01 帰路

月曜日の朝。小さなレンタルビデオ店のカウンターで、シンは大きなあくびをした。今日は平日だが、昨日の日曜が学校行事で潰れ今日が振り替え休日となったため、シンはここにいるのだ。現在の時刻は10時を少し過ぎたところ。開店が10時なので、まだ客は殆どいないし、店員もシン以外には誰もいなかった。

それから数十分後、自動ドアが開く音がなりシンが挨拶をしながら顔を向けると、入ってきたのは意外なことに、シンと同年代と思われる男子校生だった。今時珍しい、学ランの中にジャージを着ている。その制服がどこのものかはシンにはわからなかったが、彼の容姿から察するに高校生で間違いないだろう。しかし聞いた話では今日はシンの学校以外はきちんと授業があるはずなのだ。シンはもう一度時計を確認するが、やはり10時を過ぎたところに変わりはなかった。

少年はそんなシンの視線に全く気づかず、シンの目の前を通り過ぎると棚の奥へ消えてしまった。あれだけ堂々とこんな時間に歩いているのだ、どうせサボりだろう、そう思いなおし、シンも気にしないことにした。

暫くして、少年はビデオを1本持ってカウンターにやってきたのだが、シンは彼の持つビデオのタイトルを見てとても驚いた。彼が持ってきたのは限りなく胡散臭そうな宇宙人に関するドキュメンタリーで、シンはこんなビデオが店にあったことも知らなかったし、借りている人を見るのも初めてだ。あまりの驚きにビデオと少年を交互に見つめるが、少年はそんなシンの視線には気づかずに、ごそごそとカバンをあさって財布を捜している。

AVとかじゃないからまあいいか、そう思いながらぼんやりと少年を見ていたシンだったが、ふと、顔を上げた少年と目があった。きっとマニアックな男なんだろうなあと考えていたのだが、予想に反し彼はとても整った顔立ちをしていた。おそらくコーディネーターなのだろう。そして、背丈や髪の色はどこにでもいるような普遍的なものだが、その瞳はとても印象的で、まるで惹きつけられるようにシンは彼に見入った。シン自身コーディネーターなため、シンの周りにもコーディネーターで美形の友人は数多くいるが、しかし彼ほど印象的な人は、シンは今まで見たことがなかった。

「これ、好きなんですか?」

シンは思わず彼に話し掛ける。

「え?」

突然のことに少年は驚いたように顔を上げた。まさか店員に話し掛けられるとは思ってもいなかったのだろう。きれいな瞳が、ほんの少し驚愕に見開かれていたが、すぐに

「はい、まあ」

と曖昧な返事を返した。

返答が返ってきたことが嬉しくて、シンは思わずにこりと微笑む。すると彼は驚いたように、そして不思議そうにシンの顔を見つめた。

彼が気になっていたのは、シンの瞳がとてもきれいな赤色をしていたからだ。今までいろいろな人と出会った中で赤い瞳の人は沢山いたが、しかしそれでもシンの瞳以上に赤い赤色は見たことがない。

じっと凝視され、シンはほんの少し困ったように首をかしげた。お釣りも渡したし、ビデオも渡した。けれど、彼は動こうとしない。

「あの、」

それならばまた話し掛けてみよう、そう思い呼びかけると、彼ははっと急に動きを取り戻し、即座に店を出て行ってしまった。

シンはふと興味本位で、先ほど入力した会員ナンバーを調べた。

「カリダ・ヤマト?」

シンは首を傾げた。彼は男なのに、これは明らかに女の名前だ。

「誰かのカードを借りたのかな?」

この店の会員カードは無料で作れるのに、変な人だ、ととりあえずシンは納得することにした。



その日から数週間後、シンは店番をしながらずっと彼がやってくるのを待っていたのだが、彼が現れることはなかった。

そしてまた数日が経ち、彼と出会った日から丁度1ヵ月後の朝のことだった。シンはなんとなく学校に行く気になれず、ふらふらと街中を歩いていた。友達を誘おうにも皆は今授業の真っ最中だし、ゲーセンで時間でもつぶそうかと思ったが、財布の中には遊びに使える金などなかった。しかし家に帰る気にもなれず、シンはただ何をするわけでもなく、ぼんやりと道を歩いていた。

