04 呼起

目を覚ますと、そこは真っ白な部屋だった。窓辺にかかった白いカーテンがゆらゆらと風に揺れている。オレは体を起こすと、辺りを見た。誰の部屋だろうか、白い壁と白いベッド。ベッドの脇には小さなイスとテーブルがあり、そこには飲みかけの紅茶のカップが置いてあった。ベッドから降りると、パタンと音がする。何だろう、そう思い下を見ると、しおりの挟まった読みかけの文庫本が落ちていた。

オレは裸足で窓辺に近寄る。白い床は冷たい。窓の外は緑色の草原と赤い花、そして奥には海が見える。どこまでも遠い海と空に、オレはここが地球であることに気が付いた。部屋の中を見回すが時計やカレンダーなど、時間を感じさせるものはなにもない。一体ここは何処なのだろう。

突然ざあっと風がふき、白いカーテンが大きく膨らんだ。ベッドの上に置いた文庫本のページがぱらぱらとめくれる。沢山の赤い花が大きく揺れ、その花びらが数枚室内に入り、白い床の上に落ちた。

風が止まり、しんと静まり返った室内に、カチャリと音が鳴った。なんだろう、そう思い振り返ると。

「…あんた、」

キラがとても驚いた顔で立ち尽くしていた。口をぱくぱくさせながら何か言おうと頑張っていたが、どうやら驚きのあまり声が出ないらしい。すると手に持っていたポットをテーブルにおいて、走ってオレに飛びついてくる。その瞬間、ゴンと鈍い音が鳴りオレは壁に頭を打った。


「あの…ごめんなさい」

後頭部を強打したオレは、再びベッドに寝かされる。キラはベッド脇にあるイスに腰掛け、涙目で謝った。

「で、とりあえずここはどこなんだ?」

テーブルに置いてあるカップを奪うとキラは戸惑った顔になる。オレは気にせずカップの中身を全て飲み干した。オレの記憶が正しければ、オレはミネルバの中にいたはずだ。そしてオレの予想が正しければ、キラはレイと一緒にいると思っていたのに。オレはちらりとキラを見る。キラはオレと目が合うと、わざとらしく慌てて逸らし窓を見て、言った。

「えっと、ここはオーブにあるオノゴロ島で、」

「オノゴロ!?」

オレが叫ぶと、キラはびくりと肩を震わせた。

「あの、オノゴロ島の、僕の家です」

「戦争は!」

「ロゴスが捕まって…大分落ち着いてきてるけど、」

「ミネルバは、」

「この前、無事プラントに戻ったって連絡が、」

「…そうか…よかった、」

オレは胸を撫で下ろす。戦況はいまいちわからないが、だがミネルバの皆が無事とわかっただけ良い。オレは一番長い付き合いだったレイのことすら何も知らないけど、それでもミネルバの皆は短い間だが一緒に戦った仲間みたいなものだ。

「…あの、」

急に黙り込んだオレを心配そうに覗き込みながら、キラは言う。オレは顔を上げ、キラの方を見た。そういえば、キラの瞳を見るのも久々な気がする。

「…あんた、ちゃんと目ぇ覚ましたんだな。よかった」

嬉しさのあまりついにこりと微笑むと、キラがぐっと息を呑んだ気がした。そしてすぐにがばっと勢いよく下を向く。オレからキラの顔は窺えない。どうしたのかと、キラの顔をこちらに向かせようとそっと頬に手をかけたら、キラが立ち上がりいきおいよくがばっとオレから遠のいた。

「何、何なの」

「いや、あの、なんでもないです」

「じゃあなんで逃げるんだよ」

「…だって、」

と言ったまま、キラは俯いてしまい何も喋らなくなった。オレは暫くキラを眺めていたが、キラは一向に喋る様子もなく、それどころか動き出す気配もない。まさか立ったまま寝てしまったのかと思いよくよく見てみれば、どうやら未だ理由を考えているようだった。

オレははあと溜息を吐いて、ベッドから降りる。するとキラははっと顔を上げた。

「あ、まだ身体が、」

キラは咄嗟にオレにかけよるが、オレは片手でそれを制した。

「大丈夫だよ。慣れてるし」

「…え?」

キラは首を傾げたが、オレは構わずキラの横を通り、部屋を出た。



真っ白い部屋を出ると、リビングのような場所に出た。さすがにその部屋は真っ白ではない。この家自体が木で出来ているらしく綺麗な木目をしていた。オレはきょろきょろと辺りを見回して、リビングの真ん中にある大きなソファーに腰掛ける。そこから窓の外を見るが、やはり景色は変わらない、一面の赤い花と海だけだった。

「あの、何か飲む?」

オレの後から部屋を出てきたキラが、キッチンに向かいながら問う。

「お茶。熱いの」

キラは頷くと、キッチンの中に消えていった。

オレはぼんやりと広いリビングを見回す。ソファーの前にはこれまた大きな硝子のテーブルがあり、ソファーの後ろは大きな窓だ。カーテンはない。夜はどうしているのかと思ったが、窓の外は海なので、外から見られる心配はないのだろう。リビングには他には何もなく、ただがらんと広く、静かだった。テレビもラジオも何もない。先刻オレがいた部屋の隣にも、もうひとつ扉がある。きっとキラはあそこで寝起きしているのだろう。キッチンの隣の扉はきっと玄関かバスルームだろうか。オレはぐるりとリビングを見渡す。そこには綺麗な木々が見えるが、しかしそれだけしか見えなかった。

