演習も終わり、特にすることもなくごろごろとベッドに寝転がっていたキラに、シンは尋ねた。
「なあ」
「なあに?」
「あんた、オレのこと嫌いだろ」
「好きだよ?」
何を当たり前なことを、とキラは思った。自分がここに来たのはシンのためだし、毎日毎日シンに好きだと、それこそうんざりするほど言っているというのに。しかしシンは、静かに
「…嘘だ」
と言った。良く晴れた日の昼下がりのことだった。
「レイくーん!!!」
ドンドンと力いっぱい扉を叩く。レイが部屋にいるという確証はないが、今のキラにはそんなことを考えている余裕はなかった。
「…なんですか」
しばらく叩きつづけていると、嫌そうな顔をしたレイが扉を開く。それと同時にキラはレイに縋りついた。
「シンが…シンが…」
「とりあえず叫ばないでください」
「だって…シンがぁー…」
ずるずるとその場に座り込む。
「座り込まないでください」
「…シンが…ぐすん」
「わかったから泣かないでください。オレが殺されます」
この前はあんなにかっこよかったのに。と、レイはそのギャップにため息を吐いた。このままでは埒があかないので、上半身を持ち上げてなんとか立ち上がらせる。キラの方が身長は高いのだが、軍人らしからぬあまり筋肉のついていないキラの体は、細身のレイでも軽々と持ち上がった。
とりあえず室内に入れると、キラをベッドに座らせる。錯乱しているキラを落ち着かせるためにコーヒーでも用意しようかと思ったが、相手はキラだということを思い出しシン用に用意しておいたオレンジジュースをコップに入れて差し出した。キラはそれをごくごくと飲み干すと、はぁ、とため息を吐く。とりあえず、落ち着いたらしい。
「隊長は」
「会議でいないんだ」
それでオレか、と、レイは会議に出て行ったアスランを恨んだ。あの日以来、キラには何故か妙に懐かれてしまっている。
「…それで、シンがどうかしたんですか」
「シンがね、嘘だ、って」
まったく意味がわからない。
「何が、ですか」
レイがそう尋ねた途端、堰を切ったようにキラは喋りだした。
「シンがね、僕に、オレのこと嫌いだろって言うから、好きだよ、って言ったら、嘘だ、って」
なんという会話をしているんだ、とレイは思った。シンもシンで、なんでそんな質問をしたのだろう。キラがシンを好きなことなんて、もうザラ隊のほとんどのメンバーが知っている事実なのに。
「嘘なんですか?」
レイは首を傾げる。
「嘘じゃないよ」
「まあ、そうでしょうね」
これが嘘だったとしたのなら、キラのその演技力にひれ伏すだろうとレイは思った。何故シンは、今更そんなことを聞いたのだろう。
「いつもは、『馬鹿じゃないの』とか『へぇ』って流すだけなのに…」
それはそれで、悲しくないのだろうか、とレイは思うが、キラの思考回路を理解することは不可能だと先日の件で認識したため、それについて深く考えることはしない。
「僕もういきていけない」
両手で顔を多い、キラは俯く。
「なんでそうなるんですか…」
突拍子もない発言に、レイは驚いたように顔を上げた。するとキラは、涙を溜めた瞳でこちらを見つめて言う。
「僕、シンに嫌われても、殺されてもいいけど、シンにうそつきだって思われるくらいなら、死んじゃう」
さっぱり意味がわからない。が、考えるだけ無駄だ、とレイは自分に言い聞かせる。当のキラは、ほとんど泣いているのではないかというくらいの涙目でこちらを見上げている。
「どうすればいいと思う?レイくん」
縋るような目でこちらを見られても、レイにはわかるわけがない。
「とりあえず、死ぬのはやめたほうが良いかと…」
「でも僕、このままじゃシンの顔なんてみれないよ」
とうとうキラの瞳からぼろぼろと涙が零れ出した。こっちが泣きたい、とレイは思ったが泣くわけにもいかず、とりあえずキラを落ち着かせようと2杯目のオレンジジュースを差し出した。
休憩室に辿り着いたシンは、きょろきょろと辺りを見回す。幸い周りに人はおわず、そしてテレビの前のソファーに目的の人物を見つけシンは駆け寄った。
「あらシン、珍しいわね」
赤い髪を揺らして、ルナマリアは微笑む。
「キラさんは、…何よその顔」
キラの名前を出した途端、シンの表情が険しいものになった。シンは何も言わずルナマリアの隣に腰掛ける。
「…何よ、また喧嘩したの?」
「そんなんじゃねーよ」
本当はそうだけど。女は凄い、とシンは思った。特にルナマリアは、勘の良さだけはピカイチだ。
「どうせまたシンが変なこと言ったんじゃないの?」
呆れたようにルナマリアは言う。
「言ってない、と思う」
言ったけど。でも思ったから言っただけで、それならそう思わせたあいつが悪い、とシンは思う。
「ふうん。…それで、わざわざ私に何の用?」
「別に、ルナに用ってわけじゃ、」
「私に用事なんでしょ?じゃなきゃあんたが大人しく隣に座るわけないじゃない」
さすがルナマリアだ。図星をさされてシンが黙っていると、ルナマリアは続けた。
「レイはどうしたの?あんたいっつも、何かあったらレイのところに行くのに」
「レイのところには多分、あいつがいるから」
「あいつってキラさん?」
「ああ」
シンの言葉に、ルナマリアは首を傾げた。
「どうして?仲良かったかしら、あの二人」
「隊長が、会議だから」