人通りの多い交差点にさしかかり、赤信号で立ち止まる。何と無く反対側で立ち止まっている人々を眺めていたら、横断歩道の手前、現在シンが立っている場所の丁度対岸にあの日みた学ラン姿を見つけ、シンは驚いた。まさかこんなところで会うとは思ってもいなかった。彼は以前と同じように学ランの中にジャージを着ており、ぼんやりと車の流れを見つめている。シンは携帯を開き時刻を確認した。午前11時、月曜。信号が青に変わり、人々が歩き出す。シンは一旦人の波から外れると、彼が通り過ぎたのを確認してからすぐにその後をつけた。


バスに乗られたらどうしようか、と思ったが、彼はそんな様子はなくてきぱきと歩きつづける。シンの知らない道だったためここがどこなのかいまいち把握できなかったが、彼に続いて交差点を左折した時、そこがシンがバイトしているレンタルビデオ屋の近所だということに漸く気づいた。まさか、と思ったが、シンの予想通り彼はビデオ屋に入っていく。シンもすかさず店内に入った。

彼は以前と同じくカウンターの前を通り一直線に店の奥に行くと、最奥の棚からよくわからない白黒のビデオを取り出し、またすたすたとカウンターに向かった。

「…また変なビデオ借りてる…」

棚の影に隠れ、シンはぼそりと呟いた。彼は宇宙人とかそういったオカルト系が好きなのだろうか、と思っていたのだが、今日彼が借りたのは古い時代劇のビデオだった。

「何やってんだお前」

「うわぁ!」

ぽん、と肩を叩かれて、シンは思わず叫び声をあげた。そして直後両手で口を抑え、彼の様子を確認する。幸いなことに彼は丁度店を出て行ったところで、シンの声は聞こえなかったらしい。

シンが振り返ると、バイト仲間のヨウランがにやにやしながら立っていた。

「なんだ、ヨウランか」

彼はシンと同年代だが、高校に行かずにここで働いている。小学校の頃からの友人であり、シンがこの店で割と自由に、しかも良い賃金で働くことが出来るのも、この店がヨウランの父親の店だからだ。

シンは驚いて損した、と大きくため息を吐く。その様子をみて、ヨウランは笑いながら言う。

「ストーカーか?変態だな、お前」

どうやら見られてしまったらしい。が、シンは彼の後をつけるために一緒にカウンターの前を通ったのだから、そこにいたヨウランは気づいていて当然だ。

「笑うな!そういうわけじゃねーよ」

にやにやと笑っているヨウランの腹部に一発拳を打ち込み、シンは弁解する。そしてふと気づいた。この店の店員はシンとヨウランと彼の父親の3人だが、ヨウランの父は滅多に店に出てこないから、実質店員はシンとヨウランだけのようなものだ。ということは、自分がいない日に彼がもし来ていれば、ヨウランがそれを覚えているかもしれない。

「なあ、あの人っていつも借りに来るのか?」

シンの言葉にヨウランは首を傾げた。が、すぐに誰のことかわかったらしい。

「月曜の午前中はいつも来るな。早いときは10時過ぎ、遅くても12時までには絶対来るぜ」

「でも学校は?毎週サボってるっていうのかよ」

いくらサボり癖のあるシンでも、毎週サボるとどうなるかくらいはわかっていた。それに、そもそもサボりというのはかったるいからサボるのであって、彼のように毎週決まった曜日、時間にサボるというのは少しおかしい。ということは、サボっているわけではないのだろうか。と思ったけれど、学校に行かずにビデオを借りるなど、サボり以外の何者でもないじゃないかとシンは自問自答する。

「オレが知るか」

ヨウランは言う。その通りだとシンは思った。

彼が何故毎週同じ時間帯に来るのかもわからないが、何故自分がそうまでして彼と出会いたいのか、という疑問もあった。彼がサボっている理由と同様、それはシン自身考えても全くわからなかったけれど、もし彼と出会えたら、友達になれればいいな、とシンは考えていた。

ヨウランに別れを告げ、シンは店を出た。当然のことながらそこにキラの姿は無く、シンはバス停からバスにのり学校に向かった。



次の週の月曜日、シンはまた学校をサボり、店の前に来ていた。入り口の傍に腰を下ろし、彼が来るのを待つ。下手に動き回るよりもここで待っていたほうが確実に彼と出会えると思ったからだ。