キッチンからキラが湯のみを持ってやってくる。こんな何もない家なのに湯のみはあるのか、とオレは少し関心した。キラは湯のみを目の前のテーブルに置くと、テーブルを挟んでオレと反対側の床に座った。ソファーに座れば、といったが、キラはううんと首を振る。どうやらオレは嫌われているらしい。

キラは暫くぼんやりとお茶を飲むオレを見ていたが、はっと思い出したように部屋に、オレがいた部屋の隣の部屋に入っていった。ちらりとあいた扉の隙間から見えたその部屋は、やはり真っ白で何もない。

「あのね、これ、レイが、」

そう言ってキラが手渡したのは、白い封筒だった。なんだろうと思いオレはその封筒を手に取り中を覗く。中に入っていたのは札束だった。

「…なにこれ」

「レイからのお金、キミ、除隊したことになってて、お金がなくて、」

「除隊?」

なんで、と思ったが、それもそのはずだ。キラの話では戦争はもう終わったようなものだし、それに停滞しているオレを雇っていられるほどザフトは甘くない。これは退職金のようなものなのだろうか。しかし、それはちゃんと口座に振り込めばいいのではないのか、と思う。するとキラが。

「あの、それ、軍からじゃなくて、レイからだから、」

「レイから?どういうことだよ」

「レイが、シンのために用意したお金なんだ。シンが起きたから、これはシンのものだよ」

あやふやなキラの言葉を要約すると、要するにこれは、レイからキラに対する迷惑料のようなものなのだろう。オレが何故キラの家にいるのかはわからないけど、レイはオレのことで何かお金が必要になったら、そこから使えという意味でキラに渡したらしい。

「でもそれなら、レイに返したほうが良いんじゃないのか?」

「うん、でも僕はもうレイとは連絡とれないから、だからキミに」

連絡取れない、と聞いて、オレはもう一度室内を見回した。テレビもなければ電話もない。だがキラの部屋にはパソコンがあるだろうから、連絡が取れないということはないだろうに。それとも、キラかレイ、どちらかが連絡の取れない状況にいるのだろうか。オレが深く思考しているとキラは言う。

「レイは忙しいし、それに、キミが起きたらキミに渡してくれって言われてるから」

そう言うと、キラはまた立ち上がり部屋に戻ってしまった。

オレはテーブルの上に上がっている白い封筒を持ち上げ、中身を確認する。相当な額がある。人一人介護するのに、これはちょっと多すぎなのではないのだろうか。するとキラは、部屋から書類の束を持ってきた。どさり、と音を立てテーブルにそれを乗せる。その衝撃ではらりと1枚落ちたその紙を覗いてみれば、それはオーブに滞在するにあたっての書類だった。

「まさかオレ、」

「うん、まだオーブのIDがもらえてなくて、」

キラは俯きながら言う。

「僕が勝手にオーブに連れてきちゃったから…勝手にオーブに移住させたら悪いと思って」

そう言って、プラントを含めた沢山の国の資料、パンフレットのようなものをどさりをオレの前に並べた。

「行きたいところがあったら言って。どこにでも行けるくらいに、お金はあるから」

ぼんやりとキラの声を聞きながら、オレはぱらりとその資料を捲った。本当に色々な地域のことが書いてある。ブルーコスモスが多い国や、コーディネーターでも暮せる、オーブのような国。もちろんオーブの資料もあったが、オレはそれを見なかった。

「あんたは?あんたはずっとここで暮らすのか?」

ふと疑問に思いオレが問うと、キラは俯く。

「僕は、…」

そしてキラはそれきり黙りこんでしまった。まだ考えているのかもしれない。オレは答えに期待せずに、またぱらぱらと資料を見る。そしてふと思い出した。そうだ、キラにだって家族がいるのだ。あれだけキラのことを心配している両親だったのだから、キラは両親の元に戻るに違いない。この家で暮しているのはオレの所為みたいなもんなのだから、オレがいなくなればキラは両親の元に戻るのだろう。

「そうだよな、あんただって両親とかいるもんな。オレのことはもう放っておいていいから、あんたも両親のところに帰れよ」

「…それはないよ」

ぽつりとキラは言う。オレは驚いてキラの顔を見ると、キラはどこか淋しそうに微笑んだ。

「なんでだよ、だってあんた、プラントに両親いるんだろ?」

オレが問うと、キラはまた悲しそうな、淋しそうな、見ているこっちが胸を締め付けられるような泣きそうな顔で微笑んで、立ち上がった。

「おい、」

そのまま無言で踵を返すキラに、オレは呼びかける。キラはくるりと振り返り、

「僕、シャワー浴びてくるね」

ぱたん、と音を立てて、扉は閉じた。キッチンの隣の扉はやはりシャワールームだったらしい。

「…どうなってんだよ」

いつの間にか外は暗くなっていて、真っ赤な夕日が沈む中、オレはぽつりと呟いた。



それから暫く考え込んでいたオレだったが、ふといつの間にか室内が真っ暗になっていたことに気づき、電気をつけようと立ち上がる。スイッチがどこにあるのかわからなくて室内をうろうろと歩き回った後、漸くキッチンの隣の扉、シャワールームへ繋がるその扉の隣にスイッチを見つけた。

