E 明暗


1日の訓練が終わり、オレは自宅に向かって歩いていた。雨が降っていて、傘をさしているにもかかわらず、上着は水浸しになっている。プラントでの生活が長くないオレは、天候管理システムが壊れたのかと思っていたが、同僚に尋ねてみるとこれはたんなる「大雨」という天気であり、そういう仕様なのだと教えられた。

水溜りを避けるのも面倒で、そのまま水の中を踏んで歩く。ばしゃり、と大きく水が跳ねるのと同時「わっ、」と微かに驚きの声が聞こえ、オレは驚いて辺りを見回す。ふと水溜りの奥にある路地で何かが動いたような気がして目を凝らして見る。そこにいた人物を見て、驚いた。

「…キラヤマト、」

オレがその名を呟くと、キラヤマトはびくりと体を揺らした。


オレがキラヤマトの名を知ったのは、軍に入りしばらくしてからだ。仲良くなった同僚に、フリーダムのパイロットを探している、という話をしたところ、プラント評議会議長であるギルバートデュランダル氏と深く交友があるらしい彼は、誰にも話さない、という条件でその名を教えてくれた。だが彼の話によれば、キラヤマトは2年前のヤキン戦で行方不明、おそらく死亡しているだとうと言っていたのに。今オレの目の前にいるキラヤマトは、オレと同じザフト軍の赤服を身にまとい、ぼろぼろになりながらオレの方を見上げていた。


(こいつが本当にキラヤマトなのか…?)

オレは思ったが、彼のおびえ具合を見る限り、おそらく彼は本物だろう。長らく雨にあたっていた所為で熱が出ているらしい。寒さでがたがたと震えており、頬が赤く染まっていた。くしゅん、と彼がくしゃみをすると同時、オレは無意識のうちに彼に傘を差し出していた。

「…え?」

キラヤマトは驚いた顔でこちらを見上げている。その美しく透き通った紫色の瞳と、茶色い髪の毛を見て、嫌でも死んでいった家族の、妹の姿を思い出してしまう。それが嫌で、オレは自分の着ていた上着を脱ぎ、そのままキラヤマトの頭にばさりとかぶせた。彼が驚いて上着を取ろうとするが、オレはその腕を掴み強引に引き上げる。服はずぶ濡れで氷のように冷たい。それなのに彼の腕は暖かかった。戸惑う彼の声を無視し、オレはそのまま腕を引いて歩き出す。


最初はじたばたともがいていたキラヤマトだったが、しばらく歩いていくうちに無駄な抵抗だと気づいたのか、いつの間にか大人しくなっていた。通り過ぎる人々が、不審そうな目でオレ達を振り返る。オレは半ば走るような速度で目的地に急いだ。


それから間もなくして、オレが住んでいるアパートに辿り着く。ばさりと彼の頭から上着をとると、キラヤマトはきょろきょろと辺りを見回し、そしてオレの方を見た。不安に溢れた目。無理も無い、突然見知らぬ男に、見知らぬ場所に連れてこられたのだ。途中騒がれなかっただけ幾分かマシだろう。

(こんなヤツが、オレの家族を、)

ぎゅ、っと腕を掴む手に力が篭り、彼の顔が痛みで歪む。だが拒絶の声は出なかった。それをいいことに、オレは彼を室内に連れ込み、そのまま止まることなく浴室に向かう。脱衣所に付き、無理矢理上着を脱がすと、オレのしたいことがわかったのだろう。オレの手を静止して、戸惑いながらも自ら服を脱ぎ始めた。少しも恥ずかしがる素振りをみせなかった彼を不審に思いながらも、オレはキラヤマトをシャワー室に押し込む。シャワーの使い方を教えるのを忘れていたが、すぐに水が流れる音が聞こえてきて、オレはそのまま部屋を出た。


オレは2年前の戦争で家族を失い、そのままプラントに上がってきた。このアパートはその時借りたものだ。アカデミーに入れば寮があるが、オレは周りが皆コーディネーターという状況や、そもそも集団行動が苦手だったので、寮には入らずにアパートから通っている。

冷蔵庫を開けると、何も入っていなかった。普段ならそれで良いのだが、今はキラヤマトがいる。オレがヤツに気を使う必要などない、そう思うのに。


数十分後、コンビニから戻り部屋の中を見回すが、キラヤマトの姿はない。まさかと思いながらもシャワー室を覗いてみると、今が流れる音だけが流れ続けていた。

「おい、」

まさかと思いシャワー室の扉を開くと、水浸しのシャワー室の中で、壁に寄りかかるようにしてキラヤマトは倒れこんでいた。


「どうなってんだよ、」

慌てて浴室からキラヤマトを引っ張り出し、適当に服を着せてベッドに寝かせた。熱を測ろうかと思ったのだが、あいにくこの家に体温計はない。だいたいコーディネーターは風邪をひきにくいと言われているのだ。オレは今まで一度も風邪なんてひいたことがないし、もちろんオレの家族もそうだった。だからどうすれば良いのかが全くわからない。