季節は秋。もうすぐ冬だ。朝だからか外はうすら寒く、シンは店の前にある自販機でホットの缶コーヒーを買った。飲むためではなく、暖まるだめだ。手のひらで暖かいコーヒーをころころと転がしながら、彼が来るのをじっと待った。

12時になる少し前、彼はまたいつものように店にやってきたのだが、シンは彼に気づかなかった。シンには大きな誤算があった。それは、シンが前日夜更かししてしまったことによる。外は薄ら寒いものの、他にすることのないシンは、いつの間にか座ったまま眠ってしまったのだ。彼は入り口を通る際、眠っているシンに気づいたのだが、ほんの少し首を傾げながらも店内に入っていき、数分もしないうちに借りたビデオを手にし、店を出た。その間わずか5分、もちろんシンが目を覚ますことはなかった。


「おいシン、起きろ!なんでお前こんなとこで寝てんだよ」

がくがくと肩を揺さぶられ、シンは目を覚ました。座った大勢で眠ってしまったためだろう、身体中がばきばきする。目を覚ましたものの意識はまだ覚醒しきれていないらしく、シンはごしごしと目を擦った。

「…今何時」

ぼんやりとたずねるシンに、呆れた様子でヨウランは言う。

「2時過ぎたとこだ。あの人、とっくに帰ったぞ」

あの人というのは、もちろんシンが待っていた彼のことだ。ヨウランはずっと店内にいたため、シンが外で彼を待っていたことに気づかなかったのだ。先刻違うお客さんが、入り口横で高校生が眠っていると教えてくれたから良いものの、そうでなければシンはずっとあそこで眠っているはめになったかもしれない。

「畜生ー…寝ちまった…」

シンはぐっと大きく伸びをした。次のチャンスは7日後だ、そう思い立ち上がるシンの足元に、ばさりと音をたてて何かが落ちた。

「何だ?」

シンは下を見る。足元に落ちたのは、どうやら誰かの衣服らしい。どうやら外で眠っているシンを心配して、親切な誰かがそれをかけていってくれたらしい。世の中には親切な人がいるなあ、そう思いながらシンは、寝る前に買った缶コーヒーでも飲もうかと思い地面を探る。が、どこにも缶コーヒーはなかった。まだ開けてなかったから、誰かが持っていったのだろうか。この服をかけてくれた人ならいいな、と思いながら、シンは足元に転がる衣服を拾い上げる。

「これは…」

シンにかけられていたそれは、学ランの上着だった。はっと気づいたシンは、ばさばさと学ランを探る。予想はつく、し、それは多分間違いではないのだろう。黒い学ランにちらりと白い何かが見え、シンは学ランを広げた。それは胸元についたネームプレートだった。そこに書かれている文字を見て、シンはにやりと笑う。

「あの人のだ」

ネームプレートには、白地に黒で、ヤマトと書かれていた。


シンは店を飛び出しバスに乗ると、急いで学校に向かった。彼の学校ではなく、自分の高校だ。ちらりと教室を覗くと、どうやらもう6時間目が始まってしまっている。廊下から覗くシンに気づいたルナマリアが、シンに向かって手招きした。どうやら自習で先生はいないらしい。

「シンってば何やってたの?てゆーか何で今更来たのよ」

「今来ても出席にはならないぞ」

シンのクラスメイトであり中学の頃からの友人のルナマリアとレイが、口々に言う。

「どーでもいいだろ。それより、この制服どこの学校のか知らないか?」

そう言うとシンは抱えていた学ランを机に広げた。本当ならばすぐに彼の高校に向かいたいところなのだが、シンは制服なんて自分の高校のものしか知らないし、ヨウランは高校にすら行っていないため、彼がいったいどこの生徒なのかわからなかったのだ。レイは頭がいいし、ルナはなんでも詳しいからきっと知っているかと思い、わざわざ学校まで来たのだ。