ぱちりと音がなり、リビングに光が指す。蛍光灯の光がリビングを照らし、何もないこの部屋がよりいっそう淋しげに見えた。

「…そういやあいつ、」

キラがシャワールームに入ってから、暫く経つような気がする。時間を調べようと思ったがこの部屋には時計が無くて、現在の時刻がわからない。この家には、時間や日付を感じさせるものが何もないのだ。オレはキッチン横の扉に耳をくっつけた。水の流れる音が絶え間なく聞こえる。が、人が動く気配はない。

「おい、まさか」

ばたん、と扉を開くと、そこには洗面台と脱衣所、洗濯機と扉が2つ。1つは浴槽に続くもので、もう1つはきっとトイレだろう。脱衣所を見る。綺麗にたたまれたキラの衣服があった。

「おい、キラ?」

声をかけるが返事はない。それから2〜3度声をかけてみたが、やはり返事はなかった。コンコンと浴室の扉をノックするが、なんの音も返ってこない。

「キラ!」

オレは勢いよく扉を開いた。

ざあざあとシャワーから水が流れ出ている。キラは浴室の壁を背にうずくまって座っている。ぱらぱらと水しぶきがキラにかかる。シャワーの水は冷たい。

「おい、起きろ!何やってんだよ!」

オレは自分の服が濡れるのも構わずに、ばしゃりと音をたてて浴室に飛び込んだ。そっと濡れたキラの前髪をかきあげると、キラの顔が見える。目は閉じられていて、顔は赤く上気していた。

「まさか、止まったのか?なんで、」

オレはそっとキラの細い手首を持ち上げ、脈をとる。とくん、とくんとゆっくりだが確実に脈打つそれを感じ、オレはほっと胸を撫で下ろした。落ち着いてよく見てみれば、すやすやと静かな寝息すら聞こえてくる。

「…寝るなよこんなとこで…」

はあ、と溜息を吐いて、オレはキラを抱き上げ浴室から出た。

キラが目を覚ましたのは、次の日の夕方だった。



「…ん…あれ、ここは」

目を覚ましたキラはきょろきょろとあたりを見回している。そしてごしごしと目を擦ってから、ようやくベッドの横にイスを置き腰掛けているオレに気づいた。

「何やってんだよ、あんた」

オレが言うと、キラはびくりと肩を震わす。しかしその顔はどこか疑問の色が伺えて、キラは多分、自分が風呂場で眠っていたことすら覚えていないのかと思い、オレはため息を吐いた。その音にまた、キラの肩が揺れる。

「あの、僕…」

「あんた、昨日シャワー浴びながら寝てたんだよ」

「え!?」

オレが真実を教えると、キラはありえないという顔でオレを見た。が、事実なのだから仕方が無い。しかしキラは何か思い当たる節があるのか、何か考え込むように俯き、そしてごめんなさい、と言った。

「なんで。あんた眠れてないの?」

オレが問うと、キラは一瞬言葉を詰まらせてから、そんなことないよと微笑む。ばればれの嘘だ。しかし、キラは何故眠れていなかったのだろうか。オレが知る限りでは、こいつは戦艦のデッキでも眠ってしまうようなヤツだと思っていたのだが。

ふとオレは、ベッドの傍のテーブルにあるパソコンに気がついた。眠ったキラを連れてきたのは、キラの部屋のベッドだ。あの時はキラが起きるかどうか心配でずっとキラのことばかり見ていて、気がつかなかった。

「なあ、オレが停滞してから、どれくらい経ったんだ?」

「…」

キラは答えない。オレは立ち上がると、勝手にパソコンの電源を入れた。キラが何か言ってくるかと思ったが、何も言ってこなかった。パソコンのディスプレイの片隅で動くカレンダーは、CE76と記されている。

「…オレが寝たのが74年だから、約2年……2年!?」

驚きのあまり大きな声で叫ぶ。わ、とキラの驚いたような声が聞こえたが、オレはそれどころではなかった。2年も停滞してしまったなんて…これはもう凄い自己新記録だった。キラはどうかは知らないが、オレは今まで停滞しても最高で3ヶ月程だった。短い停滞を何度も繰り返すようなタイプだったので、学生生活にもそれほど影響が出ずに、今まで育ってきたのである。ザフトに入ってからは、忙しさからか最近ではめっきり停滞することなど無く、あっても数時間程度で済んだのに。大博打を打ったから、もしかしたら半年くらいは停滞するかもしれない、と踏んでいたのだが、とんだ読みはずれだ。2年もキラに迷惑をかけてしまうなんて。じゃあキラは2年間、この何も無い家で暮らしていたというのか。

