X 知らない海


「あんたオレが何者か知ってんの」

少しきつめにそう問うと、男はまるで返事とは言い難い曖昧な笑みを返した。


ここはオーブだ。オーブのどこにあたるのかはわからないが、海岸沿いにある屋敷。近くには孤児院があって、男はそこで働いているのだという。オレは被爆して海に落ちて、いつのまにかこの海岸に流れ着いていたそうだ。男はにこりと微笑んでいて、何を考えているのかわからない。歳の頃は18,9、軍人ばかり見てきたオレにとって彼は珍しく、この時代に似つかわしくない華奢な体系をしていた。

男の名前はキラという。オレが目を覚まして最初に放ったキラの言葉は自分の名前だった。

「…あんた、誰だ!!?…ここは…オレはMSに乗っていたはずで、」

「僕の名前はキラ。ここは僕の家だよ。好きに使うといい」

「そうじゃない、オレが聞きたいのはそういうことじゃなくて、」

オレは気を失ったときのまま、ザフト軍のパイロットスーツを身に纏っていた。おそらくここはオーブだろう。先刻まで戦っていた場所はオーブ近郊の海だ。この時代この場所でザフト軍だと身分を明かすなんて、自ら的になれと言っているようなものなのに。男はそれを全く厭わずに、オレについてはなにも触れてこなかった。

「あんた、オレが何者か知ってんの?」

オレは思わずそう問うた。もしかしたら男が、オレがザフト軍だということに気付いていないのかもしれないと思ったからだ。窓の外を見るとそこは海で、やはりここはオーブなんだな、と思った。オーブだからコーディネーターに寛容なのか、とも思ったが、あれだけ国内を騒がせているザフト軍が国民に容易に受け入れられるはずがない。しかもオレはMSのパイロットで、先頭をきって人を殺しにいっているような人種なのに。

男からの返答はない。じっと睨みつけるようにその瞳を見る。男は微笑んでいた。多分、全て知っているのだろう。


男はあまり言葉を発さなかった。もうオレがベッドから起き上がれるようになって3日たつ。一番最初に男が言っていた通り、食事や掃除は各自が勝手にやることになっていてオレはこの部屋を好きなように使っていた。どうやら男はそれなりに忙しいらしく、日中は殆どこの家に帰ってこなかった。

屋敷の中は広く、しかし誰もいなかった。でも誰かが住んでいたような痕跡は多く残っていて、多分皆引越しでもしたのかな、と暢気に考えていた。この屋敷は平和だった。


この屋敷にやってきてから1週間が経過した。傷は完全に癒えて、この屋敷での生活も慣れ初めてきた頃のこと。その日も男は朝食を食べるとすぐに屋敷を出て行ってしまい、隙を持て余していたオレは男の後をつけることにした。

男の目的地はこの屋敷よりも更に浜辺に近い場所にある孤児院だった。男は真っ直ぐにその孤児院の中に入っていってしまって、さすがにその中にまではついていけないと思ったオレは近くの岩場に腰を下ろした。孤児院からは少し遠い、目を凝らさないと見えない場所だ。間もなくして男は数人の子供達と一緒に外へ出てきて、そして連れ立って海の方へと歩いていった。散歩でもするつもりなのだろう。久々に見た平和な光景に、オレはずっとそれを眺めていた。


次の日も次の日も男は孤児院に行き、オレは岩場に座り彼等を眺めていた。その次の日は、雨だった。

「…さすがに雨の日は散歩はしないか」

ざあざあと降りしきる雨の中、オレはまた岩場に腰かけていた。しかし時間になっても彼等は外へは出てこない。当然だ。けれどオレは屋敷に戻る気にはならなくて、ただただ雨に打ち付けられている暗い海を眺めていた。


「…そんなところにいたら風邪をひくよ」

ぼおっとしすぎていたのか、もしくは眠っていたのか。呼びかけられた声にはっと顔をあげると、目の前に男が立っていた。

「なんであんた、」

「もう7時だよ」

言われてみればあたりはすっかりと暗くなっている。ここは浜辺だから外灯は殆ど無く、砂浜は暗闇に包まれている。それなのに男がオレのことを発見できたのは多分、オレがここで男を眺めていたことがとうにバレていたからなのだろう。

