F 情状


午前5時。けたたましく鳴り響く目覚まし時計にオレは顔をゆがめる。今だ覚醒しない頭をふり目覚まし時計を止めようと手を伸ばすが、オレの手が届かないうちにカチリと音がしベルが止まった。もそもそと布団から出、顔を上げる。にこりと微笑むキラと目があった。

「おはよう」

そう言ってキラはカーテンを開く。薄暗い室内に突然明るい光が差し込み、あまりの眩しさにオレは手で目を覆う。くすり、と笑いながら、キラが部屋を出て行った。


キラがこの部屋に住み始めてからおよそ1年がたつ。オレは2年前の戦争で家族を失いそのままプラントへやってきた。そこで出会ったのが、キラだ。

今でこそそれなりの生活ができているオレ達だったが、最初のうちは、それはそれは酷かった。キラの素性は知らなかったし、それは今でも変わらない。知っているのは、キラには家族がいないことと、キラはオーブ出身のコーディネーターだということ、それだけだ。



* * *



キラと知り合ったのは、オレが軍に入ってから間もない頃だった。アカデミーの教官にオレがオーブ出身だということを話したところ、同じくオーブ出身の男がいる、という話を聞いて、社交辞令に名を尋ねてみれば。それは、オレが反発に反発を重ねていたアカデミーでの講師、キラという名の男だった。

キラはプログラミングの臨時講師としてアカデミーに雇われていたらしい。キラとは全くといって良いほどソリが合わず、オレはほとんど彼の授業に出ていなかった。もちろんそんなことでは卒業はできないので、出席日数がヤバくなったときだけ顔を出し、顔を出したとしても常に寝ているか漫画を読んでいるかのどちらかだ。

キラがオーブ出身、という話を聞いて、オレは少しだけキラに興味を持った。

オレはプログラミングが苦手だったのでテストはいつも赤点ギリギリだった。だからその日も補習の予定を組むためにオレだけが職員室に呼び出されていた。


「…というわけだから、来週の5時に第2講義室で…って、聞いているの、アスカ君」

カタン、と机に眼鏡を置いて、キラは溜息を吐いた。キラはいつも溜息を吐く。そして、いつも眉間に皺を寄せながら、難しい顔をしている。オレはキラのそういうところが嫌いだった。だからついつい反発してしまうのだろう。その日もオレは、いつものキラの溜息に少しムカっときていたが、それよりも気になることがある。

「なあ、アンタ、」

オレがそう言うと、キラはゆっくりと顔を上げた。最初のうちは言葉遣いを注意されていたのだが、最近はそれもなくなった。キラはオレの顔を見上げながら、黙って言葉の続きを待つ。

「アンタ、オーブ出身なの?」

オレがそう言うと、キラは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに元の仏頂面に戻った。

「…どこでそれを」

「ナイショ」

オレがおどけてそう言うと、キラはゆっくりと立ち上がった。

「来週の5時に第2講義室だよ。忘れずに来るように」

そう言うと、キラは職員室を出て行った。


オレはキラの、何でも完璧にこなせるくせに、いつもつまらなさそうな顔をしているところが嫌いだった。いつも無表情でカタカタとパソコンをいじっている。キラはただの優秀なプログラマーだと思っていたのだが、とある教官に尋ねてみると、キラはMSの腕も優秀なのだと教えられた。当時はまだ赤服ではなかったがMS戦の成績はそれなりに優秀だったオレが「オレとどっちが強いですか」と尋ねてみると、教官はすぐに「そんなのキラに決まってるだろ」と笑った。そして、「キラに勝てるヤツなんていねーよ」と言う。ならば何故MSの講師じゃなくて、プログラミングの講師をしているのだろうか。2科目を持つ講師だってたくさんいる。それなのに何故だろう。教官に尋ねるが、「本人に聞いてみろよ」としか言われなかった。


キラに対しての認識が変わったのは、オレが初めて実践に出た日のことだった。赤服となったオレは仲間と一緒にザクに乗り、とあるコロニーへの偵察に向かった。話によるとそのコロニーは、地球軍の、それもブルーコスモスに占拠されているとのことで、おそらくそれがオレたちの初めての戦闘になるだろうと教官に言われた。