ふと思い立ってオレは携帯電話を取り出した。数少ないメモリの仲から、一番仲の良い有人を呼び出す。

『珍しいな、どうした』

3コールもしないうちに、レイは電話に出た。

「なあ、風邪引いたときってどうすればいいんだ?」

『風邪?』

風邪でもひいたのか、と言われたので、オレじゃねえよと答えると、じゃあ誰なんだ、と問われた。プラントに身寄りのないオレの知り合いといえば、全てレイの知り合いでもある。さてどうしようか、と思っていたところ、レイは『風邪なら薬を飲めばいいだろう』と言った。

「薬?」

薬なんて、ここ暫く飲んだ覚えがない。というよりも、この家にあるかどうかも怪しいものだ。これから買いに行くにしたって、この時間に開いている店はコンビニくらいしかないだろう。だがコンビニに薬なんて売っているのか?そもそも、こいつが風邪なのかどうかもまだわからないのに。

『どうした?』

黙り込んだオレを気遣うように、レイが尋ねる。どうしよう。するとレイは、『その人物は、オレには紹介できないヤツなのか』と尋ねてきた。紹介、できるのだろうか。そもそも、こいつが誰だかもわからないのに(キラヤマトだけれど)。だが、レイはオレがフリーダムのパイロットを探していることを知っていたし、それなら何故こいつがあんなところで、赤服なんかを着て座っていたのかも、知っているかもしれない。

「紹介、できる」

オレがそう言うと、レイは『では今から行く』といい、電話を切った。


間もなくしてレイは車でやってきた。免許なんてもっていたのか。オレはアカデミーではいつもレイ達とつるんでいるが、学校外でこうやって顔をあわせるのは初めてだ。初めて見るレイの私服に驚いていると、レイはそんなこと全く気にしない様子で「病人はどこだ」と言った。

オレはレイを寝室に案内する。そこには、オレのTシャツとハーフパンツを纏ったキラヤマトが、苦しそうにうなされながら眠っていた。

「これは、…」

あのポーカーフェイスのレイでも、この状況に驚きを隠せないらしい。レイが無言でオレの顔を見る。説明を求めている顔だ。だが、オレにだってよくわからないのだ。

「帰り道、拾ったんだよ。ずぶ濡れで、風邪ひいてそうだから」

オレがぽつりぽつりと呟くと、「そうか」と言ってレイはカバンの中を漁り始めた。赤服を着ていたことは、何故か言うことが出来なかった。


レイはカバンから体温計を取り出し、キラヤマトの熱を測った。どうやらとても高い熱が出ているらしい。オレはレイに言われ、袋に入れた氷と、水を1杯持ってきた。


レイはぱしぱしとキラヤマトの頬を叩く。「起きてください」と言いながら叩き続けていると、キラヤマトは薄っすらを意識を取り戻した。

「…あ、」

何か言いかけていたが、声がかすれて出ないらしい。レイは薬を3錠取り出すと、コップと共にキラヤマトに手渡す。

「薬です。飲んでください」

しかしキラヤマトは腕を動かすのもつらいらしく、持ち上げた手はふるふると震えている。仕方が無いのでレイは彼の口に無理矢理薬を突っ込むと、支えながらコップを口に近づけ、水を飲ませる。上手く飲み込んでくれたらしく、レイが「もう眠って良いですよ」と言うと同時に、彼はまた意識を失った。



「それで、何故キラヤマトがここにいるんだ」

リビングで、レイに詰め寄られる。そんなこと聞かれても、オレにだってわからないのに。オレが言葉につまって困っていると、レイはソファーに座った。

「あれは間違いなくキラヤマトだ」

「…ああ」

オレもレイの向かいに腰を下ろす。はあ、とレイは溜息を吐いた。

「彼女でも出来たのかと思ったら、」

「…ごめん」

「だが、何故彼がこんなところに…」

そう言うとレイは、何か考え込むように黙り込んだ。


風邪がうつるかもしれないから、極力彼には近づくな。そう言って、レイは帰っていった。そういえば晩御飯を食べていないことを思い出し、オレは冷蔵庫を開ける。キラヤマトの食事は必要ないのだろうか。だが、部屋に入るなと言われているから、どうしようもない。こっそりと扉を開けて覗いてみると、今だ苦しそうな寝息は聞こえてくるが、それでも先程よりは幾分かよくなっているようだった。

(なんでオレが、こんなことを…)

これからどうすれば良いのか、全く分からない。あいつはオレがずっと探していた、仇だ。殺さなければ、そう思うけど、あの紫色の瞳を見ると、どうしてもそれが出来なくなってしまう。

(畜生…)

