02 by hearsay

次の日の朝。昨夜の疲労と苛立ちの所為かつい寝坊してしまったシンは、授業が始まり静まり返っている校庭を横切り歩く。これなら2時間目の体育には間に合いそうだ、などと考えながらも、しかし頭の中からは昨日の2人の様子が離れない。

苛立ちを抱えたまま歩いていると、玄関前の階段を登る少し手前で何か話声のようなものが聞こえた気がして、シンは立ち止まった。

「…何だ?」

この時間は授業中だから、おそらくサボりの生徒か何かだろうかと思いながらも、しかしシンはなぜか嫌な予感がしてその声の主を探す。はっきりとした声は聞こえないが、おそらく男の声だろう。壁沿いを音をたよりに歩いていくと、普段は殆ど来たことのない校舎裏に辿り着いた。

「なあ、本当に良いのか?」

今度ははっきりと鮮明な声が聞こえ、シンは壁の影から覗き込む。後ろ姿なのではっきりとした姿は見えないが、おそらく男子生徒だろう。2人でこそこそと何かをしていた。

「構うなって。どうせあいつは体育出来ないんだし」

「まあ、そうだけど…」

「第一、あいつが悪いんだから」

「それもそうだな」

男2人はまるで自分に言い聞かせるように呟き合うと、シンの姿に気付くことなくそそくさとその場を去っていった。

「ふうん」

男達が去った後、草むらの影にあるぼろぼろのジャージを見つけ、シンは呟く。どうやら予感は適中したらしい。シンは徐にそのジャージを拾うと、名前の部分を確認した。

キラヤマト、と名前のついたそのジャージを左手に抱え、シンは校舎に入った。


もう既に1時間目は始まっており、廊下にはシンの足音が一つと、教室から洩れてくる教師の声が少しだけ響いていた。そしてその音に混じって、ほんの微かに聞こえてくる不振な音に、シンは眉を潜める。その音は移動教室となっている誰もいないはずの教室から聞こえてくるのだ。最近空き教室から財布がなくなる等という事件も増えており、シンは真直ぐに教室に近寄るとばんと扉を開き中を見た。

「…何やってんの」

教室にいたのはキラだった。捲られた両袖からは、白く細い腕が覗いている。そしてその両腕で、ごそごそとゴミ箱をひっくり返し漁っていた。キラは突然の来客に驚いたようで、唖然とした顔でこちらを見ている。

「シンくん、」

「なんでオレの名前…」

「カガリに聞いたんだ。最近カガリってば、君の話しかしなくて」

「あっそ」

素っ気無いシンの返事に、キラは気分を害することなく少しだけ微笑むと、漁っていたゴミ箱をもとの位置に戻し立ち上がった。そしてざっと教室を見回し、廊下に出ようと扉に手をかける。

「どこ行くんだよ。授業は?」

「…きみこそ」

シンの言葉に、キラは少しだけ苦笑しながら切り返した。キラの返答にシンはにやりと笑いながら。

「オレは遅刻。あんたは…探し物?」

「なんで、」

驚いたように目を見開いてシンを見つめるキラに向かって、シンは持っていたジャージをキラに投げ渡した。キラは落とすことなくそれをキャッチする。名前を確認するまでもなく、それが自分のものだとわかったのだろう。先刻と同様驚いた表情のまま、ただジャージとシンをくり返し見つめる。

「別に、拾ったから職員室に届けようと思っただけだよ」

「…ありがとう」

「だからオレは偶然拾っただけで、」

「でもいいんだ、ありがとう」

まっすぐに瞳を見て伝えてくる感謝の言葉に、シンは少しだけ居心地が悪い気がしてキラから視線を逸らせた。そんなシンの様子にキラは小さく笑うと、受け取ったジャージを綺麗にたたみ、自分のものと思われるカバンの中に詰め込んだ。

「体育行かないのか?」

おそらくキラのクラスはこの時間が体育だったらしい。シンが首を傾げて問うと、キラは静かな声で言った。

「…僕、体育出れないから」

「じゃあなんでジャージなんて持ってきてるんだよ」

もし何かしらの事情があって体育が出れないというのなら、そもそもジャージなんて持ってこなくても良いのではないか、と思いシンは訪ねた。しかしキラから答えが返ってくることはなく。