「…気付かなかった。寝ていたのかもしれない」

「夜ちゃんと眠らないからだよ」

そんなところまでお見通しだったらしい。彼とは同じ部屋で眠っているが、オレは他人の呼吸音が気になってしまってちっとも眠ることが出来なかった。でもレイと同室だった頃はきちんと眠れていたから、もしかしたら原因は別のところにあるのかもしれないが。しかし彼はちゃんと眠っているものだとばかり思っていたのに、いつからバレていたのだろう。

「…大丈夫?」

男が不審そうにオレに尋ねる。何が大丈夫なのだろう、男の雨に濡れた冷たい手がオレの頬に触れ、額に触れた。他人に触れられるのは久々で、その熱が煩わしければ振り払ってしまおうかと思っていたが、男の手は冷たく心地よく、オレはそれを受け入れた。

「早く部屋に戻ろう」

男はそう言って、踵を返す。オレも立ち上がろうとしたのだが、上手く立ち上がることができない。男がそれに気付いてオレの手を引いた。その瞬間、ぐらりと身体がバランスを失った。

「シン!」

遠くで聞こえたのは、男が叫んだ声だった。何故だろう、オレはまだあいつに名前を教えたことがない。


目を覚ますと、おそらく額に乗っていたのであろう生温く濡れたタオルが枕に落ちた。目の前には見慣れた天井が広がっている。窓の外は暖かく晴れていて、開いた窓から心地よい風が入り込んで頬を撫でる。久々に眠った気がした。何か夢を見ていたような気がするが、よく覚えていない。ゆっくりと上体を起こすと、足元でもぞもぞと何かが動いた。キラだ。

彼はベッドの横に置いたイスに腰掛けたまま、オレの足元に突っ伏すようにして眠っていた。まさか看病でもしてくれていたのだろうか。きょろきょろとあたりを見回したが、室内はいつもと変わらず殺風景なままだった。何か日付がわかるものをと思い探してみるが、何も見当たらない。窓の外の景色も、いつもと変わらない。

「…おはよう」

小さく声が聞こえ、オレは男に顔を向けた。ごしごしと目を擦るその姿は、いつもより幾分か子供っぽく見えた。男は小さくあくびをして、イスから立ち上がる。

「熱は下がったよ。おなかがすいたならお粥もある」

「聞きたいことがある」

「…きみが眠ってから3日経った」

「そうじゃない、そうじゃなくて…」

3日も経っていたなんて驚きだ。だが今聞きたいのはそんなことではなく、もっと重要な。

「あんた、どこでオレの名前を知った?」


当初の男の話ではオレは海岸に流れついていて、MSはどこにも見当たらなかったという。オレは首周りがごちゃごちゃするのが嫌だからドッグタグもつけていない。名前に関する情報は、何一つ無かったはずだ。男は普段から湛えていた微笑が消え、どことなく悲しげな表情になった。

男は何も言わずに部屋を出た。オレはどうしようかと逡巡するが、結局その場で待つことにした。男はどこか別の部屋に入ったらしく、ばたんと扉が開く音がした。やはりついていった方が良かったのかと思ったが、迷っているうちにまた扉が閉じる音がした。間もなくして男は部屋に戻ってきた。

「アスランザラ」

そう言って男はオレの足元、ベッドの上に一枚の写真立てを投げた。そこに写っているのは、ザフトの赤服を着ているオレの上司と、そして地球軍服を着ているこの男だ。写真に写っている男は少し幼い顔立ちをしている。数年前のものだろうか。てっきりオレは、彼はコーディネーターなのだと思っていたのに。戸惑うように彼を見ると、男は表情を変えず言った。

「僕の幼馴染で、今でもたまに連絡はとっている。キミのことは、彼から聞いた」

言われてオレは、あの相性の会わない上司を思い出した。まさか彼にこんな幼馴染がいたとは、はっきり本人を目の前にしても何故か想像がつかなかった。

「ってことはオレの居場所も、あの人にはわかってるってことか」

それならそれで早く迎えに来てくれればいいのに、と思ったが、男は首を振った。

「彼はこのことは知らないよ」

「…どうして教えない?」

「聞かれてないから」

意味がわからない、とオレはため息を吐いた。男はいつもそうだ。わざとなのかそうではないのか、話をしていてもどこか少しずれている。多分わざとなんだろうなとオレは思った。彼はオレのことが嫌いなのだろうか、いつも突き放すような、今すぐ会話を終わらせようとしているような話し方ばかりする。

