04 花と愛育の頃

怪我は酷く、治りの早い僕でも完全に動けるようになるまでは2週間もの時間がかかった。その間艦内で何があったのかはよく知らない。思いも寄らぬことが起こりすぎて、僕には何がなんだかわからなかった。唯一理解できたのは、一度だけお見舞いに来たレイが言った、アスランがプラントに行ったという言葉だけだった。僕は何も言わず、静かに頷いた。


シンはあの日の言葉通り、驚くべきスピードで成長している。アスランがいなくなったこの艦は、すべてシンのお陰で生き残っているといっても良いほどだった。退院した僕は、格納庫で見知らぬ機体を見つける。近くの整備士に尋ねてみれば、それは議長がシンの功績を称えてくれた、新しい機体だった。

「シン、」

休憩室のいつもの席で缶コーヒーを持ち座っているシンを見つけ、僕は近寄る。きっとうまく寝付けていないのだろう、顔色は悪く、今にも倒れそうだ。

「シン、大丈夫?ちゃんと寝てる?ご飯だって、」

「隊長が、プラントに行きました」

シンは静かに言った。僕は頷く。

「もう、貴方を守ることが出来るのは、オレしかいないんだ。オレが敵を倒さないと、」

「シン…?」

シンがぐっと拳に力を入れると、空になった缶がぐしゃりと歪んだ。シンはそれをくずかごに投げ入れ、ソファーから立ち上がる。

「隊長がいなくても、オレが貴方を守ります。だから、心配しないで」

唖然とする僕を横目に、シンはそう言うと休憩室を出て行った。その瞳がまるでかつての自分を見ているようで、僕はそのとき初めて自分が犯した罪に気がついた。



それから数日が経つが、僕は一度もシンの顔を見ていない。僕が逃げたのだ。誰かを守るということがどれほどまでに辛いことなのかを知っているからこそ、僕は彼から逃げ出した。浅はかな僕は、そうすることによってシンは僕のことを忘れてくれると、そう思ったからだ。

レイが僕の部屋を訪ねに来たのは、その日の夜のことだった。


「適当に寛いでいいから、」

僕はそう言ってお茶を用意しに行こうとしたが、レイが「お気遣いなく」と言ったので、僕は引き返しベッドの端に腰を下ろした。レイがこの部屋に来るのは、僕が配属された日以来だ。レイは静かに僕の前に立った。何を言われるかはわかっていた。きっと彼も、シンの異変が僕の所為だということに気付いているのだろう。

しかしレイは僕の前に立つと、静かに頭を下げた。

「お願いです。シンを助けてください」

「…え?」

てっきり罵られるものだとばかり思っていた僕は、突然のレイの行動にただ首を傾げるだけだ。レイは顔を上げると、真剣な面持ちで言う。

「シンはもう、何日も眠っていません。夜も殆ど部屋には戻ってこない。おそらく食事もとっていないでしょう。…自分ではダメなのです。貴方じゃないと、」

「ちょっと待って、どういう、」

「彼は恐らくもう、貴方の言葉しか聞かないでしょう」

レイの言葉に、僕は頷いた。全て僕が悪いということも、そして僕が逃げ出したということも、きっとレイは気付いているのだろう。僕はそっとレイの手をとる。レイが驚いたように顔をあげた。

「きみは、シンのことが好きなんでしょう?」

この質問をするのは2度目だ。レイは、今度は確かに頷いた。

「しかし、それだけではない」

「え?」

僕が首を傾げると、レイはほんの少しだけ、唇の端を上げた。僕は初めて見るレイの笑った顔に、思わず呆然と見蕩れてしまう。

「シンのことは好きですが、でも、貴方のことだって嫌いじゃない」

「…よくわからない」

僕が呟くと、レイはまた優しく微笑み、僕が掴んでいた手を引いた。そして一礼すると、「よろしくお願いします」と言い部屋を出て行ってしまった。



レイが出て行った後も僕は暫くそのままの体勢でずっと考え込んでいた。僕はあの時、どうしたのだろう。考えるが、しかし思い出せない。思い出せるのは、このままにしておいてはいけないということだけで。

僕は上手く寝付けずに、ぼんやりと格納庫に来た。彼の新しい機体、デスティニーを見上げる。僕はずっと彼から逃げていたから、この機体を間近で見るのも初めてだ。そっと手をふれると同時、かたん、と音が聞こえ、僕は振り替える。軍服姿のシンが、驚いたように僕を見ていた。