「学ランの高校は3校ある」

「じゃあ3つとも教えてよ」

全部あたるから、そう言って立ち上がりかけたシンを、ルナマリアは力ずくでまた座らせる。

「おい、何すんだよ!」

「落ち着きなさい。これ、オーブのよ」

「オーブ?」

シンは首をかしげる。オーブなんて高校、聞いたことがあるような気はするが、思い出すことは出来なかった。ルナマリアはごそごそと机の中を探りながら言う。

「メイリンの友達が着ていたのと同じだわ。襟のとこにラインが入ってるでしょ?」

メイリンというのは、ルナマリアの妹だ。ルナマリアとは中学からの付き合いで、そのためシンも1個下のメイリンとは良く遊んでいた。てっきり同じ高校に来るとばかり思っていたのだが、やりたい部活動があったらしく、メイリンだけ違う高校に行ったのだ。

「そっか、メイリンか」

シンは漸く、何故オーブという名を知っていたのかを思い出した。そういえば1年前、ルナマリアが「メイリンってばオーブに行くのよ」と連呼していた記憶がある。

「オーブっていったら超有名進学校よ」

そういいながらルナマリアは、机の中からノートを取り出すと、そのうちの1ページを破き、地図を書き始めた。

「ここからオーブまではかなりの距離があるから、着いた頃にはもう皆帰っちゃってるかもよ?」

「いいんだ、とりあえず行ってみるから」

ルナマリアの地図は簡潔だったがわかりやすかった。あまり土地を知らないシンでも遠いことがわかるくらい、ここからオーブまでは物凄い距離がある。ルナマリアの言うとおり、ついた頃には誰もいないかもしれないが、シンはどうしても今日、彼に会いたかった。

「とりあえずメイリンに連絡しといてあげるから、なんかあったらあの子にいいなさいよ」

「サンキュ、ルナ」

ルナマリアに礼を言うや否や、シンは教室を飛び出した。


バスに乗って行くつもりだったが、バスは先刻出てしまったばかりだ。次に来るのは1時間後だったので、シンは急いでタクシーを拾ってオーブに向かった。市街地を抜け、住宅街を抜け、人気がなくなってきたところでようやくオーブ高校が見えてきた。シンの高校とはまるで違う大きな建物で、そしてその分土地も広い。シンは校門前でタクシーから降りたが、校門をくぐってから校舎に着くまでに、歩いて15分はかかった。とても広い駐輪場があったが、ここまで自転車で来るのはちょっときついんじゃないのか、とシンは思った。

どうやら殆どの生徒はもう帰宅してしまったらしい。グラウンドには、部活動に勤しむ生徒の姿がちらほらと見える。

シンはふと、玄関前に見慣れた少女が立っていることに気づいた。少女の方もシンが来たことに気づいたらしく、ぶんぶんと大きく手を振っている。

「シンー!!!」

メイリンだった。

シンは急いでメイリンにかけよる。

「お姉ちゃんにメールもらってびっくりしちゃった。どうしたの?一体」

「あのさ、人探してるんだ。ここの高校だと思うんだけど」

「どんな人?」

「えーっと…オレより背が高くて、茶髪で、紫の瞳で」

思いつく限りの容姿を上げるが、メイリンはいまいちぴんと来ないらしい。それもそのはず。茶髪で紫色の瞳なんて、あまりに一般的すぎて思いつく人物が多すぎるからだ。シンは凄い印象的な紫の瞳で、と説明しようと思ったのだが、ヨウランの様子からして印象的だと思ったのは自分だけらしい。なのでそう説明したところできっとメイリンには伝わらないだろう。

「もっと特徴ないの?そんな人、沢山いるわよ」

「と言われても、」

瞳が印象的で、殆どそれしか覚えていなかったシンは、必死に彼の特徴を思い出す。そしてふと、抱えていた学ランに気づいた。

「そうそう、学ランの中にジャージ着てて、」

「学ランの中にジャージ?」

メイリンの顔がはっと明るくなった。どうやら思い当たる人物がいたらしい。

「それなら多分、キラ先輩ね」

「キラ先輩?知ってるのか?」

メイリンの言い方は、まるで親しい先輩だとでも言うような口調だったが、それは当たらずとも遠くないようだ。

「キラ先輩のことならみんな知ってるわよ。よかった、キラ先輩ならまだ残ってるはずだから…案内するから来て!」

メイリンに腕を引かれ、シンは引きずられるようにして校内に入った。


校内はシンの学校とは違いとても綺麗だった。ちらりと教室を覗くが人は誰もおらず、先刻からずっと廊下を歩いているが、誰一人としてすれ違うことはなかった。どうやらシンの学校とは違い、この学校は終わる時刻が少し早いらしい。進学校だからずっと勉強しているのかと思ったが、どうやらそれは間違いなようだ。