「キラ、」

オレが名前を呼ぶと、キラはわけがわからずに不思議そうに首を傾げた。オレはつい抑えきれずに、がばりと上体を起こしベッドに腰掛けているキラに抱きつく。

「ちょ、え?どうしたの?」

わけがわからず混乱するキラの頭を、両腕で抱きかかえるようにしてぎゅっとキラの身体を抱きしめた。始めはじたばたと暴れていたキラだったが、そのうち諦めたのか大人しくなる。キラは多分オレのことが嫌いだから、今この瞬間はとてつもなく嫌なものだと思うけれど、でもオレは今、キラが愛しくて愛しくて仕方が無かった。そして同様に、悔しさも込み上げてくる。

「畜生…」

つい零れた言葉に、キラは不思議そうにオレを見る。オレは抱きつく力を弱めて、しかしそれでもキラから離れることはせずに、キラの目を見て言った。

「折角追いついたのに、また2年も差が出来ちゃった」

ははは、と笑いながら言うと、キラはやはり何のことかわからずに首をかしげる。

「あんた、今何歳?」

オレが問うと、キラはぐっと言葉を詰まらせた。

「いや、そうじゃない。生きてた時間の話」

本来生きてるはずだった時間は含めない、実際生きていた時間としての年齢だ。キラは何故そんなことを聞くのか、という顔をしながら、

「シンと会ったときが18だから…20だよ」

と言った。思った通りだ。ああー、と唸りながら声をあげて落胆すると、最近のキラにしては珍しく、強引な手つきでぐっとオレの両腕を掴む。

「なに?どういうことなの?」

「オレさ、あんたと会ったとき、レイと同じ16歳って言ってたけど、ほんとは18だったんだ」

それだけの話だよ、とオレは笑う。しかしキラは、それでもまだ意味がわかっていないらしい。眉を顰めて、首をかしげる。

「そうなの?…でも、どうしてそれでキミががっかりするの?」

「だから、折角あんたと同じ歳だったのに、オレが2年も寝こけてた所為でまた2歳差がついちゃったってことだよ!」

投げやりにそう言い捨てると、キラはくすくすと声をたてて笑った。楽しそうに笑うキラの顔を見るのは久々だ。もしかしたら、初めてかもしれない。ずっと見ていたいと思い眺めていたが、キラははっと思い出したようにオレの顔を見た。もうそこに笑顔はない。

「どうして?どうしてキミは、僕があのときキミと同じ歳だって知ってたの?」

いくら捕虜として捕まっていたとしても、僕の場合地球軍として戦っていた頃にMIAになってしまっていたのでオーブのIDはない。それに、あったとしても僕は停滞しているから年齢はあやふやになってしまっているのに。とキラは言う。オレは、くすりと音をたてて笑った。

「キラは、勘違いしてる」

「え?」

キラは首をかしげる。キラは勘違いしている。もちろんそれは、オレが勝手にそう思い込ませていただけなのだけれど。

「オレがキラを知ってるのは、キラがオレの敵だからじゃないよ」

オレがそう言うと、キラは驚いたように目を見開いた。やはりキラは勘違いしていたのだ。レイあたりが修正してくれているかと思ったのだが、そういえばレイにはオレがキラを知っている理由も、知っているということすらも話していなかったのを思い出す。

「じゃあなんで、」

「そっか、キラは覚えてないのか」

がっかりだなあ、というと、キラは思い出そうとしているのか必死に頭を抱えている。思い出せるわけがないのだ。だってキラは、オレのことなんて知らないのだから。


オレがまだ幼かった頃。停滞だったオレは、当然医者に見てもらった。もちろん原因も予防策もなにもわからなかったのだが。オレの場合、停滞していたのは短時間だけだったので得に問題は無いと思っていたが、それでも幼いオレは、どうしてオレだけがこんな病気を抱えているのかが不安だった。

「そんなとき、医者がおしえてくれたんだ。オレと同じ症状の子供がいる、って」

名前は教えてもらえなかったが、オレは話に聞いたその子を探しに、街の大きな病院まで一人で出かけた。名前もわからないし、どんなヤツかも全然わからなかったのだが、その姿を見たとき、オレは確信した。

「それがキラだよ」

「僕…」

キラは両親と一緒に待合室のイスに座っていた。オレと同じくらいの歳で、頼りなさそうな、不安でいっぱいといったような顔だった。隣に座っている両親も同様に、不安そうな顔でキラを抱きかかえていた。