首尾は上々だった。中にいたブルーコスモスが、降参して出てくる。これは戦闘はなさそうだな、そう油断したときのことだ。ドン、と大きな音がなり、仲間の信号がロストした。オレは驚いて辺りを見回す。するとコロニーの影から地球軍のものと思われるMAが大量に現れた。降参した人間達は、おそらく囮だったのだろう。完全に油断していたオレ達の機体は次々に落とされていく。オレはなんとか最初の攻撃を避け逃げ続けていたのだが、仲間の数が減るたびにオレへの攻撃が増えていき、そろそろやばいかもしれないな、なんてことを思い始めてきたころだ。

一瞬目の前に閃光が走ったかと思うと、地球軍のMAが次々とロストする。援護が来るには早すぎる。そう思って振り返ると、そこにいたのは1機のザクだ。オレが乗っている機体と同じ色をしているそのザクは、ザクとは思えない動きで次々と地球軍のMAを沈めていく。いったい誰が操縦しているのか、オレが唖然とそのザクに見蕩れていると、次の瞬間そのザクがふらつき、そして動きが停止する。

「え!?」

オレは驚いてそのザクの傍まで急ぐ。地球軍のMAは全滅しており、遠くから応援が来るのが見えた。こいつが一人でやったのだ。オレはそのザクの腕をしっかりと掴むと、艦に戻った。


「どけろ!」

艦に戻ってザクから下りると、凄い剣幕で誰かがやってくる。キラのことを良く知っている、オレのアカデミーでの教官だった。いつもにやにやと笑っている彼と同一人物とは思えないほどの真剣さで、オレは驚く。教官は真っ先にオレが救出した例のザクの元に駆け寄る。

「誰か!ストレッチャー持って来い!早く!」

間もなくストレッチャーを持った兵士が足早に戻ってくる。教官がザクのハッチを開くところを、オレは遠くから眺めていた。いったい誰が乗っていたのだろう。てっきり教官が乗っているものだとばかり思っていたオレは、その人物の顔を見ようと教官の元へ近寄った。

「急いで医務室に運んでくれ」

そう言って教官はかるがるとその人物を持ち上げる。驚いたことに、パイロットスーツすら着用していない。見慣れたこの白い白衣に、亜麻色の髪。

「…なんで、こいつが、」

オレが驚きのあまりそう呟くと、おそらく今気づいたのだろう、教官がこちらを向く。

「駄目だっつーのに勝手に出て行きやがったんだよ…操縦なんて、出来ないくせに」

「でも、だって、あいつに勝てるヤツはいない、って」

「ああ、」

教官は一瞬考え込んでから、言い難そうに言う。

「キラはな、MSに乗れないんだよ。おそらくトラウマか何かだろうな。コックピットに入っただけで吐き気がするそうだ」

そう言うと教官は、キラの様子を見てくる、と言い兵士達の後を追った。


(なんでそこまでして乗ったんだよ)

そう思いながら、オレは医務室の扉を開く。中に誰かいるだろうとばかり思っていたのだが、医務室には人一人見当たらなかった。奥のベッドを覗くと、真っ白なベッドの上でキラが横になっている。おそらくまだ意識は取り戻していないらしい。顔色が悪く、苦しそうだった。

「…なんで、」

オレはぎゅ、と拳を握る。キラのことは嫌いだ。だけど、オレの所為で他人が苦しむのはもっと嫌だった。あの時地球軍のMSに落とされた奴等は、殆どが行方不明で今だ見つかっていないらしい。もしかしたらオレもあそこで死んでいたのかもしれない、と思うと、今更になってから恐怖が沸いてくる。

(なんで来たんだよ)

たとえ操縦が上手くても、コックピットに入るだけで具合が悪くなっているようじゃあ、助けに来た自分がやられるかもしれないじゃないか。「ん、」と唸って、キラが体を動かした。さらさらと髪の毛が流れる。顔にかかる髪の毛がくすぐったいらしい。何度も顔を揺するキラの、髪の毛をさらりとかきあげる。すると、キラがゆっくりと目を開いた。

「いや、えっと、その、」

キラと目が合い、オレは焦って言葉に詰まる。眠っている相手に触れたところを見られるなんて。しかしキラは今だ意識が覚醒していないのだろう。ぼんやりとした視点でオレの方を眺めながら。

「…よかった、無事で」

そう言って、うっすらと微笑み、また瞳を閉じた。

(…笑った!?)