「別にいいけど」

といい、そして「じゃあな」と言ってシンはひらひらと手を振りながら教室を出た。



昼休み。シンはいつものように昼食を食べ終えると窓辺に腰掛けてぼんやりと話をしていた。昨日からどうもキラのことが頭から離れずに、シンはぶんぶんと首を振る。自分には関係ない、とはわかっているのだが、気付けばつい考えてしまうのだ。そうして深く思考していたシンは、笑い声を響かせながら校庭を歩く人陰に気づけずに。

「こら、シンアスカ!!そんなところに座ってると落ちるぞ!」

「会長!?」

唐突に名前を叫ばれシンが振り返ると、窓の下、校庭の端からこちらを見上げ仁王立ちしているカガリと目が合った。シンが驚いたのが余程楽しかったのか、楽しそうに笑っている。

「お前、会長と仲が良いんだな」

「どこをどう見たら仲良く見えるんだよ」

シン達がいるのは2階だが、おそらく会話が聞こえているのだろう。カガリは大爆笑し、そして昨日と同様に隣を歩いているキラは、シンに向かってぺこりと頭を下げた。

「…」

それが今朝の礼か、それともカガリの代わりに謝っただけなのかはシンにはわからないが。シンがわからず思考していると、隣で見ていたヨウランが驚きに目を見開いた。

「何、お前、キラヤマトとも仲良いわけ?」

「別に」

ちらりと窓の下を見ると、キラとカガリはまた楽しそうに雑談しながら校舎の中に入っていった。シンは視線を教室に戻す。

「ま、とにかく気をつけろよ」

なんてことはないヨウランの言葉に、シンは首を傾げた。

「気をつけるって、何に」

シンの言葉に、今度は逆にヨウランが驚く。

「キラヤマトだよ。あんまり親しくしてると、お前まで目つけられるぞ」

「…誰に」

「アスラン先輩の後輩…っていうか、ファン?」

「なんだよそれ、」

シンにとっては初めて聞いた話だったが、しかしそれは有名な話らしい。当然ながら知っていたヴィーノは、やれやれとため息を吐きながら言った。

「アスラン先輩、人望厚いからなあ。去年だってあやうく暴力沙汰になりそうだったって噂もあるし」

「暴力沙汰?先輩のファンが、キラヤマトを、ってことかよ」

今度はヨウランが頷いた。

「まあ、そうだろうな。騒ぎが起きる前にアスラン先輩が嗅ぎ付けて、きっちりやめさせたらしいけど…実際はどうだか」

「…なるほど、ね」

それじゃあ今朝の2人はバスケ部員だったのだろうか、とシンは考える。真っ向から向かえばアスランにばれてしまうから、ジャージを隠すなどといった陰湿なことをしているのか、と思うと、シンは少しだけ、自分のことではないけれどまるで自分のことのように腹が立った。



放課後になり、シンがいつものように生徒会室の扉を開くと。いつもはカガリが座っている場所に、何故かキラが座っていた。

「…なんであんたが、」

最近よく会うなと思いながらもシンは問う。キラは相変わらず静かに微笑みながら言った。

「カガリに、ここで待ってろって言われたんだ」

「で、その会長は?」

ぐるりと室内を見回すが、そこにカガリの姿はなく。シンはソファーにカバンを投げ捨てると、パソコンの前に腰をおろした。

「体育館だよ」

「体育館?」

シンは首を傾げて掲示板を見た。予想通り、今日は特に体育館にいくような用事など書かれていない。理由を求めるシンの瞳に、記憶を探り起こしながらキラは答える。

「えっと…バスケ部に用事があるって言ってたけど…」

「ふうん…バスケ部、ねぇ」

「大した用事じゃないからすぐに戻るって言ってたし、大丈夫、」

「そうじゃなくて」

シンの言葉に、キラは首を傾げた。シンはわざとにやりと笑みを浮かべ、言う。

「バスケ部っていったらアスランザラだろ?いいのかよ、あんた」

「何が?」

「だから…会長一人でアスラン先輩のとこに行かせていいのかってことだよ」

そんなこと、言わなくてもわかるだろというように、苛立ち紛れにシンは言う。しかしキラはまるで要領を得ないといった顔で、「なんで?」と言った。あまりのキラのとぼけ具合に、シンはため息まじりに問う。