「なあ、もう帰ってるんじゃないのか?」

「大丈夫よ。ほら、電気ついてる」

そう言ってメイリンが指を指したのは、つき当たり、おそらく校舎の一番奥と思われるような場所にひっそりと佇む、『生徒会室』と書かれた扉だった。メイリンの言うとおり、扉からは光が漏れている。こんな時間に電気をつけているのか、と思ったが、きっとあの部屋には窓がないのだろう。そういえば、廊下にも窓はない。

「キラ先輩、うちの会長なのよ」

だからみんな知ってるの、とメイリンは言った。それにかっこいいしね、と笑う。

「会長?生徒会長?あの人が?」

あんな変なビデオの趣味してるのに意外だ、とシンは思った。ビデオの趣味と会長が出来るかどうかは全く関係がないが、それでもシンは信じられなかった。それに、生徒会長ともあろう者が、毎週月曜、学校をサボってビデオを借りるのはどうなのだろう。

「キラ先輩、いますか?」

コンコン、と扉をノックして、メイリンはたずねる。メイリンは会長だから知っているといっていたが、シンはなんとなく、メイリンとキラは面識があるような気がした。声をかけてしばらく待つが、返事はない。

「誰もいないんじゃねーの?」

「おかしいわね。キラせんぱーい。いませんか?」

もう一度ノックをして、少し大きな声で呼びかける。すると、暫くしてから微かに遠く、

「はーい、ちょっと待って」

声が聞こえた。一度しか聞いたことがない声だったが、シンはこの声が彼のものだということに気づいた。とても小さい声だったが、とても澄んだ声だったので聞き間違えることはない。2人は言われた通り、おとなしく扉の前で待つ。が、いくら待っても彼の2度目の言葉はない。首を傾げたメイリンが、もう一度扉をノックすると。

「ごめん、ちょっと今手が離せなくて…勝ってに入ってくれる?」

扉の置くから叫ぶ声が聞こえ、シンとメイリンは互いに顔を見合わせた。が、直後メイリンのポケットからぴーぴーと電子音が響いた。なんだろうとシンが首をかしげると、メイリンが取り出したのは携帯電話だった。よく聞いてみれば、その音は今流行りの着メロらしい。メイリンは携帯を開き、カタカタと何か操作したかと思うと、はっと思い出したように自分の腕時計を確認する。

「ごめんシン、私、部活だから」

「え!?」

どうやら今のは部活仲間からのメールだったらしい。戸惑うシンに、メイリンは言う。

「中入ったらキラ先輩いるから、じゃあね!」

不安なシンを他所にメイリンはそう言うと、颯爽と去っていった。


「…入るしか、ないよな…」

暫く扉の前で迷っていたシンだったが、意を決してその重たい扉を開く。中は普通の教室と同じくらいの大きさの部屋で、たくさんの書類やトロフィーが積み上げられた大きなテーブルが2つと、その周りには無数のパイプイス。そこから少し離れた場所には接客用と思われるソファーとテーブルが一組、さらにその奥には小さな机とイスがあり、そこにはキラと思われる人物が、こちらに背中を向けて座っていた。

「ごめんね、今ちょっと手が離せなくて…」

キラは誰か人が入ってきたことに気づいたのだろう。こちらを見ずに言う。シンは後ろでで扉を閉めて、2歩、3歩と中に入った。

「この書類、明日までに作らなきゃいけなくて…あ、そこのテーブルの上にある紙とってくれる?」

きっとメイリンと間違えているのだろうか。キラはそういうと、こちらを見ずに後方を指差して言う。シンが指差されたテーブルを見てみると、そこには1枚のプリントがあり、それを拾うとキラに手渡した。

「ありがと……え!!?」

プリントを差し出したその手が、メイリンのものではないと気づいたのだろう。キラはようやく気づいたように、はっと顔を上げた。そしてシンの顔を見て、さらに驚いたように目が見開かれる。