驚きのあまり、オレは2,3歩後退る。しん、と室内が静まり返った。心臓が、どくどくと早鐘のように鳴り響いて止まらない。驚きによるものか、それとも。

「よお、シン!」

ガラ、と扉が開く。それからコンコンとノックをして、教官が入ってきた。ノックが先だろう、と突っ込みを入れたかったが、今はそれどころではない。

「何やってんだ?キラ、目ぇ覚ましたか?」

教官はずかずかと室内に入り、眠っているキラの頭を撫でた。

「あ、」

そんなことをしたら、また目を覚ましてしまうではないか。しかしキラは目を覚ますどころか身動きひとつせずに眠り続けている。

「ん?どうかしたか?」

教官に尋ねられ、オレはびくりと肩を揺らし。

「なんでもないです!」

そう言って、医務室から逃げ出した。


次の日アカデミーに行くと、そこにキラの姿はなかった。

初めから臨時講師、ということで雇われていたキラだったから、来た時も突然だったし、いなくなるのも突然だ。結局、キラの補習には出ることが出来なかった。




おそらくもう2度と会うことはないだろうな。あの日ああまでしてMSに乗った理由を、結局オレは知らないでいる。

本来ならば、キラの補習があったであろうこの日。授業が終わり、普段ならもうとっくに自宅に帰っている時間だったが、オレは一人で第2講義室に残っていた。補習があるからではない、教官に呼び出されたからだ。一人でぼんやりと待っていると、暫くしてから扉が開く。入ってきたのは見慣れた教官と、銀色のオカッパ頭で有名な、あのジュール隊の隊長だった。

「お前がシンアスカか」

そう問われ、オレは戸惑いながらも返事をする。するとジュール隊長はじろじろと上から下までオレを眺め、ふぅん、と言った。よくわからない。

「貴様、自宅の家賃が2ヶ月間未納だ、という話を聞いたが、それは本当か」

唐突な質問に、オレは一瞬呆然とする。隣に立つ教官に助けを求める視線を流すが、彼はにやにやと笑っているだけだ。家賃未納はもちろん本当だ。いくらザフトの軍人だからといって、オレはまだ16歳のガキだし、軍に入ってから1年もたっていない見習いだ。立派な給料がもらえるわけがなく、かといってバイトをすることはできない。寮に入ろうかと思ったが、寮は寮で結構な値段がするし、身元の安定しないオレではおそらく入れないだろう。だからオレはアカデミーの近くにある安いアパートに部屋を借りて暮していた。だが家賃はたまにしか払うことができなくて、現在もオレは未納期間2ヶ月の記録を更新中だ。だがそんなこと、何故あのジュール隊長が知っているのだろうか。

「…本当ですけど、」

嘘をつくことは出来ないので、正直に答えた。隣で教官が笑っている。だが仕方が無いじゃないか、金がないのだから。するとジュール隊長は、またふうんと言いながらオレを眺め、少し不機嫌そうな顔で。

「家賃が払えないのならば、すぐにその家を出ろ。それが無理なら、ルームシェアをしろ」

「…え?」

突拍子のないその台詞に、オレは思わず耳を疑う。ルームシェアってそんなもの、言われなくてもできるならとっくにしている。だが、この時代じゃあ地球から来たというだけでも浮いているというのに、そんなオレと部屋を共有してくれる人間なんて見つかるわけがないのだ。オレが何も答えずにいると、ジュール隊長は、

「するのか!しないのか!」

と詰め寄ってきた。オレは思わず

「し、します」

と答えてしまう。するとジュール隊長は少し満足そうな顔になり、

「そうか、わかった」

と言って、部屋を出て行ってしまった。オレは助けを求めるように教官の顔を見るが、教官もまた、にやにやと笑いながら部屋を出て行ってしまう。どうすればいいんだろう、ぽつんと残された第2講義室の真ん中で考える。するとガラっとまた扉が開き、ジュール隊長が顔を出す。