「…あんたたち、付き合ってるんじゃないの」

シンの言葉にキラは一瞬驚いたように目を見開いたが、しかしまたいつもの表情に戻り。

「僕達は別に、付き合ってるわけじゃないんだよ」

と、静かに言った。が、昨日今日とあれ程仲の良い姿を見せつけて何を言っているんだとシンは首を傾げる。それに、ヨウラン達の話からすれば、キラとカガリの話は殆どの生徒が知っているような雰囲気だったのに。しかしキラの言葉は、全くの正反対だった。

「みんな勘違いしてるみたいだけど、僕とカガリはそういう仲じゃないんだ」

「だって、みんな言ってたぞ」

「よく間違えられて、その都度訂正してるんだけど、信じてもらえなくて…」

シンはじっとキラの顔を見た。キラは本当に困っているというような顔をしていて、とてもじゃないがそれが嘘だとは思えない。

「じゃああんた達は、本当に付き合ってないのか?」

「うん、本当だよ」

「…なんだよ、それ」

それならば何故カガリはアスランを振ったのだろうか。というよりも、そもそもアスランの後輩がキラにちょっかいを出す意味がわからない。それが完全に彼等の勘違いだというのなら、キラは今までどれ程無意味ないたずらを受けてきたというのだ。

シンが一人黙々と思考していると、キラはふと思い出したようにシンに言った。

「あの…今朝はありがとう」

「え?…ああ、ジャージのことか。だからオレは勝手に拾っただけだから、礼なんていらないって何度言えば…」

「拾ってくれただけで、嬉しかったんだ。だからこれは、僕が勝手にお礼を言ってるだけで…ありがとう」

「別に…落ちてたら拾うだろ」

真直ぐに瞳を見ながら礼をいわれ、恥ずかし紛れに視線を逸らしながら言う。しかしキラから返ってきたのは予想外の言葉で。

「そうだと、いいんだけどね」

シンはふと、昼間ヨウラン達が言っていた言葉を思い出した。シンはそんな話初耳だったしそんなこと気にしないから良いけれど、他の生徒はどうだろう。キラと関わらなければ大丈夫、と思いながら、落ちてるジャージも見てみぬ振りをするのだろうか。そしてシンははっと気付いた。

「じゃああんた、ジャージを捨てたのが誰かってことも、全部わかって、」

キラは何も答えなかった。

「なんでだよ、じゃあそいつらにちゃんと言えば良いだろ。会長とは付き合ってないって、」

「言ったよ。でも信じてくれないみたい。いいんだ、仕方ない」

「…なんだよ、それ」

キラと付き合っているわけではないのにアスランを振ったカガリも、振られたアスランのために仕返しをする後輩も、そして何より、全てわかっていながらもただそれを仕方が無いと受け入れるキラも、何もかもがシンには理解できなかった。

「ただいまー」

ばたん、と扉が開き、カガリが戻ってきた。室内の空気に一瞬首を傾げたカガリだが、そこにシンの姿を見つけ思い出したように言う。

「おお、シン、悪いな。お前にバスケ部まで行ってきてもらおうと思ってたんだが、キラが行け行け煩いから行ってきてしまった。もう仕事はないから帰ってもいいぞ」

「なあ、キラ」

「え?」

突然名前を呼ばれ、キラは驚き顔をあげる。しかしシンはそんなことお構いなしに、表情を変えず問う。

「あんた、いつも何時に来てんの」

「えっと…歩きだから、学校に着くのは20分くらいだけど…」

「わかった。…じゃあな」

そう言うとシンは机の上に置いていたカバンを持ち上げ、そのまま生徒会室を後にした。残されたキラとカガリは、突然のシンの質問にわけがわからず互いに顔を見合わせる。

「…シンと、何かあったのか?」

カガリにそう問われるが、しかしキラはわからずに首を傾げた。