「でも僕、聞いたんだ。僕のほかにこんな症状を持っている子はいない、って」

キラは言う。その通りだ。記録に残っている停滞患者は、おそらくキラだけだろう。キラはどうして、とオレを見上げ尋ねる。オレは素直に答えた。

「オレの父親が医者だったんだよ。だからオレは、病院には行ってないわけ。だから記録はないし、他の医者もオレのことを知らないわけ」

父親がキラの話を聞いたのも、本当に偶然だった。オレは本当に嬉しかったんだ。オレ一人だけがこんな変な病気にかかってるのかと思っていたのに、仲間がいた。

「もしかしてこれって、運命かなんかじゃないのかって思った。だって停滞するのは、この世でオレとキラだけなんだよ」

そう言って笑うと、それでもキラはまだ満足出来ないといった顔でオレを睨んでいる。

「じゃあなんで教えてくれなかったの。会いに来たなら僕の前に出てきてくれればいいのに」

「キラに会ったのはその日だけだよ。そのあとすぐにオーブに引っ越すことになったから」

話し掛けよう、と何度も思ったが、幼いオレにそんな勇気はなかった。これで最後になるかもしれないとは思わなかった。理由はないが、直感だ。

「だからミネルバでキラを見たとき、すっごいびっくりした。だって、オレとずっと戦ってた相手がキラだったんだよ。やっぱこれって運命なのかなって思った」

そう言うと、キラはがばっと勢い良く俯いた。オレの位置からキラの顔は見えない。見えないのを良いことに、オレは今まで隠していたことを洗いざらいキラに話すことにした。

「でもオレから話し掛けたりするのはなんか嫌だったから、キラの方が何か気づいてくれないかなって思って、ずっとキラを見てた。そしたら案の定キラの方から会いたいって言ってきて、だから会いに行ったらキラ寝てるんだもん」

「…寒かったんだよ」

ぽつりとキラは言い訳をもらす。くすりと笑うと、キラの頬が少し赤くなったような気がした。

「会う前は、次にあったら絶対にオレの名前を教えるんだって思ってたのに、あんたもうオレの名前知ってたし」

「だって、気になったからレイに聞いたらレイが、」

「まあ、オレも直接名前聞こうと思ってたのに、その前に書類見て確認しちゃったんだけどさ。でも悔しいからちょっといじわるしてやろうと思ったら、キラが停滞しちゃって」

きっとキラも、心のどこかで気づいていたのだろう。オレが停滞だということに。だってオレは、他人がいる前でなんて絶対に止まることなど出来ないんだから。

「でも驚いたな。オレがいっつも止まるのは数時間とかだけだから、てっきりキラもそうなんだと思ってたけど、キラ結構寝てるし」

「そうなの?僕はいつも数日から数ヶ月は目が覚めないけど」

「最初は大丈夫だと思ってたんだけど、キラが起きないから心配になって…まあ、結局キラが起きたから良いんだけど」

オレがそう言うと、キラがはっと何かを思い出したように顔を上げた。

「どうして?どうしてキミは僕を起こせたの?停滞しているときに、他の人が出てくるなんてこと、一度もなかったのに、」

「秘伝の極意があるんだよ」

「極意?」

キラがごくりとつばを飲む。オレはにやりと笑い。

「起きろー起きろーって念じるんだ。まあ結局は根性だな」

がくり、とキラが目に見えて肩を落とし落胆した。もちろん、本当は根性なんかじゃない。けど、これを教えるともしオレが停滞したときにキラがこれを使ったら嫌なので、オレは絶対にこれをキラに教えることはないだろう。

停滞した人間を無理矢理起こす方法は、ひとつだけある。それは多分同じ停滞という病を抱える人間にしかできない、危険な方法だ。オレがキラに、キラがオレに気づいたように、停滞している者同士はきっと見えない何かでつながっているのだろう。だからオレは、それを頼りにキラに必死に話し掛けた。これは、父から教えてもらった方法だった。同じ停滞患者だから出来る確実な方法だったが、その分リスクも大きい。おそらくオレが2年もの年月を停滞してしまったのはきっと、キラが停滞するはずだった分の時間をオレが引き受けたからなのだろう。だからキラは目を覚まし、オレは停滞したのだ。幸いキラは、この仮説に気づいていない。

「まあ、そういうわけだよ。オレがキラを知ってる理由。わかっただろ?オレがいかに自分勝手で迷惑で、勝手にキラのこと運命の相手とか思ってる最低なヤツだってこと」

オレはぼんやりと窓の外を見ながら言う。

「明日にでもここを出るよ。とりあえずオーブにでも部屋借りて、そこで暮らすことにする。だからキラは、オレのことなんて気にしなくていいから、自分の行きたいとこに行けよ。キラには責任なんて何もないんだからさ」

キラはオレの両腕を掴むと、ベッドの上で膝立ちになって言った。

「僕は、責任なんて感じてない!」

「じゃあなんで2年もオレの面倒見てた?病院にでも預ければよかっただろ」

キラにつられて、オレも声を荒げて言う。

「なんで僕がキミを病院なんかに預けなきゃいけないの!」

「だってキラ、オレのこと嫌いだろ?」

オレがそう問うと、キラはふにゃりと力が抜けたかのように、ベッドにまた座り込んだ。はあ、と大きくため息を吐き、キラは力無く言う。

「僕がいつ、キミのこと嫌いっていった?」

「オレが触ったら逃げるし」

「それは、」

キラは俯いた。オレはまたいつかみたいにキラの頬に手をあてると、キラの身体がびくりと強張る。だからオレは、キラに嫌われていると思ったのだ。するとキラは、びくびくと怯えたような表情でオレの顔を見上げて言う。

