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特にすることもなくぶらぶらと艦内を歩いていたアスランがひょこりと休憩室を覗くと、中には今朝出かけたはずの部下、シンアスカが、靴のままソファーに足を乗せ、壁によりかかるようにして雑誌を読んでいた。

「シン、戻ってたのか」

アスランの呼びかけに、シンは読んでいた雑誌から顔を上げる。こちらに歩み寄るアスランに、シンは雑誌を閉じながら言う。シンは、アスランを立派な上司だと思っている。あまり実力のない黒服の人間よりも、よほど彼は有能で立派だとシンは思った。だから、常に上官や教師とソリが合わなかったシンも、アスランの言うことはきちんと聞いていて、いつも同期の人たちに不思議がられる。

「さっき戻ってきたとこですけど…どうかしましたか?」

シンは首を傾げる。今はオフだから、訓練も任務もないはずだ。アスランは、ふ、と笑うと、首を横に振る。シンは彼の笑顔が好きだ。同じ隊で友人のレイは滅多に笑わないから、綺麗に微笑む彼の笑顔が好きだった。

「いや、もっとゆっくりしてくると思ってたからな」

そういわれてみれば、とシンは壁にかけてある時計を見た。自分が外に出てから、まだ2時間程しか経っていない。自分達より先に出かけていった者達は、まだ帰ってきていないようだ。アスランは、シンと反対側のソファーに座る。

「ん?それは何だ?」

アスランはシンが持っていた雑誌を覗き込み言った。

「漫画ですよ、漫画。やっぱオーブのが一番面白いので」

そう言って雑誌を片手にひらひらと振るシンに、アスランは首を傾げる。

「漫画?オレはてっきり…」

続きを言わないアスランに、シンはどうしたのかと視線を手繰る。彼はじっと本の表紙をみていて、心なしか頬が赤い。シンは、ああ、と納得し、言った。雑誌の表紙には、水着を着たシンと同年代の少女が、際どいポーズで写っている。

「グラビアですか?これは、漫画の巻頭にもれなくついてくるんですよ」

確かプラントではこういった形式の漫画雑誌は無かったので、きっとアスランは知らなかったのだろうとシンは納得した。彼は、生粋のプラント育ちで、しかもエリートなのだから、もしかしたら漫画すら読んだことがないのかもしれない、とシンは密かに思った。

「へえ、シンはこういうのが好みなのかと思ったよ」

照れた笑いを浮かべながら言うアスランに、シンは首を振る。

「ヨウラン達と一緒にしないでくださいよ。それにオレ、こーゆーのはタイプじゃないし」

「じゃあどういうのが好みなんだ?」

「こ、好みですか?」

なんでこんなことを教えなければならないんだ、と思いながらも、しかし有無を言わせぬ雰囲気のアスランに、シンはどうしようかと戸惑う。好みといったって、学生時代は自由奔放、自分で言うのもなんだが決して女子には好かれないような自己中でガキ大将的な存在だったシンは、もちろん過去に彼女などいたこともなく、好きな子すらいないに等しかった。異性を意識したことなんてなかったのだ。どうしようかと悩んだ末、シンはふと、先刻見かけた不思議な人物のことを思い出す。

「あー…特にないですけど…今日オーブで見かけた人なら結構好みかも」

「どんなヤツだ」

苦し紛れにいった言葉をさらに問われ、シンは必死に記憶を掘り起こす。

「背はオレと同じくらいの細身で、茶色い髪で中世的な顔した人でした。オレ最初女だと思ってたんですけど、声かけたら男で…」

「男と女の区別くらいつくだろう」

「逆光でよく見えなかったんですよ。でも、すっごい綺麗で」

思い出しているのか心なしかにやけた顔で言うシンに、ふうん、とアスランはつまらなさそうに頷いた。

「しかし、よく見えないのに好みだと思ったのか?」

「なんていうか…すごい綺麗な紫色の瞳で…全体的な、雰囲気がこう、なんというか…」

記憶力の良くないシンでも鮮明に思い出せるほど、彼の瞳は印象的だった。綺麗で、でもそれだけではない何かがあったのだ。曖昧なシンの言葉に、アスランは笑いながら首を傾げる。が、ふと何かが脳裏を過ぎり、はっと顔を上げた。先刻まで微笑んでいたアスランが急に真面目な顔になり、シンは不思議と首を傾げる。