「どう、したんですが…こんな時間に、」

久々に聞くシンの声は、どこか覇気がない。レイの言っていたことは本当なのだろう。暗闇でもわかるくらいに彼は憔悴しきっている。

「ちょっと寝付けなくて…キミこそどうしたの?」

「自分も…似たようなものです」

沈黙が流れた。シンはその場から一歩も動かずに俯いて立っている。気まずさを感じたのだろう。シンは帰ろうと踵を返す。

「ちょっとまって、」

僕が呼び止めると、シンは驚いたような表情で立ち止まった。

「少しだけ話、しようか」

シンは暫く考え込んでいたが、しかし静かに頷いた。僕はゆっくりとシンに近づく。彼はびくりと怯えたように体を振るわせたが、しかし逃げることはしなかった。

「こうやってゆっくり話するのも、久しぶりだね」

「任務がありましたし、」

「…最近はどう?」

「別に、普通です」

「そっか」

シンの顔を窺うと、彼は困ったように視線を伏せた。また沈黙が訪れる。それを破ったのは、遠くから聞こえる足音だった。かつん、かつんと小さな足音が、確実に近寄ってくる。おそらく見回りか何かだろう。シンはちらりと僕の方をみた。僕は彼を安心させるように微笑み、言う。

「…僕の部屋、行こうか」

シンは静かに頷いた。


彼がこの部屋に入るのはおそらく初めてだろう。きょろきょろと室内を見回すシンを、僕はベッドの端に座らせる。黙って僕についてきたは良いが、不安なのだろう。シンは戸惑いながら扉を見ていた。

「きみには、謝らなきゃいけないことが沢山あるね」

僕が俯きながらそう言うと、シンは驚いた顔で僕を見る。

「え?」

「今更謝ったところで、アスランはもう戻ってはこないんだけど、でも」

でも僕は謝らなきゃならないのだ。ちらりとシンを見ると、シンはとても驚いたように、目を見開いている。

「ちょ、ま…な、なんのことですか?」

「アスランのことだよ。プラントに行くのは、本当はアスランじゃなくてもよかったんだ。でも僕が、」

「確かに隊長が突然いなくなったのは驚きましたけど、でも、それとオレになんの関係が…」

シンはわからない、という顔で首を傾げる。僕はじっとシンの目を見て言う。

「隠さなくていいよ。だってキミはアスランのことが、」

僕の言葉に、シンは驚いたように目を見開いた。思わずベッドから立ち上がっている。

「何言ってるんですか…オレは隊長のこと尊敬してますけど、別にそんな、す、好きとかそんなこと、」

シンは途切れ途切れにそう言う。僕は驚きのあまりシンから目が離せなくなった。シンの言葉はおそらく本当なのだろう。嘘をついているとは思えない。

「そうなの?」

「当たり前じゃないですか!」

念のため確かめたが、しかしシンははっきりと頷いた。

「そっか…よかった」

僕はほっと胸を撫で下ろし、シンの顔を見る。シンはどこか悲しそうに、僕の顔を見ていた。

しかし僕にはわからなかった。シンがアスランのことを好きじゃないというのなら、何故僕のことを守るなんていったのだろう。

「でもじゃあ、なんで僕のこと守るなんて、」

「そ、それは、」

シンは静かにまたベッドの端に腰を下ろした。俯いていた彼が、ちらりと僕の方を窺う。その顔が心なしか赤く見えて、僕は首をかしげた。

「キラさんは、どうしてだと思いますか?」

「わからないよ…だって僕、てっきりキミはアスランのこと好きだって思ってたから…アスランが怪我した僕を心配してたから、アスランに迷惑かけないようにシンがかわりに僕を守るって言ったのかと思ってて…」

「全然違います」

僕は首をかしげた。

「じゃあ…レイが」

「違います」

即答される。アスランもレイも違うとなれば、僕にはもう思い当たるものがなにもなかった。考えてもなにも浮かばなくて、僕はシンを見る。

「わからないよ…なんでキミが、僕なんかを守ってくれるなんて、」

「それは」

シンは言いかけるが、しかし何か思い出したように口を噤んだ。

「シン?」

突然俯いたシンに首を傾げながらも、ベッドに座るシンに近寄りそっと髪に触れた。久々に触れる彼の髪は、相変わらずふわふわとして心地よい。するとシンは、突然顔を上げて、じっと僕の瞳を見た。先刻までとはまるで違う、きらきらとあかい瞳だ。