「キミ、あのビデオ屋の…え?なんで、」

突然のシンの訪問によほど驚いたらしいキラは、シンを指差して口をぱくぱくさせている。

「とりあえず、書類作ったらどうですか?」

シンが冷静に言うと、キラもとりあえず落ち着きを取り戻したらしく、

「あ、はい」

と言ってまたパソコンに向き直った。


それから数十分後、色々と室内を物色していたシンだったが、キラの「終わった…」という声に気づき、またキラの元へ駆け寄る。

「お疲れ様です」

「ありがとう…って、そうだ、どうしてキミがここに…だってキミ、ここの生徒じゃないよね?あのビデオ屋の…」

一気にまくし立てるキラを他所に、シンは勝手に発見したガスコンロを使いお湯を沸かし、手早くお茶を入れ片方をキラに手渡す。

「あ、どうもありがとう…じゃなくて、ええと」

「シンです。シン・アスカ。あの、ヤマトさんですよね?」

「あ、はい、キラヤマトです」

やはりそうだ、シンはにこりと微笑んだ。キラはさっぱり意味がわからない、といった顔でじっとシンを見上げている。

「これ、ありがとうございました」

そう言うとシンは、先刻からずっと持っていたキラのブレザーを手渡した。キラは驚いたようにシンの顔を見る。

「わざわざ届にきてくれたの?キミももう知ってると思うけど僕、次の月曜もまたあの店に行く予定だったから、別にその時でも…」

申し訳ない、という顔をしているキラに、シンはいいえ、と手を振る。

「友達の妹がここの生徒だったので。あとオレ、あなたに用事があって」

「僕に用事?なあに?」

キラは受け取ったブレザーを着ながらぼんやりと問う。お礼に何か奢ってくれとか、うちの店をよろしくとか、そういう類のものだと思っていたキラだったが、シンの用事はキラの思考を遥かに上回っていた。

「オレ、あなたに一目惚れしたんで、携帯の番号とアド教えてもらえませんか?」

「へ?」

キラは右袖を通そうとしていたところで、パキっと動きを止めた。まさか。どうせ聞き間違えか、もしくは違う誰かのことを話しているに違いない。そう思いキラはもう一度問う。

「一目惚れって、誰に?」

「キラさんに」

いつの間にか名前で呼ばれていることに、キラは気づいていなかった。

「キラさんって、僕?」

「はい」

シンはにこにこと微笑んでいるがこの赤い瞳は至極まじめで、キラにはそれが冗談の類ではないということがわかる。しかし、あまりに唐突で、しかも相手は知り合って間もない、むしろ今知り合ったばかりの少年なのだ。しかも男。

「わかってると思うけど、僕、男だよ?」

「大丈夫です、オレは気にしないので」

予想通り、全く問題無いという顔で微笑まれた。

キラは毎週月曜にあのビデオショップに通っているのだが、その日は見かけたことのない定員がいて、少し驚いた。ぴょんぴょん撥ねた黒い髪に、真っ赤な瞳。キラは初めてシンを見たとき、可愛い子だな、と思った。歳は自分より下だろう。話し掛けられたときはとても驚いたが、その人懐っこそうな、素直そうな顔がとても印象的だった。2度目に会ったのもあの店で、しかし今度は店員ではなく彼は入り口前で眠っていて、キラは最初シンを起こそうかとも思ったのだが、好きで眠っているなら悪いと思いやめておいた。ビデオを借りて、外に出てもやはりまだシンは眠っていて、どうしようかと迷ったけれど、この季節にこんな場所で眠っていては風邪を引いてしまう、そう思い、お節介かと思ったがつい、自分の着ていた制服の上着を彼にかけて帰った。彼はあの店の店員らしいから、次の月曜に店に行ったときにでも返して貰おうと思っていたのに。ここまで返しにきてくれるとは思ってもいなかったし、まさか一目惚れされるなんて、想像もつかなかった。

