲しい」
シンの言葉に、キラは暫く何も言わなかった。シンが首を傾げてキラを見ると、至近距離で見るキラの顔は、少しだけ困ったように俯いている。
「キラ?」
「でも僕、また君に迷惑かけるよ」
キラの言葉に、シンはくすりと笑った。
「何言ってんだ。オレはキラのものなんだぞ。自分のものの心配するのは当然だろ。もちろんキラはオレのものなんだから、何かあったらちゃんと報告するんだぞ」
「え?そ、そうなのかな、」
「そうなんだよ」
シンの理論はいまいちよくわからなかったが、キラは首を傾げながらも無理矢理自分を納得させた。
「じゃ、学校行くか。もう昼過ぎてるけど、ヨウランもヴィーノも待ってるし」
「…うん」
久々に2人で歩くこの通学路は、1人で歩くときよりも全然短く感じられたけれど。繋がれた手のひらは、今までの誰とも比べ物にならないくらい、とても暖かかった。