「細身で茶髪で紫の瞳…」

「どうかしましたか?」

ぼそりと呟くアスランに、シンは尋ねる。アスランは、シンの言葉など聞こえていないかのように、また深く何かを考え始めた。

「…名前は?聞いていないのか?」

問われ、シンは首を振る。

「ちょっと喋っただけだし…でも、プラントに住んでるって言ってました。コーディネーターかな。知り合いですか?」

シンの言葉に、アスランは静かに首を横に振ると、しかしまだ何か払拭しきれていない微笑をシンに返す。

「いや…まさかな。それに茶髪に紫の瞳なんて、よくある話じゃないか」

「でも綺麗だったんですよ」

「どこで会ったんだ?まさかまた他人に迷惑かけたり、」

「してませんよ!」

頬を膨らませて怒るシンに、アスランはいつものように優しい笑みを返した。シンはいつも通りのアスランの様子にほっと息をつき笑う。

「オーブの慰霊碑のとこで会ったんです。でも、話だって少ししかしてないし、」

だから迷惑なんてかけてない、と言おうとしたところで、またアスランの様子がおかしいことに気付いたシンは、心配そうに彼の顔を覗きこんだ。アスランはまた何かを深く考え込むように俯いている。

「オーブの…慰霊碑、」

「隊長?」

シンが目の前でひらひらと手をふりながら呼びかけると、アスランははっと顔を上げた。

「さっきからなんか変ですよ。どうかしましたか?」

心配そうな声で呼びかけるシンに誰かの面影が重なって、アスランは目を閉じる。

「…そんなわけない。もう、終わったんだ」

「…隊長?」

「なんでもないよ。それよりシン、ヒマなら射撃の訓練でもしてこい。レイは今朝からずっとやってるぞ」

にこりと笑うアスランはいつもと変わらない彼で、シンはほんの少しの疑念を抱きながらも、頷いて射撃場に向かった。見送る彼の顔はやはり、いつもと変わらなかった。でもシンは、それを素直に喜ぶことが出来なかった。



「まさかキミの方から連絡してくるとは思わなかったよ」

ふふふ、と笑って、アスランはディスプレイを見た。写っているのは画面越しでもわかるさらさらとした銀髪を持つ、イザークだ。戦後同じ軍にいながらも、彼とは一度も連絡を取っていなかったため、突然の彼からの電話にアスランはとても驚いた。イザークは以前と変わらぬ苛々とした表情でアスランに言う。

「誰が好き好んで貴様なんぞに連絡するもんか。…今日はちょっと、確かめたいことがあってな」

「確かめたいこと?」

ラクスのことだろうか、とアスランは思った。彼とアスランとの共通の話題としては、ラクスかカガリあたりしかいないだろう。ミネルバのことは、艦長に聞けば良いのだから。しかしイザークの言葉は、思いも寄らぬものだった。

「フリーダムのパイロットのことだ」

なぜ今更、とアスランは思った。忘れようとしていた何かがこみ上げてきて、アスランの顔から笑みが消える。

「どうしてそんな話を君が」

「ヤツはどうなった?」

アスランの問いに返事はなく、矢継ぎ早に送られてくる質問。アスランは画面上の彼すら見ることが出来ず、溜息を吐き言う。

「どうなったも何も、彼はあの対戦でMIAだ。お前だって一緒に探しただろう」

アスランの答えに、イザークはにやりと笑う。嫌な笑みだ、とアスランは思った。

キラは戦後、行方不明となった。あの時宇宙に飛び出たトリィも、そのまま姿を消した。半年における捜索の末、見つかったのはばらばらになったフリーダムと、からっぽのコックピットだけだ。そしてそれを見つけたのは、他でもない、アスランとイザークだった。

「あれから連絡はないのか?」

「ない」

「死んだと思うか?貴様は」

イザークの問いに、漸くアスランは顔を上げる。戦後2年が経過したが、一向にキラからの連絡はない。アスランだけでなく、誰にも連絡は来ないのだ。アスランはもう、覚悟を決めている。

「そう、思わざるをえないだろう」

苦しそうに呟くアスランを見、イザークはふん、と鼻で笑う。

「そうか。ならば貴様に用はない」

「おい、イザーク待て!それはどういう、」

そう言ったきり、ぶつりと途切れてしまった回線に、アスランは必死に叫ぶ。が、ディスプレイに写っているのは暗闇だけで、音声すらも届かずに静まり返った室内に反響した。

「なにやってんですか、隊長。声、廊下まで響いてましたけど」

扉の隙間から、覗きこむようにシンが言う。たまたま廊下を通りかかったらアスランの部屋の扉がきちんと閉まっておらず、どうしたのかと思い覗き込もうとしたところ、突然取り乱したような彼の声が聞こえたのだ。しかしそんなシンの声すら気付いていないアスランは、がん、と握った拳を壁にぶつけた。

「隊長、」

「なんなんだよ、一体」

これほどまでに酷く苦しい顔をするアスランを、シンは初めてみた。そしてようやくアスランはシンに気付いたらしく、どうしたのかといつもの笑みで問いかけられるが、シンに答えは見つからなかった。




「どうしたの?ご機嫌だね」

ふふんと鼻歌を歌いながら部屋に入ってきたイザークに、少年は問いかける。イザークは「当然だ」と言うと、自分で茶を入れ、部屋の真ん中にあるソファーに腰掛けた。少年もイザークが座るその向かい側のソファーに腰を下ろす。