「じゃああんたは、オレがザフト軍でMSのパイロットだと知っているのに、この部屋においているのか?」

男は答えなかったが、じっとオレの方を見ていた。当たり前のことを聞くな、とでも言いたげな目だ。このままでは埒があかないのでオレは質問を変えた。

「あんたは、どうしてオレを拾った?」

オーブで暮らしていて、ましてや彼は地球軍だったのだ。彼等の敵であるオレを、いくら幼馴染の部下だからって簡単に拾ったりするものなのだろうか。男は暫く俯いて考え込んでいたが、堰を切ったかのように突然話し出した。

「キミのことは随分前に一度だけアスランから聞いていた。キミが海岸に流れ着いてきたのは本当に偶然だよ。拾ったのは僕ではないけど、キミは目を覚まさないし軍人だから、僕が引き受けた。キミがどうしてザフトに入ったのかもアスランから聞いた。だから僕はアスランにキミがいることを教えなかった。勝手なことを言うようだけど、きみはもう軍には戻らない方が良い。じゃないと」

「…じゃないと?」

「僕みたいになる」

意味がわからない、と怪訝に彼の顔を窺うが、男はもう全て言い切ったとでも言いたげに、無言でオレの顔を見た。オレはすっと視線を写真立てに落とす。この上司から、彼の話を聞いたことはない、と思う。というかこいつは、何を勝手に人の過去を他人に話しているのだ。

「…僕のパソコンを貸してあげるから、あとでアスランと連絡をとりなよ。僕からだと信じてもらえないかもしれないから」

「いいのかよ、軍に戻って。戻らない方がいいって言ったのはあんたなのに」

「決めるのはキミだよ」

男は壁に寄りかかり、窓の外を眺めていた。どことなく悲しそうな表情をしている。僕みたいになる、といった男の言葉の意味はわからないが、オレのことを知っていてそう言ったということは、彼はどこかオレに似ているところがあるのかもしれない、と思った。オレは写真立てから目を逸らすと、じっと彼の顔を見た。まともに彼の顔を見るのは初めてかもしれない。整った顔立ちをしていて、やはり彼はコーディネーターなのではないか、と思う。

「パソコンはいい。それより腹減ったから何か食べるものを」

「え、」

「気分転換に散歩してくるから、それまでに用意しといてよ」

そう言うとオレはベッドを降り立ち上がる。どうやら3日寝ていたというのは本当らしく、久々に立ち上がると身体がバキバキと鳴った。男はとても驚いた顔をしていて、しかしオレは何も言わずに部屋を出た。


海岸は少し風が強く、病み上がりには良くないような気がしたが悪い気分ではなかった。目の前には静かに揺れる群青の海が広がっている。ここ暫くはずっとプラントや宇宙にいたから、静かに海を眺めるのは数年ぶりかもしれない。穏やかだった。あの部屋にはテレビも新聞もないから、いま戦況がどうなっているのかはわからない。キラはあの上司と今でも連絡を取り合っているそうだから、彼に聞けばわかるのかもしれないがそういう気分にもならなかった。唯一気に掛かるのは、彼が言った言葉の意味だけ。

ざ、ざと音が聞こえ振り返ると、彼がすぐ近くまで歩み寄ってきていた。オレは何も言わず視線を海に戻す。男はオレのすぐ隣で立ち止まり、腰を下ろした。

「ごめんね」

男の視線は真っ直ぐに海の奥を見つめていて、それが誰に対しての謝罪なのかオレにはわからない。つられるようにしてオレも海の奥、水平線を見つめるがそこにあるのは群青の色だけだった。









・シンはキラがフリーダムのパイロットだということは知らない
・シンはフリーダムのパイロットを憎んでいる
・ステラはもういない
・キラはシンがフリーダムのパイロットを憎んでいることを知っている
という前提で読んでもらえればわかりやすいかと。
余裕があればキラ視点の方も書きたいと思います。このままじゃ意味不明なので。