次の日も、もしかしたらと思いシンはいつもの場所でキラを待ったが、やはりキラはいつになってもやってこなかった。
「今日も休みか…元々病気がちらしいし、風邪でも拗らせたんじゃないのか?」
落ち込むシンを慰めようとヨウランは言うが、しかしシンは先刻からずっと何か考え込んだままで、おそらくヨウランの声も聞こえてはいないのだろう。
「シン?」
「だめだよ、今朝からずっとこの調子」
肩を竦め、ヴィーノは言う。間もなくして担任がやってくるが、やはりシンは何か考え込むままだった。
授業が終わり、シンは急いで体育館に向かった。アスランはまだ部活に出れないらしく、今日は制服姿のまま端に腰掛けていた。
「アスランさん」
シンが名前を呼ぶと、コート内を見ていたアスランは視線をシンに移す。
「ああ、シンか。昨日カガリに連絡したよ。キラは無事だそうだ」
「無事…よかった」
アスランの言葉に、シンはほっと胸をなで下ろす。
「身体の調子が悪いらしく休んでいたそうだが…まあ、そのうち元気になるだろうと言っていた」
「でもそれじゃあ…犯人は、」
シンが何か言い終わらないうちに、ばたんと体育館の扉が開いた。皆の視線が扉に集中する中、出てきたのは制服姿のカガリと、私服姿のキラだ。
「キラ!?」
カガリに肩を借りるように歩くキラの足下はとてもじゃないが覚束ない。普段からあまり顔色が良い方ではなかったが、今日はその最上級だ。
「お前、大丈夫か?顔色悪いぞ」
「当たり前だ。退院許可も出ていないのに無理矢理抜け出してきたんだからな」
「退院って…え!?」
カガリの言葉に、シンは驚いてキラを見る。しかしキラはそのままアスランの元に駆け寄ると、力が足りなかったのかがくんと膝から崩れ込み、彼の前に屈み込み言った。
「ごめんなさい、アスラン」
「キラ?」
「全部僕が悪いんだ」
「…え?」
突然のキラの言葉に、シンとアスランはわけがわからず顔を見合わせる。そんな2人の様子を見てカガリはため息を吐くと、「どこか座れる場所はないか」と言った。先刻から部員達がちらちらとこちらを気にして視線を寄越してくるし、何よりキラはこんな肌寒い体育館に居続けられる体調ではなかった。
「部室に行こう。そこならゆっくり話もできる」
アスランの言葉に、カガリは頷くと屈み込んだキラを抱き起こすように立ち上がる。
「君は…」
「オレも行きます」
アスランの言葉に、シンはしっかりと頷いた。
「ごめんなさい、僕の所為で…」
部室に到着し、皆が腰をおろした早々にキラは言う。
「一体どういうことなんだ?」
「それを説明しに来た」
アスランが首を傾げて問うと、答えたのはカガリだった。そしてカガリは、キラに視線を寄越す。キラは頷くと、消え入りそうなくらい小さな声で言った。
「僕が、僕が彼に本当のことを言っちゃったから、」
「本当の、こと…?」
「それは一体、」
シンとアスランが、同時に言葉を発する。それを見兼ねたカガリは、ごほんと一つ咳払いして言った。
「私が説明しよう。元はといえば、私の責任なのだからな」
「カガリの所為じゃ。」
「いや、私の」
「いいから早く説明しろよ」
痺れを切らせたシンの言葉に言い争いは遮られる。まだ何か言いたそうなキラを制して、カガリは言った。
「1年前、一人の学生が私に告白してきてな。まあ当然断ったんだが、そいつは諦めきれなかったらしい。私が『好きな人がいるから』と言った所為で、そいつは私の好きな人がキラだと勘違いをし…」
「じゃあキラのジャージを捨てたりしてたのは、」
シンの言葉に、カガリは頷いた。
「おそらくそいつだろう。1年前にあったキラとバスケ部のいざこざを利用して、全てバスケ部の所為にしていたらしい」
「じゃあ今回の件もそいつの仕業、ということか」
今度はアスランが言った。カガリはまた頷く。
「最近キラがシンたちと仲良くし始めたのが気に食わなかったらしい」
「だからヨウランとヴィーノまで…でもなんでオレのところには来なかったんだ?」