「それより資料に目は通したか?議長直々だぞ」

「うん、見たよ」

にやにやと笑う上機嫌なイザークを、まるで自分のことのように喜ぶ笑みを浮かべ少年は頷く。イザークはテーブルに上がっている書類の山を片手で崩すと、中から数枚の書類を見つけ、少年に差し出した。

「見ただけで、覚えてはいないだろ。とりあえず、最低でもこの3人は覚えておけ」

彼とはまだ短い付き合いだが、しかし彼がどういう人物かということは把握している。彼は、興味の無いことは全く覚えようともせず、感心すら示さないのだ。きっと目を通したというのも嘘だろう、とイザークは思った。

ばさりと乱暴に3枚の書類を受け取り、少年はそれにざっと目を通す。すると添えられた3枚の写真のうちの1枚に興味を示したらしく、残りの2枚をテーブルに戻した。

「おい、」

「わかってるってば。それに、その2人はもう知ってる」

テーブルに捨てられた書類2枚に書かれている名は、アスランザラと、レイザバレル。そして少年が未だ眺めている書類には、シンアスカと書かれている。

「そいつがエースだ」

「え?アスランは」

「もうエースだのなんだのという立場や年齢じゃないだろう」

それもそうか、と少年は頷くが、内心はよくわからなかった。軍に入ってまだ1年、それも裏口入学のようなものだから、軍の勝手は全くわからない、し、それに興味もない。今のところ興味があるのは、この書類の少年についてだけだった。

書類から目を離す様子のない少年に、イザークは溜息を吐く。

「…気に入ったのか?そいつを。アスランはどうする」

「彼次第だよ」

少年は静かにそう呟くと、書類からシンの写真を抜き取り立ち上がる。イザークは咎めようかと思ったが、この書類は彼のために用意したものだから、その写真をどうしようと彼の自由だ。彼が漸く手を離したシンの書類を、イザークは拾い改めて眺める。書かれているのは名前と生年月日、出身地のほかに、アカデミー時代の成績がグラフ状になっているだけだ。座学が極端に悪く実技が極端に良いが、それ以外は他の人間と何ら代わりのないデータだ。写真にしても、この書類は正規のものではないため、イザークの部下がミネルバに侵入しこっそりと写してきたものだから、顔も殆ど正面を向いていなかったはずだ。

それを大事そうにかかえ、つかつかと部屋の扉に向かう少年をイザークは呼びかける。

「キラ」

なあに、と言い、キラは振り返った。ひらりと赤い軍服が翻る。似合わない、とキラは自分で思ったが、イザークが言うには緑だと低すぎて、白や黒だと高すぎるから、赤くらいが丁度良いとのことだった。もっとも、キラはパイロットではなく技術士としてこの艦にいるので、服の色は関係ないのだが。

「出発は明日だ。仕度はしたのか?」

「もちろん。今すぐにでも出発できるよ」

にこりと微笑むキラの顔には、不安や恐れなどは見当たらない。イザークは、凄いヤツだ、と思った。キラとは1年間同じ部隊にいたが、一度も彼を理解できたことなどない、とイザークは思う。それを同じく部下であるディアッカに言ったところ、そんなもんだと慰められた。そんなものなのだろうか、とイザークは考える。が、答えは見つからない。

「明日はディアッカが送ってくれるんだっけ?」

扉から半身をはみ出しながら、キラは振り返り問う。

「ああ。オレもついて行く。挨拶があるからな」

「そっか。じゃあね」

ひらひらと手を振り、キラは扉を閉める。ひらりと赤い上着の裾が、舞うように消えた。何もなくなった白い扉を、イザークはぼんやりと眺めた。彼は一体、どこで何を間違えたのだろう、と思った。だが考えてもイザークには何も分からなくて、また溜息を吐く。戦争がいけなかったのか、それとも、彼自身がすでに、間違っていたのだろうか。ちらり、と机に落ちた書類のひとつ、にこやかに笑うアスランの写真を見て、イザークは無性に腹が立ち机に積み上げられた書類の山を足で蹴った。ばさばさとそれは崩れ、アスランの写真もろとも床に散らばってしまう。彼自身がはじめから間違いだったというのなら、それは間違っていないと同義である。

「間違えたのは…我々か?」

問いかける声は、しんとした室内に静かに響いた。ディスプレイに写ったアスランを見たとき、イザークは変わらないな、と思った。しかし、彼は変わったのだ。そしてイザーク自身も変わってしまったため、それに気付けなかった。イザークはがしがしと頭をかいた。考えれば考えるほど、思考がどこかにいってしまう。

変わらないキラを前に、変わってしまったアスランはどうするのだろうか。それを見てみたいとも思うが、怖いとも思う。煮え切らない自分に苛立ち、がん、とテーブルを足蹴にすると、ぱりんとカップが床に落ちて割れた。









最初は結構アス→シンで、アス→キラで、レイ→シンだけどシンキラです。