キラが呆然と思考していると、それを遮るかのようにシンの携帯電話が鳴った。ずっと初期設定のままらしく、着メロ等ではない普通の電子音だ。

「鳴ってるよ?」

まったく気にせずこちらを見つめるシンに、キラは言う。するとシンはしぶしぶといった様子でポケットに手を入れた。

「大事なときに…あ、今日バイトだった」

どうやら電話はバイト先からだったらしい。キラはふと時計を見ると、6時を少し過ぎたところだった。

「それは大変だね。さっさと行かないと」

「キラさん、オレのこと嫌いなんですか?」

「いや、嫌いもなにもまだ何も知らないし」

「それなら、」

そう言ってシンはごそごそと自分のカバンを漁り始めた。教科書やノートは絶対に入ってなさそうなそのカバンの中からシンは白い紙を取り出し、テーブルの上にあったボールペンをとると裏に自分の電話番号とアドレスを書いてキラに手渡した。

「これ、オレの番号です。オレのこと嫌いじゃなかったら連絡ください」

「えええ!?」

思わず受け取ってしまったそれを返そうと思っても、シンは「失礼します」と言うとさっさと部屋を出て行ってしまった。ばたん、と扉が閉じられ、キラは呆然と手渡されたメモを見る。そこにはシンの言った通り、電話番号とメールアドレスが記されている。

「…どうしよう…」

嫌いじゃなかったら、なんて、シンのことはまだ何一つとして知らないのに、嫌いもなにもないんじゃないか、とキラは思った。とりあえずカバンにしまおうとして、キラはふとその紙の裏面を見る。

「…これ…」

そこに記されていた文字に、キラは大きなため息を吐いた。



「で、アドと番号渡して帰ってきたのか?」

「そ」

2時間遅れで店に出たシンは、カウンターでぼんやりとヨウランに事の次第を説明していた。月曜の深夜、シンが店に出てから未だ客は来ていない。

「そりゃ無理だろ。お前は一目惚れだから良いけど、向こうからするとお前は見ず知らずの高校生なわけだろ?しかも相手はノーマル。さらにお前は年下。オレだったら絶対連絡なんてしないな」

ヨウランの意見はもっともだったが、

「いや、来る」

シンは答えた。

「なんでお前はこんな逆境の中、そこまで自信過剰になれるんだよ…」

「別に、自信過剰ってわけじゃねーよ」

その言葉は本当だ。シンだって、キラ以外の人間が相手だったら無謀だと諦めていたが、何故だかはわからないけれど、絶対にキラは連絡してくるという自信がシンにはあった。自信、というよりは予感に近いものなのだが。シンは、初めてキラと会ったときのぼんやりと自分の顔を見つめるキラを見て、そんな気がした。

「でもその人、学校じゃあ有名なんだろ?しかもあれだけ美形なら彼女の一人でもいるんじゃないのか?」

「別にオレ、彼女いてもいいし」

「そういう問題じゃ…」

ヨウランが呆れてため息を吐くと同時、がらがらと店の扉が開いた。

「いらっしゃいま…え?」

入ってきたのは噂していた張本人のキラで、怒っているような、でも少し呆れたような、そんな微妙な顔をしていた。キラはちらっとシンの顔を見るが、また微妙な顔をしていつものようにカウンターの前を横切ると、棚の奥に消えていった。

「お前に会いに来た、ってわけじゃないみたいだな」

ヨウランが言い、シンは無言で頷く。

数分後、キラはいつものように微妙なビデオをカウンターに持ってきた。

「…これ、おもしろいんですか」

宇宙人が地球を侵略する、というSFものだった。それならまだ良いのだが、そこはさすがキラというべきか、何故か人形映画だった。パッケージの裏を見る限りでは、どう贔屓目に見てもおもしろそうにはみえない。

「おもしろいの。僕は」

そう言ってキラは、カバンからあの時シンが渡したメモを取り出し、カウンターにのせる。わざわざメモを返しに来たのだろうか。律儀な人だ、と思いそれを受け取ろうとしたシンだったが、キラはシンの手が届く直前にその紙を裏返した。そして、シンは絶句する。