「お前と一緒に住む人間は、もうお前の部屋に向かっているそうだ。あとは勝手にしろ」

そう言うと、バタンと扉を閉めた。

もうオレの部屋に来ている!?オレは慌ててカバンに荷物をしまうと、急いで部屋に走った。



がちゃり、と扉を開くと、見慣れない靴が1足おいてある。ジュール隊長の言ったとおり、本当にルームシェアする人間がやってきているらしい。どきどきしながら室内に入り、リビングの扉を開く。するとソファーに腰掛けていた人物が、ゆっくりとこちらを向いた。その顔を見て、オレはさらに驚く。

「…あんた、なんで、」

がたん、と手からカバンが落ちる。ソファーに座っていたキラはオレの顔を見ると。

「言葉遣いには注意しなさい、アスカ君」

そう言って、キラが立ち上がる。呆然と立ち尽くすオレのところにきて

「はじめまして、今日から同じ部屋に住ませていただくことになりましたキラです」

どうぞよろしく、わざとらしい棒読みでそういわれ、オレの眉間に皺が寄った。


「だから、イザークがこの部屋で暮せ、って言ったんだってば!!!」

「だから、なんでオレの部屋なんだよ!!!」

先程からこの問答の繰り返しだ。先程からキラは怒った顔をしていて、授業中のあの仏頂面しか見たことがないオレは少し驚く。だが、オレはあの仏頂面よりはこっちの方が好きだ。

はぁ、とキラが溜息を吐く。だが、いつものように嫌な気分にはならなかった。

「とにかく、もう僕がここに住むことにきまっちゃったから」

溜息交じりにそう言い、キラは立ち上がる。

「おい、どこ行くんだよ、」

オレが慌てて引き止めると、キラは立ち止まり。

「何って、晩ご飯の仕度するに決まってるじゃないか。キミ、料理できないんでしょ」

材料は買ってきたから。いつの間にか買ってきたらしいスーパーの袋を指差して、キラは言った。



* * *



「何やってんの、シン。遅刻するよ」

なかなか部屋から出てこないオレを不審に思ったらしいキラが部屋に戻ってきた。

「今着替えてるんだよ」

そう言うと、ふうんと言ってキラはまた部屋を出て行く。開いた扉の向こうから良いにおいが漂ってきて、思わずおなかが鳴った。キラの作る料理は美味しい。それはキラが最初にうちにきたときから変わらない。

キラがこの家にきてから数ヶ月たった頃、ジュール隊長が遊びに(というよりは偵察に)やってきた。その時は丁度オレはアカデミーにいて留守にしていたので、キラが勝手にもてなしてくれたらしい。オレが家に帰るのと同時に、ジュール隊長も部屋から出てきた。一瞬目が合い気まずい雰囲気が流れたが、こんにちは、と挨拶すると、ふん、と鼻で笑われた。そして「キラは元気にやってるみたいだな」といい、アパートのオレの部屋がある位置を見上げる。そりゃもう、毎日毎日怒鳴られてうるさいですよと言うと、ジュール隊長はとても驚いた顔をして。そうか、と言い頷いた。そして、キラを頼むな、と言い帰ってしまった。


キラが何故この家に来ることになったのかも、何故臨時講師をしていたのかも、何故MSの操縦が得意なのに、コックピットに入れないのかも、何もかも、オレは知らないし、聞くことも出来ない。オレがキラに何か尋ねようとすると、きまってキラはびくりと怯えるような様子を見せる。だからオレは、キラには何も尋ねない。詮索しない。キラの過去に何があったとしても、多分それはオレには関係ないことだから。


朝食を食べながら、ふと思い出す。

「そういえばオレ、キラの授業に殆ど出てなかったし、補習にも出てなかったのに、よく進学できたな」

結局あのプログラミングの授業は、出席日数不足で落ちるだろうと思っていたのだが、届いた通知書にはきちんと進学の文字が記されており、驚いてプログラミングの授業の出席日数を調べたら、オレが休んだ日日よりもはるかに少ない、ギリギリ進学できる程度の数字が記されていて、オレはとても驚いた。するとキラは、