「だって…恥ずかしいから、つい、」

オレは驚いてキラの顔を覗き込む。キラの顔は、頬を中心に真っ赤に染まっていた。オレが驚きのあまり何も言えずにいると、キラは真っ赤になりながら怒って言う。

「大体キミが、いつもいきなり不意打ちで触れてくるからいけないんだ!」

「じゃあ予告すればいいわけ?」

「それは、」

ぐ、とキラは言葉を呑む。オレはにやりと笑うと、頬に触れていた手をはずし、未だ真っ赤になっているキラに向かって言う。

「触っていい?」

オレが問うと、キラは始めずっと俯いてオレから視線を逸らせていたが、暫くして漸くこくりと小さく頷いた。オレはそっと両手でキラの頬を包み込むように触れ、そしてそのまま泣きそうになっているキラの顔に唇を寄せ、キラの小さく色づいている下唇をぺろりと舐めた。

「…!」

キラの紫色の瞳が驚いたように見開かれ、そしてキラはオレの手を振り払って逃げてしまった。オレは人一人分隔てた向こう側に座るキラに、まるで拗ねた子供のような声で言う。

「予告したのに逃げた」

「だって今のは、」

キラは耳まで真っ赤になりながら、左手でオレに舐められた唇を押さえた。その姿が可愛くて、オレはにこりと微笑む。キラははあ、と深いため息を吐いた。

「嫌われてるって思ってたのは、僕の方だよ。キミはずっと、上の命令で僕の傍にいるんだと思ってた。でも僕はそれでもよかったんだ、よくわかんないけど、少しでもキミと一緒にいられれば、それでよかった。キミが僕の所為で停滞したとわかったとき、どうすればいいかわからなくて、僕はもう死にそうだったよ。そしたらレイが、議長さんに頼んでくれて…議長さんは設備の整ったプラントの病院を薦めてくれたんだけど、僕はそれを全て断ってキミをこんな家に連れてきてしまったんだ。わがままで最低なのは僕だよ。キミがこの家に来てから2年、僕は満足に眠れた日なんて一度もない。…寝るのが嫌だったんだ。朝起きたときに、目を覚ましたキミがいなくなっているのを想像すると、とても怖くて眠れなかった」

キラは静かに語る。その手が震えているのを見て、オレはそっとキラの手を握った。

「キミは僕のことを嫌ってるとばかり思っていたから…僕はそれでいいと思いながらも、でもキミに拒絶されるのが怖かった。だから僕は、キミに直接嫌いだと言われる前にキミとわかれようと思って、すぐにどこにでも行けるよう資料も集めたし、お金も集めた」

「あの金は、」

「レイのじゃないよ。僕のお金。軍からのお金だったら、直接口座に振り込まれるでしょ」

泣きそうな顔だ、と思った。するとすぐに、キラの瞳からぽろぽろと涙が零れる。オレは空いている手でその涙を拭うが、涙は次々あふれて止まらない。オレは堪らずにぎゅっとキラを抱きしめた。ぬれたキラの瞳をオレの胸元にぎゅっと押し付けると、オレの衣服にキラの涙がじわりと滲んだ。オレは両手でぎゅっと力をこめてキラを抱きしめる。

「あのさ、お願いがあるんだけど」

オレはキラを抱きしめたまま、キラの耳元で囁く。キラはちゃんと聞こえているとの合図なのか、胸元に顔を埋めたままうんうんと頷いた。

「キミ、とかじゃなくて、名前で呼んでよ」

キラがこの家に来てからずっとオレの名を呼ばなかったのは、きっと罪悪感からなのだろう。キラはまたうんうんと頷いてから、小さな声で

「シン、」

と言った。

「何?」

「僕も、お願いがあるんだ」

顔を埋めている所為で、声がくぐもっていてよく聞こえない。オレはキラを抱きしめる力を少し緩め、また「何?」と聞いた。

「僕、ほんとはシンに何処にも行って欲しくない。行ってもいいけど、もう僕を置いていかないで」

「当たり前だろ…!」

オレはまた、ぎゅっと力を込めてキラを抱きしめた。嬉しさのあまりつい力を込めすぎてしまって、慌ててキラの顔を覗き込めば、キラは真っ赤になりながらも「大丈夫だよ」と笑っていた。その姿が愛しくて、オレはまた力を込めて抱きしめる。


「あのさ、オレ、もう1こお願いあるんだけど」

キラが漸く落ち着いて、場所をリビングのソファーに移し暫くしたところでオレはキラに向かって言う。キラは「また?」と笑っていたが、どうやらお願いは聞いてくれるようだ。

「オレ、こんなんだから、キラにはたくさん迷惑かけるし、キラにも言えないこととか色々隠してるけど、でも、それでも良かったら、オレと一緒にオーブに行かないか?」

「オーブ?どうして?」

「オレ、小さい頃はプラントだけど、それからずっとオーブで暮らしてて…でもすぐに戦争に巻き込まれて、オレはプラントに戻ったんだ。だから、」

「オーブで暮らしたいの?」

キラに問われ、オレは暫く悩んだが正直に頷いた。断られるかもしれない、という思いがあった。確信ではないが、なんとなく。どきどきしながらキラの返事を待つ。キラは暫く考えた後、しっかりとオレの目を見て答えた。