ぎしり、とソファーがきしんだ。今日から暫くはソファーで眠ることになりそうだ。



次の日オレが目を覚ますと、何故か体には毛布がかぶせられていた。しかも、それはオレのベッドにあったはずのものだ。昨日は寝室に入ってないのに、どうして。そう思っていると、ばたん、と音がして、それからがたがたと物が落ちる音がする。オレは慌てて寝室にかけつけた。

「何やってんだよ!」

オレが扉を開くと、本棚の下で本にまみれながら、キラヤマトはびくりと肩を揺らした。

「ご、ごめんなさい、」

そう言って落ちた本を片付けようとしているらしいのだが、その手つきは危なっかしくて、言った傍からどんどんと本が落ちていく。片付けてるのか散らかしてるのか全くわからなくて、オレは「いいから、こっちこいよ」と言い、キラヤマトの腕を引っ張った。

キラヤマトは大人しくオレについてきた。オレが毛布をどけて顎でソファーを指すと、キラヤマトは一瞬躊躇ったが、大人しくソファーに座った。レイが置いていった体温計を手渡すが、彼はそれをやんわりと拒絶する。

「…もう、大丈夫ですから…ご迷惑かけてすみません」

そう言って深々と頭を下げられ、オレは唖然とした。キラヤマトの礼儀正しいその態度、容姿、そして声、全てが想像とはかけ離れていて。どうして彼が仇なのだろう、と、そう思った。

「あんた、風邪は」

いくら薬を飲んだとしても、一晩で治るなんてことはあり得ないだろう。それにレイだって、最低でも3日は目を覚まさないかもしれない、といっていたのに。

「大丈夫です」

だがキラヤマトの様子を見ると、その言葉は本当らしい。先程本棚を倒したのは、風邪でふらついていた所為だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。顔の赤みも消えているし、なによりその表情は全快そのものだ。

「あの、僕の服は、」

オレが呆然としていると、キラヤマトはそう言った。服、というのは、ザフトの赤服のことだろうか。それならば洗濯が出来ないので、クリーニングに出してしまっている。

「…そうですか」

オレがそう言うと、キラヤマトは少し哀しそうな顔をした。


「…お前、キラヤマト、だろ」

沈黙を破り、オレがそう呟くと。キラヤマトは、驚いたような顔をした。

「どうして、その名を、」

「やっぱり、…あんたが、フリーダムのパイロットなのか」

しかしキラヤマトは答えない。そして暫く何か考え込んだあと

「僕は、キラヤマトではありません」

と、答えた。


何を言っているんだ、と思った。だって、オレはキラヤマトを知っているし、彼の様子を見る限り、自分がキラヤマトだと言っているようなものだ。だが彼は、それを認めない。そして。

「キラヤマトは2年前に死にました」

そう言って、微笑んだ。その紫色の奥に、何かが煌いて見えた。




赤服が返ってくるまで。そういう約束で、彼はオレの部屋で暮している。本当は、クリーニングなんてもうとっくに出来上がっているのだけれど、オレは何故かそれを取りに行くことができない。


「シン君、ご飯ができたけど、」

そう言って、キラはキッチンから顔を出した。頷いて、オレは皿を取りにキッチンに向かう。キラはどこかボケていて危なっかしいくせに、何故か料理は上手かった。理由を尋ねてみるが、彼は首を傾げるだけだ。

数週間キラと一緒に過ごしているが、彼についてわかっていることなど、ほんの少ししかない。彼に名前を聞いたら、キラ、としか答えなかった。やはりキラヤマトなのではないか、と思ったが、それは少し違うと怒られた。プラントにいる理由も、あの日路地裏にいた理由も、全て内緒、で済まされた。

キラは、人見知りなんてしなさそうで、だれにでもにこにこしているようなヤツだと思っていたのだが、先日レイが様子を見に来たときは、寝室から一度も出てこなかった。呼んでみたが、行きたくない、の一点張りだった。理由を尋ねるが、教えてもらえなかった。


「シン君はなんでも知りたがるね」

食事をしながら、ふとキラが言った。「そんなことない」とオレは言ったが、本当はその通りだとオレも思う。だって、聞かないとわからないじゃないか。だからオレはキラに尋ねる。キラが「嘘ばっかり」と笑った。


キラは何も尋ねない。オレがアカデミーに出かけるときも、ザフトの軍人だということも、キラは尋ねずに、オレから喋るのを待っていた。何故尋ねてこないのか、わからなくてオレはキラに尋ねる。キラは聞く必要がないからだよ、と答えた。オレは嘘だと思った。


ならどうして、クリーニングに出した赤服のことについて、尋ねてこないのだろう。聞く必要がないから?そんなはずはない。オレが言い出すのを待っているのだろうか。風邪の面倒を見た恩だと思って、オレが言い出すまで待ってくれているのだろう。


「じゃあ、行ってくるから」

食器をキッチンに下げ、カバンを持ちオレは言う。

「寄り道しちゃだめだよ」

キラがそう言って微笑むので、オレもつられて微笑んだ。









台詞に深い意味はたくさんあります。