「さあ、なんでだろうね」

といい、微笑む。が、その顔はどこか悲しそうで、オレはしまった、と思った。

「ま、どーでもいいんだけど」

そう言って、煮魚に手を伸ばす。美味しい。ちらりとキラの様子を伺うと、キラはオレの方を見ていた。

「なんだよ」

「なんでもないよ。…それよりシン、時間」

言われてオレは時計を見る。いつもよりも10分くらい行動が遅れていた。この調子だと、確実に遅刻してしまう。

「やべぇ!」

急いでご飯をかきこんで、ごちそうさま、と叫んでからオレはカバンを取りに部屋に走った。

「送ってあげようか?」

キラが言う。確かに車で行けば余裕で間に合う時間だが、オレは丁寧に断った。

「じゃあ、行ってくるから」

外まで見送りをしようとするキラを静止して、オレは扉を閉めた。鍵をかけて、アパートの階段をおりる。

おそらくキラは、これからまた布団に戻っている頃だろう。現在の時刻は午前5時半。普通ならばまだ寝ている時間だ。オレはキラに、朝早いから寝ていていい、といっているのに、キラはいつも「朝ごはん作らなきゃ」とか「目が覚めちゃって」とか言って、オレと一緒に起きるのだ。

気を使っているのだろうか、でもなんで。そんなことを考えながら、学校に向かって走る。キラに聞くことは出来ない。なぜだかわからないけれど、オレはそう思う。

今のオレに出来ることは、強い軍人になることだけだ。友人に聞いたはなしによると、近々また戦争が始まるかもしれない、と言っていた。それをキラに話すと、キラはとても驚いたような、哀しい顔をしていた。なんとなくオレは、キラは多分2年前の戦争に出ていたのだろう、と思う。それならジュール隊長と仲が良い理由も、MSの操作が上手なのも頷ける。もしまた戦争が始まれば、オレは多分戦艦に乗ることになるのだろう。その場合、キラはどうするのだろうか。キラは臨時講師なだけで、ザフトの軍人ではない。オレとルームシェアしてることを考えると、きっとキラも金がないのだろうか。だったら、キラはまたオレではない別の人と一緒に暮し始めるのだろう。先日、キラを良く知る教官に進路相談をしながら、そんなことをぼやいてみた。すると教官は、「それはないから安心しろ」と言って笑った。それはない、のそれ、とは、オレが戦艦に乗ることだろうか。それとも、キラが違う人と暮すこと?わからない。



「ただいま」

がちゃり、と扉を開くが、いつもならすぐに出てくるはずのキラがいない。テレビの音も聞こえないし、シャワーの音もしない。それ以前に、電気もついていなかった。

「…キラ?」

オレは室内に入る。ぱちりと電気をつけるが、室内はいつもと変わらぬ様子だった。部屋を覗くが、綺麗に片付いていて、キラの姿は見当たらない。キッチンにも、シャワールームにもいない。出かけたのかな、そう思い、オレはソファーに座ってテレビをつける。おなかがすいて冷蔵庫を開けるが、食材があるだけで料理の出来ないオレにはどうしようもない。カップラーメンでも食べようかと思ったが、そういえばキラがこの家にきてからはずっとキラが料理を作ってくれていたので、買い置きがなくなってしまっていた。

「…どこいったんだよ」

今思えば、オレはキラのことを何も知らない。キラが誰と仲が良いとか、オレがいない間は何をしているのか、とか、何も。もしかしたら、オレの知らないところでキラは誰かと仲良く遊んでいるのかもしれないし、彼女の一人だっていてもおかしくない。

(もし帰ってこなかったらどうしよう)

そんなわけない、と思ったが、それこそ何の根拠もないことだ。テレビの中では数人の人間が楽しそうに笑っている。考えれば考えるほどわからなくなって、オレはテレビも電気も消して、部屋に篭った。

着替えるのも億劫で、そのままベッドに倒れこむ。ふとベッドサイドのテーブルに見慣れたピンク色の携帯電話を見つけ、そういえばこれにも暫く触っていないことを思い出した。キラと出会う前は、手放す時間すら惜しかったはずなのに。

オレは携帯電話を握り締める。かちかちと時計の秒針の音だけが室内を支配した。



ごめんね、シン、ごめんね。

遠くで謝る声が聞こえて、オレは声の主を探している。どうして謝るんだ。オレに謝ることなんて、何一つないのに。誰の声かもわからない。けれど、謝らないでほしいと思う。


はっと意識を取り戻す。室内はまだ暗く、何の音も聞こえない。時間がわからなくて、握っていた携帯電話を開くと、時刻はもう夜中の2時だ。随分眠ってしまったようだ。着替えてシャワーを浴びなければ。そう思い起き上がると。