「僕も、シンに隠してること、沢山ある。少しずつ話していきたいと思ってるけど…でも、今はまだ隠してることだらけ。でも、それでもいいなら、僕も一緒に連れてって」

そう言って、キラはちょっと不安そうに、にこりと微笑んだ。オレは嬉しさのあまり、キラの両手を掴んでぶんぶんと振りながら言う。

「よかった…オレ、ほんとはちょっと自信なかった。キラがプラントが良いとか言うかなって思って…」

するとキラは、くすくすと笑って言う。

「僕もね、あのあとすぐにプラントを出て、ずっとオーブで暮らしてたんだよ。16歳くらいまでだけど…もしかしたら、シンに会ってたかもね」

「それはない!だってオレ、キラを見たら絶対にわかるから」

オレが断言したのが相当おかしかったのか、それからキラは暫くくすくすと笑い続けていた。窓の外では、あの沢山の赤い花がざあざあと風に揺られている。


次の日、これといって持ち物も少なかったオレ達は、すぐにオーブの市街地に引っ越した。この家はどうするのかと訪ねたところ、これは親戚からの借り物らしいので心配しなくても大丈夫、と言われた。そしてその親戚というのが、オーブの代表を務めるあのカガリ・ユラ・アスハだという話を聞いたのが、オーブに引っ越してから数日経った日のことだった。道理で身寄りのないオレ達がいとも簡単にIDカードや居住地が決まったわけだと、オレは密かに関心はしたが、キラとアスハについての深い話はキラには聞かなかった。キラに、何故そんな機密っぽいことを話してくれたのかと問うと、キラが恥ずかしそうに照れながらも「シンにはなるべく隠し事したくないから」と答えてくれたからだ。オレには今は、その言葉だけで十分である。

そしてそのアスハのおかげで、オレとキラは簡単に就職先を見つけることが出来た。モルゲンレーテの工場だ。キラはモルゲンレーテの面々とは顔見知りだし、持ち前の能力もあり、淡々と昇級してあっという間にオレの上司だ。そしてオレはのんびりと平凡に整備の仕事をしながら、たまにキラが開発するOSの実験台となる毎日を送っている。ブルーコスモスによる侵略等でMSに乗る日もあり、そのたびにキラは心配そうにオレを待ってたり、待ちきれずに一緒に出撃するような日もあるが、それでもキラは楽しそうだった。


「シン、時間だよ。遅れる」

キラが制服に袖を通しながら言う。オレはごしごしと目を擦りながらそんなキラを眺めた。着替え終わったキラが部屋を出て行ってしまって、それを目で見送ってからオレは漸く布団から出る。オレはキラとは違い下っ端なので、そんな綺麗に身支度をしなくても大丈夫なのだ。ぼさぼさの頭のまま洗面所に行き顔を洗い、そのまま干されていた作業着を下ろして袖を通す。

「シンー遅れるー」

キッチンからキラが叫ぶ。オレは朝が弱いから、朝食はキラの当番だ。作業着に着替えてリビングに戻ると、キラが丁度サラダを運んできたところだった。テーブルには他にトーストと目玉焼きが上がっている。オレは腰を下ろすとフォークでがしがしとサラダを漁った。そして器用ににんじんを取り出すと、端の方に避けておく。

「あれ、シン、にんじん食べれなかったっけ?」

向かいに座ったキラが首を傾げた。キラも同様に、サラダを食べているがにんじんは残している。キラが言っているのは、随分昔に一度だけ、キラがにんじんを食べられずに困っていたところをオレが助けた日のことだろう。だがまあ、あれはあれ、これはこれ、だ。だってあの時は必死に我慢していたのだから。

「キラが困ってるから頑張って食べたけど、オレだって本当はにんじん食えないんだよ…」

「でも昨日の晩御飯の時はちゃんと食べてなかったっけ」

「にんじん食べれないなんてかっこ悪いかなって思って頑張って食べるようにしてるけど…朝は無理」

そう言ってオレは、誤魔化すように微笑んだ。キラも同様に微笑んでいる。キラだってにんじんが食べられないのだから、文句は言えないのだ。

「あ、シン、今日の朝からちょっと起動テストしたい機体があるんだけど…」

もぐもぐとトーストを食べながらキラは言う。

「いいけど、朝って会議じゃなかったっけ?」

「え?」

キラは首を傾げているが、オレが聞いた話では確かにキラは今日の朝から会議があるのだ。エリカさんに聞いたのだから間違いはないだろう。

「そうだっけ、忘れてた」

「何やってんだよ」

文句を言いながら、こっそりと残したにんじんをキラの皿に放る。

「じゃあ午後からでいいか。午後からやろう」

にこにこと言いながら、キラは気づいていたらしくオレの皿ににんじんを戻した。が、その量が多くなっているような気がしてオレはがばっと皿から顔を上げる。

「ちょっと、オレこんなにあげてない!」

「気のせいじゃないの?」

にこりと微笑み、キラは「ごちそうさま」と言うと自分の食器を持ち立ち去ってしまった。オレも慌てて後を追う。

「今日は何で行く?車?」

「ううん、徒歩」

「徒歩ぉ?」

ここからモルゲンレーテの本社は少し遠い。普段は自転車か車で行っているのだが、今日はキラは徒歩が良いらしい。ふとオレは、キラの考えが読めたような気がして、にやりと笑った。

