距離を離す、そう考えていたはずなのに。まだ3日も経たないうちに、僕と彼の距離は確実に近づいてしまっていた。関わってはいけないとわかってはいるのだが、しかし彼との会話はとても心地よく、どうしても離れることなど出来なかった。核心に迫らなければ、気付かなければ大丈夫、と自分に言い聞かせ、僕は扉を開け入ってくるシンに微笑みかけた。
「キラさん、また野菜残して怒られたんですか?」
僕はぎくりと肩を揺らした。休憩室のソファーに腰掛けココアを飲んでいた僕の隣に、シンが腰を下ろす。確かに今朝、いつものように野菜を残してコックに怒られてしまった。しかしその場にシンはいなかったし、レイやアスランだっていなかったはずなのに、どうしてシンが知っているのだろう。
「な、なんで知ってるの?」
「さっき食堂に行ったら、ヨウランたちが」
そういえばシンとヨウラン達は同期であり、友達なのだという話を聞いたことがあるような気がする。さらに思い出してみれば行動する時間帯が似ている僕と彼等は多分食堂に入ったのも同じ時間で、だからあのやり取りを見ていたのか。
「でも半分くらいは食べたのに…」
以前は一口も食べられなかったのだが、しかし今朝はなんと半分も食べたのだ。するとシンはくすくすと笑い出す。
「全部食べなきゃダメですよ」
僕は溜息をついて空になった紙コップを両手で握った。そろそろ格納庫に戻らなければ。すると隣にいたシンが、すっと立ち上がる。いつの間にかコーヒーは飲んでしまっていたらしい。空になった缶を右手に持ち、そして左手で僕が握っていた紙コップを取った。
じゃあ、と言って、シンは缶と紙コップをくずかごに捨てると、休憩室を出て行った。シンの笑顔を見たのは、それが最後だった。
「敵は新型…僕が出ますか?」
ちらりと艦長の顔を窺う。艦長は深く考え込んでから、しかし首を振った。
「もう少し、様子を見てからにします。一応準備はしておいてちょうだい」
僕は頷き、パイロットルームに向かった。
敵はロゴスが作った新型で、レイ、アスラン、シンの3人が出撃しているが、しかし太刀打ちできないのだろう。着替え終わった僕はぼんやりとガラスに近寄り格納庫を見下ろした。なにやら騒がしそうに整備士達が歩き回っていて、僕は首を傾げる。間もなくして、パイロットルームにレイが戻ってきた。
レイは僕の顔を見て、そして全身を見て驚いたように目を見開く。
「まさか…出撃するつもりですか!?」
「キミこそ、もう戻ったの!?シンとアスランは、」
レイはぐっと拳を握り俯く。きっとシンを残し自分だけ戻ってきたのが悔しかったのだろう。
「戦闘中ですが…どれくらい持つか、」
僕はち、と舌打ちすると、格納庫へ向かう扉に手をかけた。すると
「待ってください!」
呼び止められて、僕は立ち止まる。
「たとえあなたが強かったとしても、あれからもう1年も経っています。そして今ある機体は、かつてのフリーダムの模倣だけだ。新型の我々にでさえ敵わないというのに、とてもじゃないが勝ち目は…」
「やってみなきゃ、わからないだろ」
確かに僕は、1年間まともにMSに乗っていなかった。1年間、前線で戦ってきたアスランが太刀打ちできない敵に、1年のブランクがある僕が勝てるかどうかはわからない。しかし勝たなければならないのだ。シンやアスランのためではない、自分のためにも。
あの日大破したフリーダムの変わりに議長がくれたのは、フリーダムに非常によく似た機体だった。全く同じにはならない、と言っていたが、しかしこの機体は非常によく僕の手に馴染んでくれる。突如現れた僕に、アスランとシンは同時に僕に通信を入れようとしたが、しかし僕はそれを遮った。予想通り、彼等は依然押され気味だ。僕は彼等を庇うようにして、前に出た。
「キラ…お前、なんで、」
僕が目を開くと、目の前に真っ白な天井が広がっていた。あたりを見回すと、ベッドの脇に座っていたアスランが驚いたように目を見開いて言う。久々に、彼の声で名前を呼ばれたと思った。アスランはそっと僕の前髪を撫でる。
「僕は大丈夫だよ、気にしないで」
「お前はいつもいつも無茶ばかりして、」
懐かしさを感じるその言葉に、僕は静かに微笑んだ。
「君が気に病むことなんてないよ。…任務なんだから、ね」
「そう、だな」
アスランの顔に、ほんの少し悲しみと後悔の影が過ぎったが、僕は気付かない振りをする。今更もう、遅いのだ。この1年間で君は変わってしまった。君が漸く昔を思い出したところで、あの頃の君はもうどこにもいないのだから。
「議長が、新しい艦の艦長を探してるんだ。君ならきっと向いていると思うよ。プラントに言ってみれば?…こんなときに言うのもなんだけど、なかなか話す機会がなかったから」
「…ああ」
アスランは頷くと、静かに立ち上がり部屋を出た。僕は何も言わなかった。
結局ロゴスの幹部達には逃げられてしまったのだが、しかし敵の新型は倒すことが出来た。やはり型落ちの機体で戦うことは難しかったらしく、僕が今こうやって生きていられるのも軌跡だと医者は言っていた。
扉が開いて、僕はそちらを見た。医者だと思ったのだが、しかし入ってきたのはシンだった。彼も僕ほどではないが重傷を負っており、違う部屋にいると聞いていたのだが。
「怪我、大丈夫?」
シンの顔色は冴えない。僕が窺うと、シンは悲しそうな、悔しそうな表情で言った。
「…キラさんのほうが酷いじゃないですか」
「そうかもね」
僕は笑った。ベッドの脇にあるイスを視線で促すが、しかしシンは首を振る。シンがなにやらとても思いつめたような表情をしていて、僕はじっとシンの顔を見た。シンの視線はぐるぐるに巻かれた僕の包帯から離れない。
「すみませんでした。…オレのせいで、」
「いいんだよ、僕が勝手にやったことなんだから」
任務だから、とは言えなかった。僕は彼を安心させようと微笑むが、しかし彼の顔はますます悲しみに歪むだけだ。
「シン?」
シンは痛々しく包帯の巻かれた手を持ち上げ、僕の手を握った。ちくり、と傷が痛んだが、顔には出さない。痛みよりも、シンの様子がおかしい方が気になった。シンはぎゅっと僕の手を握る。
「キラさん…もう、出撃しないでください。出撃しなくていいです」
「…シン?」
突然のシンの言葉に、僕はわけがわからず首を傾げる。僕の手を握るシンの手は、熱い。
「オレがもっともっと強くなります。オレがキラさんを守ります。だからもう、出撃しなくていいです」
僕は驚いて声が出なかった。シンはそれだけ言うと僕の手を離し、一礼してから医務室を出て行った。僕はただ呆然と、立ち去る彼を見つめることしか出来なかった。