「元々そんな強い奴ではないからな。シンなら返り打ちにあってしまうと思ったんだろう」
カガリの言葉に、シンは納得した。確かに自分は昔から良く喧嘩をしていたため、そこらの連中には負けない自身があった。ヨウランとヴィーノは喧嘩とは無縁の雰囲気だったため狙われてしまったらしい。
「…ヨウランとヴィーノに返り打ちにあったから、アスラン先輩の時は刃物を持ち出した、のか?」
しかしシンは首を傾げる。何故犯人はオレは諦めたのに、アスランは諦めずに、しかもわざわざ刃物まで持ち出したのだろうか。
「まあ、詳しいところはわからんがな」
「でもそれがなんでキラの所為になるんだよ。てゆうかキラは大丈夫だったのか!?」
「大丈夫じゃない!だからこうして入院しているんだろう!」
声を荒げるカガリを宥めるように、冷静にアスランは言った。
「カガリ、もっと詳しく説明してくれないか」
「えっと…犯人は最初にシンの友達を襲い、それからキラのところに来た」
その先を続けたのはカガリではなく、キラだった。
「彼が『カガリの好きな人はお前なんだろ』って言うから、違うって言っても聞いてくれなくて…だから、つい本当のことを言っちゃって…」
そしてキラは、ちらりとカガリを見た。カガリは静かに頷く。
「ま、まさか…」
「私の好きな人は、キラじゃない。アスランなんだよ」
「僕がアスランの名前を出さなかったら、アスランは怪我しなくて済んだのに…」
冷静に話が進む一方で、シンは密かに混乱していた。
「な、何そんな重要発言をさらっと言っちゃってるんですか。せ、先輩、どうするんですか?」
シンは慌ててアスランに問う。が、その問いに答えたのはアスランではなく、カガリだ。
「アスランならもうとっくの昔に知っているぞ」
「本人の口から聞いたのは初めてだけどね」
「なんで…」
2人の言葉に、シンはただただ混乱していた。アスランがカガリと好きだというのは皆が知っている事実だし、そしてカガリもアスランが好きだという。それならば何故付き合わないのだろうか。2人が付き合っていれば、こんなややこしい事態には陥らなかったのではないのか。アスランは、静かに答えた。
「1年前に、オレがカガリに告白したときに言われたんだよ。『アスランのことは好きだけど、今はまだ付き合えない』ってね」
「それがいつの間にか私がアスランを振ってキラと付き合ってるという噂になってしまってな。まあ振ったような結果になってしまったのも事実だが…」
「何で…好きなら、付き合えばいいのに」
「僕がいるからだよ」
シンの問いに答えたのは、今までずっと傍観していたキラだった。
「僕がしっかりしてないから、ずっとカガリに迷惑かけて、」
「…何がどうなって…意味がわからなくなってきた」
「キラと私は、双子の姉弟なんだよ」
突然のカガリの発言に、シンとアスランは驚きに目を見合わせた。
「そういうことだったのか…」
アスランが静かに呟く。おそらくアスランも、カガリとキラの関係のことまでは知らなかったのだろう。もしかしたら、仲の良い幼馴染みか何かだと思っていたのかもしれない。
「でも、歳が」
「キラは幼い頃から身体が弱くて、入院ばかりしていて…だから中学に入学するのが1年遅れてしまったんだ」
カガリはそっとキラの頭を撫でた。一番最初にシンが2人を見たときに、何か違和感があると思ったのはそのことだったらしい。
「カガリは心配性だから、ずっと僕のことを心配してくれて…だから折角アスランと付き合えるかもしれないのに、それを断って僕の面倒を見てるんだ」
「…じゃあ、昨日休んだのも、」
「犯人との問答の最中に、発作が起きたらしい。犯人は怖くなって逃げ出したから、キラは無事で済んだんだ」
「じゃあカガリが早退したのは、」
アスランの言葉に、こくりとカガリは頷いた。
「キラの奴、そのまま自力で家に戻って、何の連絡も入れなかったんだ」
「大丈夫だと思ったんだよ。学校には行けないけど、寝てれば治ると思って…でも治らなくて、どうしようもなくなって…」