「お前、バカ?」

横から覗き込んだヨウランが呆れたように呟いた。その紙は、先月もらったシンの成績表だった。もちろんその成績は、とても人に見せられたものではない。

「しかもこれ、提出期限過ぎてるけど」

キラは言い、ヨウランはまた覗き込む。キラの言うとおり、提出期限の最終日は今から3週間前だ。

「完璧なバカだな」

ヨウランはそう言うと、気を使ったのかビデオ棚の奥に消えていった。


「えーっと、すみませんでした、わざわざ。お詫びってわけじゃないですけど、ビデオの料金、オレ払っとくんで」

がくりと肩を落とし、シンは言った。ヨウランの言った通り、自分は完璧なバカだなと自嘲する。さっきまでの自信もどこかに行ってしまったらしい。はあ、とため息を吐いて、シンは言う。

「あー…これって縁が無かったってことなんですかね」

シンはそう言って笑う。が、それは誰が見ても無理しているとばればれだった。そんなシンを見て、キラはどうしようもなく胸が締め付けられるような気がした。だからといってシンの気持ちを受け入れるわけではない。あれだけ真っ直ぐで素直で、顔だって悪くない。むしろかっこいい部類に入るのに、どうして自分なんかを好きだというのかが、キラにはさっぱりわからなかった。どうして自分なんかの所為でがくりとうな垂れているのかがわからない。

「僕の会員カード、」

「え?」

突然のキラの言葉に、シンは驚いたように顔を上げた。

「電話番号のとこ、携帯の番号になってるの、キミ、知ってるでしょ」

「…はい、まあ」

「携帯の番号、どうしてわざわざ僕に聞きにきたの?制服を返すからって言って、勝手にそれを見ればよかったのに」

キラはずっと不思議だった。自分で言うのもなんだが、キラはとてもよくモテる。クラスメイトはもちろんのこと、先輩や後輩、果ては教師までもがキラに近寄ってきた。中には勝手に名簿を見て家まで押しかけてくる子や、キラのカバンからこっそり鍵を盗み、自宅に侵入しようとしたものまでいた。幸いキラの自宅に入るには鍵の他に12桁の暗証番号も必要だったので、不法侵入は免れたのだが。だから、折角制服を返すという名目まであるというのに、自らキラのところに赴き、きちんと一目惚れしたから、と宣言した後、嫌じゃなかったら連絡してくれなんて言うシンが、キラは本当に不思議だった。

しかしシンは、そんなことありえない、といった顔で。

「駄目ですよ、そんなの。勝手に見るなんてフェアじゃない」

「まあ、あの番号は家電用だからかかってきても出ないんだけどね」

「…」

くすくすとキラは笑った。そして財布から100円玉を取り出すと、シンに手渡す。

「いや、代金はオレが、」

「キミが払う必要なんて何もないよ。キミが気を落とす必要もね」

キラの言葉に一瞬目を丸くするシンだったが、それでも納得がいかないらしい。ごそごそと引き出しを探り始めたかと思うと、チケットのようなものを数枚取り出しキラに手渡す。

「これ、割引券です。タダで借りれますから。…オレ、いっつも午後6時からしか出てないので、月曜の朝はあいつしかいないから…だから、もうこの店に来ないなんてことは、」

「だから言ったでしょ。キミは何もしてないんだから。…これは貰うけど」

にこりと微笑み、キラは受け取ったチケットを財布にしまった。シンは渋々頷くが、まだ納得しきれていないようだ。キラは借りたビデオをカバンに仕舞うと、ふと思い出したように、先刻シンに返した成績表を手にとった。

「?」

首をかしげるシンを他所に、シンが番号を書いた場所の少し上に、キラはすらすらとペンで何かを記している。クセのない綺麗な文字でかかれたそれは、携帯電話の番号だった。

「これ…!」

「キミのような子は多分、僕みたいな人間は嫌いになると思うけど、それでもいいなら」

そう言ってキラは微笑んだ。シンの顔がみるみる明るくなって、キラは、やはり素直な子なんだなあと思った。

「オレ、絶対連絡します!…あ、でもバイト終わるのがいつも1時過ぎだから、」

「大丈夫だよ。僕、コレ見てるから」

キラはカバンに仕舞ったビデオを指差した。随分遅くまで働いているんだなあ、と思いながらも、キラは言う。もし彼が長電話だったら、明日の朝は寝坊かもしれないな、と思ったけれど、それでもいいかとキラは思った。









次、アスラン等が出始めて、陰鬱な展開になってきます。