「オレが、キラさんを守りたいと思ったからです」

「…僕が、足手まといだから?」

「キラさんのことが、好きだから」

突然のシンの言葉に、僕は驚いて彼の髪から手を離す。しかしその手をシンにつかまれ、僕はどうすれば良いかわからずにただ立ち尽くした。

「キラさんが、隊長のことを好きなのは知ってます。でもオレ、諦め切れなくて」

泣きそうだ、と僕は思った。震える声をぐっとかみ締め、僕は言う。

「僕なんかの、どこがいいの?」

「キラさんは素敵です。みんなだってそう思ってる」

「うそだ」

「本当です。オレは、キラさんの真面目に働いてるとこも、たまに失敗して恥かしそうに誤るとこも、野菜を残して怒られているとこも、オレたちを守るために出撃してくれたことも、全部ひっくるめて大好きなんです」

真っ直ぐなシンの言葉に、僕の目は堪えきれずに涙を零す。

「キラさん、」

シンの声が震えた。

「そんなんじゃない。僕は最低だよ。昔の仲間に会うのが怖くて、ずっと逃げてる。なのに一人でいるのは寂しくて、アスランのところに来たんだ。我侭だよね。アスランを頼ってきたはずなのに、都合が悪くなったら彼をプラントにやるんだ。最低だよ。もう戦いたくないって思ってたのに、またMSに乗ってるし、みんなが優しくしてくれるのは僕が特務隊だからなのに、つい勘違いして喜んじゃうんだ」

「違います!みんなが優しいのは、本当にキラさんが好きだから、」

僕は首を振る。シンの手が、恐る恐る僕の頬に触れて、涙を拭った。

「最低の嘘つきだよ。失うのが怖くて、もう誰も好きにならないって思ってたのに、触れてくるキミの手を僕はこんなに喜んでる」

シンの目が驚きに見開かれる。僕はただ涙を零すだけで、何も言わなかった。

シンはそのまま握っていた僕の手を引き、そっと僕の頬に口付けた。そのままシンの手は僕の手を離れ、軍服の中に侵入する。僕は何もいわない。俯いたシンが、ぐいっと僕の腰を引きベッドに引きずり込んだ。されるがままにベッドに倒れこんだ僕を、跨ぐようにシンが圧し掛かる。

「いいんですか?抵抗しないと、最後までやっちゃいますよ」

僕は静かに頷いた。シンの瞳が、ほんの少し悲しそうに過ぎる。

「…本当ですよ。オレ、我慢できるほど大人じゃないし、」

そう言ってシンは、また僕の頬に、首筋に口付ける。ぽろぽろとまた零れだした涙が、シンの頬を濡らした。シンは上体を起こし、僕の軍服から手を抜く。

「…すみませんでした」

「違う、違うんだ、」

「何が、」

戸惑うシンの手を引き、それを僕の軍服の上着の内部に導きいれた。シンの手はびくりと震えたが、恐る恐る中に入る。シンはふと、内ポケットに仕舞ってあったそれを見つけ、取り出した一枚の写真。シンの写真だ。

「オレの、写真…いつのまに、」

「ここに配属される前に、イザークにもらった資料についてたんだ」

「そんな…そんなことされたらオレ、」

「シン?」

シンは呟きながら、起き上がる。僕も合わせて上体を起こした。

「オレ、期待しちゃうよ」

ほんの少し笑いながら言うシンに、僕も微笑む。

「いいよ、期待して」

するとシンが、驚いたように尋ねた。

「でもキラさん、隊長は、」

シンの言葉に、僕は首を傾げる。

「それ、どこからそういう話になったの?僕は一度もアスランのこと好きだなんて言ってないよ」

「でもキラさん、隊長に会いに来たって、」

「そうだよ。だってアスランは幼馴染だし」

「そうなんですか?」

僕は頷く。今更両親のところになど戻れない僕は、その次に過ごした時間の長いアスランを頼って来たのだ。シンは笑っていたのだが、ふと思い出したように僕に尋ねる。

「え、でもその写真、配属前ってことは、オレのこと」

「知ってたよ。慰霊碑の前で会ったときから」

「…やっぱりあれ、キラさんだったんですね」

どうやらシンも覚えていてくれたらしい。僕は一度だけ地球に降りたときに、オーブの慰霊碑の前で彼と会っていたのだ。そのときの燃えるような赤い瞳が印象的で、その後イザークに見せられた資料で彼の姿を見たときはとても嬉しかった。