「それで救急車を呼んで、私に連絡が来たんだ」
「でももう、大丈夫だから」
しっかりと答えるキラの言葉に、カガリが驚いてキラを見た。
「キラ、」
「僕はもう大丈夫だから、カガリは僕の心配より、アスランの心配をしてあげて」
「でも…」
「そうですよ。キラにはオレがついてるんで」
「え?」
突然のシンの言葉に、首を傾げたのはキラ本人だった。
「なんか文句あるのかよ」
「な、ないけど、でも」
「ま、いないよりはマシか」
「なんですか、それ」
カガリの一言から口論が始まった2人を余所に、アスランとキラは顔を見合わせて笑った。
カガリとアスランを学校に残したまま、シンはキラを送るため一緒に病院に向かっていた。全て話して楽になったのか、キラの具合も最初よりは随分と良くなって、今ではしっかりと一人で歩けるようになっている。目の前を歩くシンの背中に向かって、キラは言う。
「あの…迷惑かけてごめんなさい」
「いいよ、別に」
シンは振り返り、言った。そして歩調を緩めてキラの隣を歩く。
「ヨウランとヴィーノにも謝らなくちゃ、」
「謝るより先に、早く元気になることだな。大体あいつら、何も気にして無いっぽいぞ。返り討ちにしたこと、いろんな奴等に自慢してたし」
肩を竦めて言うシンに、キラはくすりと笑みを零した。
間もなくして病院に到着する。入り口から少し入ったロビーのとろこで、キラは振り返り立ち止まる。
「ありがとう、ここでいいよ」
「なあ、いつ退院できるんだ?オレ、いつもの場所で待ってるからさ、」
にこりと微笑みシンは言う。キラもつられて微笑むが、しかしその表情にはどこか寂しげなものが浮かんでいて、シンは首を傾げた。
「…キラ?」
「…いつ退院できるかはわからないよ。だから…だからシンも、もう僕のこと、忘れて」
「…え?」
「あの犯人ももう何もしないって言ってたし…だから僕、もう大丈夫だから。だからシンも、もういつも通りの生活に戻っていいんだよ」
予想もしないキラの言葉に、シンはわけがわからずにただキラの言葉を聞いていた。キラの表情は変らずに、静かな笑みを浮かべたままだ。
「何でだよ、何でいきなり、そんな」
「見ての通り僕、身体弱いから、部活にも入れないし、体育にも出れない。ちょっとしたことですぐに入院しちゃうんだ。ただでさえ迷惑かけたのに、これ以上迷惑かけることはできないよ」
「迷惑だなんてそんな…だってオレ達、友達だろ」
いつかアスランに問われて、シンは悩んだことがある。自分とキラの関係は、これは友達なのだろうか、と。あの時はいろいろあってすぐに答えられなかったし、今もまだ、その答えに納得しているわけではないけれど。でもまたキラと会えなくなるくらいなら、このわからない感情の名前を友達と名付けて良いと、そう思ったのだ。シンの言葉にキラはとても驚いた顔をしてから、そして少しだけ辛そうにまた笑った。
「シンは優しいね」
「え?」
「でも今の僕には、その優しさが辛いんだ」
「…キラ、」
「今までありがとう。ヨウランとヴィーノにも…本当は直接伝えたかったんだけど、ありがとうって伝えておいて欲しいな。ほんの少ししか喋れなかったけど、でも楽しかった。…君とも、本当はもっと沢山喋ったりしたかったけど…でも駄目なんだ。おかしいよね、僕、君のことが好きみたい」
「…え?」
でも今ならまだ間に合う。お互い、全て忘れて元の生活に戻れるよ。だからお別れだ。ありがとう、シン。ばいばい」
泣きそうだ、とシンは思った。キラは一生懸命笑っていたが、その瞳からは今にも涙が零れそうだった。初めてキラを見た日、キラは本当に楽しそうにカガリと笑いあっていて。それから少しだけキラと一緒の時間を過ごしたけれど、いつもキラはどこか諦めたような笑顔ばかりで、あの明るい笑顔には出会えなかったなとシンは思う。
言葉が出ずに立ち尽くすシンに、キラは一度も振り返ることなく病院の奥に行ってしまった。