「駄目だ。だってキラ、会議サボろうとしてるだろ」

先刻ににんじんの仕返しというわけではないが、タダでさえ歩くのが遅いキラが今から徒歩で出勤なんて、普通に考えて間に合うはずがないのだ。するとキラは、ちぇっと唇を尖らせた。

「会議面倒臭い…」

「遅刻して怒られるのはオレなんだぞ!」

そんな会話をしていたのがおよそ1時間前。結局オレはキラの頼みを断ることが出来ず、モルゲンレーテまでは歩いて行くことにした。キラの頼みを断れなかった、というのもあるが、本当はオレが単にキラといる時間が欲しかっただけなのだった。多分この思いはキラには気づかれていて、ちょっとかっこ悪いと思うが、でもそれでキラといる時間が増えるというのならオレはかっこ悪くてもいいかな、と思う。

「シン・アスカ!聞いてるの?全く、しっかりキラを見張っててって頼んでるのに…」

そうして遅刻したオレ達は、廊下に立たされた上にエリカ主任のお説教が現在進行形である。はい、はい、すみませんと頷きながらちらりとキラを盗み見ると、丁度キラもこちらを盗み見たところで、ばちりと目が合ってしまった。オレがじろりとキラを睨むと、キラはにこりと微笑んで返す。その笑顔にどきりとして、目をそらそうと前を向いたら、エリカ主任と目が合った。

「2人とも、罰として午後まで倉庫の掃除!」

「はあい」

ずっとお説教されるよりはましだ、とやる気の無い返事を返したら、エリカ主任ははあ、と大きなため息を吐いた。


実のところ、こうして罰としてこの部屋の掃除をさせられるのは今日が始めてではなく、オレとキラは慣れた手つきでモップで床を磨いていく。手馴れたもので、午後まであと1時間を残し、掃除は全て終了してしまった。オレたちは、倉庫の入り口の端に腰掛ける。

「ねえシン、アスランって知ってる?アスランザラ」

ザフトにいたから知ってると思うけど、と言い、キラは唐突にオレに尋ねてきた。もちろんその名は知っているし、どんな人物かも嫌と言うほど知っているので、オレは素直に頷く。

「アスランってね、僕の幼馴染なんだ」

「へえ、プラントの?」

「うん」

キラは頷く。

「でね、アスランがね、この前電話してきたんだけど、」

「ああ、あの時の」

その日オレが風呂から出たら、キラは電話をしていた。キラが電話をしているなんて珍しいし、何より、その楽しそうな口調がとても気になった。だからこっそり盗み聞きしようと思い耳を澄ませたけれど、その内容はさっぱりわからなかった。

「で、アスランがどうしたんだよ」

「アスランがね、プラントに来ないか、って。ザフトが人手不足だからって言うんだよ」

「え!?」

オレが衝撃のあまり立ち上がると、隣に立てかけてあったモップ2つががたんと大きな音を立てて倒れた。その音に最初びっくりしていたキラだったが、くすくすと笑い出す。

「最後まで聞いてよね。シンは、アスランを知ってるんだよね?」

「そりゃー、一時的だけどうちの隊長だったし」

「あのね、僕が断っても、頼むから来てくれってしつこいの」

「まあ、あの人ならそうだろうな」

「だから僕、シンが行くなら行ってもいいよって言ったんだよね」

「なんだと!?」

驚いて一歩足を引くと、転がっていたモップに足が引っかかり、危うく転びそうになってしまった。と、その時、バタンと倉庫の扉が開き、エリカ主任が顔を出す。

「シン、電話よ」

「誰からですか?」

「…プラントからよ。誰かはわからないけど」

オレとキラは、顔を見合わせた。なんというタイミングだ。

「留守だって言ってください」

あの人とは出来ればかかわりたくない。キラ絡みならなおさらだ。しかしエリカ主任は、大きなため息を吐き。

「言ったわよ、何度も。けど聞いちゃくれないのよね」

「じゃあ夜またかけなおすって言ってください」

「わかったわ」

ばたん、と扉が閉じて、オレとキラは無言のまま顔を見合わせていた。

「夜電話するの?」

キラが問う。

「わかんない。メールじゃだめかな。この際手紙とか」

「駄目だよ、そんなことしたら、アスラン本人が来ちゃう」

くすりと笑ってキラは言う。冗談なのか本気なのかわからないが、オレには十分起こり得る未来のような気がして、とても笑える状態ではなかった。


数日後、電話から逃げに逃げていたオレの前に現れたのはやはりアスランザラ本人で。話し合いのはずがだんだんと口論に近くなり、最後の方はもうキラへの告白大会へ変化してしまっていたが、なんとか気持ちは通じたらしい。アスランは諦めてプラントに帰っていった。

「大丈夫?シン」

不安そうな顔で、キラは尋ねる。オレは大丈夫だよ、と言ってキラの頭を撫でた。キラはにこりと微笑む。この笑顔がある限り、オレはおそらくもう止まりはしないだろう。そしてキラも同様に、オレといることによって停滞することなく進みつづけてくれればいいと、思う。









諦めきれなかったアスランはまた数日後やってきます。
キラの両親は健在ですが、キラは両親と暮らすつもりはもうないです。
シンの両親は本編通り死亡してます。医者っていうのは勝手な設定です。