「…え!?」

右手をつこうとしたところ、何かに触れた。驚いて見てみると、そこにいたのはキラだった。

「…なんで、え?」

混乱する。暗闇の中、目を凝らしてみてみるとそれはやはりキラで。どうやら眠っているらしい。キラのベッドは隣の部屋にあるのに、何故オレのベッドで眠っているのだ。もしかしてここはキラのベッドだったのだろうか、そう思い確認するが、やはりここはオレの部屋だ。

キラを起こさないように、ゆっくりとベッドからおりる。キラもオレと同様、普段着のまま眠っていた。一体何故。考えるが、ちっとも想像がつかない。けれど、どこか安心している自分が嫌だ。

(だって、このままじゃあ、オレは)

キラがいないと、生きていけなくなるじゃないか。

戦争が始まるかもしれない、という話は、段々と現実味を増してきた。ザフトが新しくMSを開発し、オレはそのパイロットに選ばれた。それはとても嬉しいことなのだが、同時に出来た新型艦ミネルバに配属されることになるだろう。今はまだ予定、の状態だが、それは殆ど決定しているのと同意だ。

新しい戦艦に配属されるまで、あと1ヶ月もないだろう。オレはまだどうすればいいのかわからない。どうする、といっても、選択肢など一つしかない。あと1ヶ月でキラにお別れして、ミネルバに乗るしかないのだ。

「…でも、それは嫌だよ、」

新型MSのパイロットに選ばれたということは、強さを認めてもらったということだろう。それはとても嬉しいことなのに、何故か素直に喜べない。

「なあ、なんであの日、あんたは助けに来たんだよ」

あんなことがなければ、オレはキラのことを、これほどまでに気にすることだってなかったはずだ。眠っているキラに尋ねても答えが返ってくるはずがなく。オレはキラに布団をかけなおしてから、シャワーをあびるため部屋を出た。


「…おはようシン、朝だよ?」

目覚ましの音が聞こえなくて、代わりにキラの声が聞こえる。オレは寝起きは悪いけど、目覚ましの音はちゃんと聞こえるはずなのに。そう思い起き上がってみると、そこが自分の部屋じゃないことに気がついた。

(そうだ、オレ…)

あれからシャワーを浴びた後ベッドに戻ろうとしたのだが、オレのベッドには既にキラが眠っていて。隣で眠るわけにもいかないだろうと思って、オレは仕方なくキラの部屋で寝たのだ。最初はソファーで寝ようと思ったのだが、ソファーは寝心地が悪いし、大体なんでオレがソファーに寝なければならないんだよ、そう思ったから。

「…おはよう」

ごしごしと目を擦る。キラはオレが起きたことを確認すると、にこりと微笑み部屋を出て行った。

珍しく、既に朝食は出来ていた。時刻は午前5時。ということは、もっと早くに起きて準備していたのだろうか。

食事中は、無言だった。キラはいつも食事中は喋らないから、オレが一人で喋っているようなものだったのだが。昨日のことを思い出すと、なんとなく話がし辛い。最も、そんなことを考えているのはきっとオレだけなのだろうけれど。

朝食を食べる時間が早かったので、出かけるまでにまだ10分程度余裕がある。するとキラはオレに

「話があるんだ」

そう言って、1枚の封筒を差し出した。


ルームシェアをやめよう、そう言われるんだなぁと、オレはどこかで確信していた。オレは何も言わずにキラの目の前に座る。キラは封筒を差し出したまま、何も言わない。だからオレはそっとその封筒を受け取った。

封筒には、何も書かれていなかった。中を見ると、1枚の紙が入っている。オレは一度キラの方を見る。キラが頷いたので、オレはその紙を取り出した。

「…臨時…技術士…?」

書類には難しい言葉がたくさん書かれていてよくわからなかったのだが、要約してみると、要するにまたキラに臨時の講師かなにかをして欲しい、そういうことなのだろう。臨時技術士ということは、どこかの戦艦にでも乗るのだろうか。オレは書類を置いて、キラの方を見る。