「きみはてっきり忘れてるのかと思ってた」

「キラさんが何も言わないから、」

シンは立ち上がると、乱れた僕の衣服を直す。

「シン?」

「時間はまだ、沢山あるから」

僕が首を傾げると、シンは優しく微笑み言った。

「オレ、頑張ってキラさんに相応しい男になります。キラさんを守れるような」

「だめだよ」

「え?」

「キミが強くなっちゃったら、僕がキミを守れなくなる」

そう言って微笑むと、シンは恥かしそうに照れながらも僕を見て笑った。



シンに後から聞いた話に寄れば、シンはずっと僕のことが好きだったらしい。どうやら全て、僕の勝手な勘違いから始まったことのようだった。シンは僕のことを好きだと言って、僕もシンのことを好きだといった。シンのことを好きだといっていたレイは、数日後また元気を取り戻したシンを見て、嬉しそうに微笑んでいて僕は少し心が痛んだ。すると様子を見ていた僕にレイは気付いたらしい。こちらに歩み寄り、ぺこりと一礼する。

「あなたのお陰です。ありがとうございます」

「でも僕、キミがシンのこと好きって知ってたのに」

「…そのことですが、」

レイは言う。彼曰く、シンも好きだし、議長のことも好きだし、何故か僕のことも好き(嫌いじゃない)らしかった。ちなみにアスランは普通で、それ以外はどうでも良いそうだ。

「でもキミ、僕のこと嫌いじゃなかったっけ」

僕がそう言うと、レイは頷いた。

「少し前の貴方なら、絶対に反対したんですがね。…貴方は飾らずに素直にしてたほうが良い」

「…僕、そんなに変わったかな」

レイは少し驚いた顔をしたが、しかし微笑み頷いた。2度目の彼の笑顔はとても心地よくて、僕もつられて微笑む。僕は全てを悲観しすぎていたらしい。シンに出会って。戦場ではない場所で僕を必要としてくれる彼に出会って、漸く僕はそれに気付いた。結局のところ僕は、何も変わってはいなかったのだ。上辺だけ変わったように繕っただけで、本質的なものは何も変わらない。おそらくそれは、アスランも同じなのだろう。僕はもう少し落ち着いたら、アスランにまた会いに行こうと思った。彼とはまだ、再会の挨拶も何もしていないのだから。

「キラさん!」

名前を呼ばれ、僕は振り返る。続いてぱたぱたと走る足音が聞こえてくる。ここの廊下は弧を描いていて、暫くしてようやくシンの姿が見えた。

「シン、どうしたの?」

「射撃訓練やりましょーよ」

「え」

射撃は苦手だ。それはシンも知っている。僕が顔を引きつらせると、レイがくすりと笑った。

「丁度良いですね。自分も行く予定だったので」

「じゃあレイも一緒に行くか」

あれから数日、シンはすっかり元の様子に戻った。だが強くなる、という決意は薄れていないらしく、こうしてよく一緒に訓練しようと誘ってくるのだ。僕だって出来れば一緒に訓練したいが、しかし射撃だけはどうしても上手くできない。

「じゃあ2人で行ってきなよ。僕、見ててあげるから」

「ダメですよ。キラさん、自分だって強くなるって言ったじゃないですか」

「そりゃ、そうだけど」

「オレが手取り足取り教えてあげますから」

シンはにこりと微笑む。楽しくて仕方が無いらしい。昨日はシンの苦手な(というよりも僕の唯一得意な)シュミレーションで僕に惨敗したものだから、きっと仕返ししたくてたまらないのだ。シンは乗り気にならない僕の手を引き、歩き出す。

「そうだ、僕、書類を艦長に提出しなきゃいけないんだった」

「それなら自分がしておきますよ」

にやり、と笑いレイは言う。明らかに嫌がらせだ。

「…きみ、さっき僕のこと好きだって言ってたじゃないか」

「あなたのことは嫌いじゃない、と言ったんです。シンは好きですけどね」

レイがそう言うので、僕は渋々部屋のカードキーを渡した。レイがそれを受け取るや否や、シンは待ちきれないとでも言うように僕の手を引き歩き出す。

「じゃあレイ、終わったらお前も来いよ!」

レイの返事も待たずに、シンは言いながら走り出す。僕はちらりとレイを見ると、レイは楽しそうに笑っていた。僕も慌ててシンの後を追った。









どうもシリアスに徹しきれずにいつもラストで路線を変えてしまうんですが、
やっぱみんなが幸せなのが一番ですね。