「昨日イザークに呼び出されて、これをもらったんだ。技術士が少ないらしくって、手伝いをしてくれ、って」

キラはぽつりぽつりとそう言った。

「そっか」

オレはそう答えた。

それで良かったんだ、と思った。オレだって新しい戦艦に乗ることが決まってしまったのだから、同じことである。この家にはもう、誰も住まなくなってしまうのか。そう思いながら、室内を見渡す。それほど長い期間暮していたわけではないが、それでもそれなりに愛着はわいていた。

時計を見る。家を出るまであと5分あるが、オレは居心地が悪くて、早めに出てしまおうかな、なんてことを考えていた。このままだと、キラになんでもかんでも尋ねてしまいそうになる。ちらり、とキラの様子を伺うと、キラも同じように俯いていた。キラもオレみたいに、この家を出ること惜しんでいてくれればいいな、と、そう思う。

「時間だから、もう行くよ」

オレがそう言って立ち上がると、キラは何か言いたそうにこちらを見る。そんな顔をしないで欲しい。オレだって、キラに聞きたいことがたくさんあるんだから。耐えられない。

「…その戦艦って、なんていうやつ」

ぽつりとそう尋ねた。これくらいなら許してほしい。たとえその戦艦を知ったところで、きっとキラとはもう会えないのだから。

「新しく出来た艦で、…ミネルバっていう、」

キラの答えに、オレの頭の中は一瞬真っ白になった。

「はぁぁ!?」

直後、オレの素っ頓狂な声が響く。そんなオレの様子に驚いたらしいキラが、唖然と固まっている。そんな、だって、そんな都合の良い展開、あるわけがないじゃないか。誰の陰謀だ、と思ったが、ふと先刻キラが言っていた『イザークに呼び出されて』という単語を思い出す。そういえば、キラをこの家に連れてきたのもジュール隊長だった。一体彼は何を企んでいるんだろう。考えるが、ちっとも思いつかない。でも良かった、なんだ、心配して損をしたじゃないか。

「…シン?」

ずっと動かないオレを心配してか、キラがオレの顔を覗き込む。オレはそんなキラの肩をぽんぽんと叩いて

「なんだ、もっと早く言えよ!何言われるかと思ってドキドキしただろ!」

「だって、でも、僕この家を出なきゃならないんだよ?」

キラは哀しそうにそう言う。ってことは、少なからずキラもこの家から出ることを哀しいと思ってくれているのだろうか。そうだったら、とても嬉しい。

そういえばオレは、キラにミネルバ配属のことをまだ伝えていない。だからキラはそこまで心配そうな顔をしているのだろう。オレがそのことを伝えたら、キラは何ていうだろうか。早く言え、って、怒られるかもしれない。喜んでもらえればいい、と、そう思う。

「オレも、話あるから、」

本当は今言おうと思ったのだが、時計をみるともう出かけなければならない時間だ。

「今日はどこもいかないんだろ?」

オレがそう尋ねると、キラはこくりと頷いた。

「じゃあ、ずっと家ん中で待ってろよ!帰ってきてから話すから」

じゃあな、といって、オレは急いで家を出る。アカデミーに行く前に、駅前のケーキ屋に寄って行こう。そういえばキラはずっとあそこのケーキが食べたいと言っていた気がする。駅前に寄ったら確実に遅刻してしまうが、そんなこと今はどうでも良かった。


予想通りアカデミーには遅刻で、廊下に立たされていたところをジュール隊長が通りかかる。散々小言を言われたが、オレがにやにやしている理由に気づいたらしい。「全く、」と言いながら笑っていた。

「でもジュール隊長、どうしてキラをミネルバに、」

そう尋ねると、ジュール隊長は一瞬考え込む。が、すぐに

「あいつがお前と離れたくなさそうだったからな」

そう言って、足早に去っていった。オレは今たぶん、すごくまぬけな顔をしていることだろう。ぽかん、と開いた口が塞がらない。キラがオレと離れたくないなんて、そんな、そんなこと、あるわけないのに。でももしそれが本当で、キラが少しでもオレのことを気にしてくれていればいいと、そう思った。









キラはシンのことを知ってるってことで。