それにキラは、何かあったらまず誰かに相談するタイプなので、ひとりで考え込んでいるということはないだろうとシンは思う。先日の一件から何故かキラが異様にレイと仲良くなったのを、シンはあまりよくない気持ちで見ていた。自分しかいらない、と言うキラがレイに興味を持つことも、自分がただひとり頼ることのできるレイが、こういう時に限ってキラにつくことも、両方とも嫌なのだ。
「そこまで行動パターン把握してて、なんで喧嘩になるのよ…」
「それがわからないから聞きに来たんだろ!」
「あら、そうなの。…そうねぇ、キラさんちょっと、人見知りの気があるし、」
「人見知り?あいつが?まさか」
ルナマリアの口から出たあまりにキラに不似合いなその単語に、シンは驚きを隠せない。大体人見知りをする奴が、いきなり赤の他人に「好きだよ」なんて言うわけがないのに、とシンは思う。
しかしルナマリアは、肩を竦めて言った。
「まあ最近は慣れてきたみたいだけど…私やレイはまだまだダメね」
「ルナはわかるけど、なんでレイも駄目なんだよ。あいつら最近、喋ったりしてるぞ」
現にキラは今、そのレイのところに行っているのだ。悩み事を親しくも無い人間に喋ることなんて、シンには考えられない。しかしルナマリアは首を振った。
「そうじゃなくって…キラさんってほら、触れられるのが苦手なタイプ?」
「え?」
「ほんと、堂々と手を引っ張れるあんたが羨ましいわよ。私なんて、腕に触れただけでびくびくされちゃうのよ?」
「…うそだ」
ついシンの口から本音が零れる。それにキラは、よくレイやアスランに触れたりしているのに。と、そこまで考えてふと、アスランやレイが必要以上にキラに触れていないことを思い出した。特にアスランなんてすぐに飛びついていきそうなのだが、会話の際も物を手渡すときですら、触れないように気を使っていた。
「嘘ついてどうするのよ、もう。…それで、喧嘩の原因だっけ?」
「いや、もういい」
どうやら勘違いだったらしい。シンは、早くキラを迎えに行かなければ、と思った。
「あら、そう?」
「サンキュー、ルナ」
「お礼は掃除当番交代2回でいいわよ」
ひらひらと手を振り、ルナマリアは走り去るシンを見送った。
「おーい、レイー!!」
休憩所を出、シンはそのままレイの部屋に向かった。キラがアスランの居ない今、シン無しで艦内を出歩くわけがないと考えたシンは、キラはまだレイの部屋にいると思ったのだ。ドンドンと、扉を叩く。大声でレイの名を叫んでいると、扉横に備え付けられているパネルが光った。音声による通信だ。
「何故叫ぶんだ…ブザーを押せば良いだろう…」
「まあまあ。…アイツいるんだろ?あけてよ」
「キラヤマトはいる。が、ここを開けることはできない」
「なんでだよ」
「どうしてもだ」
シンは無理矢理扉を開こうとしたが、開くわけがない。ドンドンと扉を叩くが、全くの無意味だった。何か用事でもあるのだろうか、シンはさらに首をかしげる。
「じゃあ、アイツ呼んでよ」
実際のところ、用があるのはキラなのだ。レイが所要で出られなくとも、キラさえ来てくれれば良い。しかし。
「それもできない」
「なんで!」
「…どうしてもだ」
レイが答えると、シンは黙り込んだ。シンの返事がなくてレイは焦る。キラがシンに会いたくないというので扉を開くことができないが、元々シンの友人であるレイにとって、シンが自分の所為で悲しんでいるのは非常に居た堪れない。レイは溜息を吐いて言った。
「とりあえず、オレが外に出る。お前は向こうを向いていろ」
「…なんで」
「…どうしても、だ」
レイは素早く部屋から出、扉を閉めた。
言ってしまえば、シンは簡単にキラのことを許すんだろうな、とレイは思った。シンはどれほどキラに好かれているかは知らないし、キラはキラで、自分はシンに嫌われている、とでも思っているのだろう。やはり人間というのは難しい、とレイが考えていると。
「なあ、なんでアイツ出てこないの」
シンの間の抜けた質問に、がくりと肩が下がった。伝わらないのは人間が難しいのではなく、彼らの脳内構造がおかしいかららしい。
「…喧嘩しているのだろう」
「ああ、オレの気のせいだったんだ」
(こいつら…。)
そんな些細な事で死ねるというキラも、キラをそこまで落ち込ませるような台詞を吐きながら、それを勘違い、の一言で済ませるシンも、どっちもどっちということなのか。レイは真剣にキラの話を聞いていた自分が少しバカバカしくなる。
「…アイツと何話したんだよ」
拗ねた口調でシンは言った。それはやきもちか、とレイは尋ねようと思ったがやめた。シンはまだ、キラが好きとかきらいとか、そういった言葉でくくることができないのだろう。レイは溜息を吐く。
「お前のことだよ」
「オレ?」
「シンに嫌われても殺されてもいいけど、嘘つきと思われるくらいなら死ぬ、だろうだ」
「はぁ!?」
シンはレイを押しのけ部屋に入っていく。レイにはそれを止めることが出来なかった。
「おい、アンタ!」
部屋の電気は消えていてぼんやりと薄暗い。目をこらして室内を見ると、ベッドの上に、シーツを頭からかぶり膝を抱えるようにして寝転ぶキラが見えた。
「何やってんだよ、帰るぞ」
「…いや」
出来るだけ怒らないよう、精一杯の口調で言うが、キラから返ってくるのは否定の言葉だ。
「なんでだよ。オレのこと嫌いだから?」
言いながら、シンはキラの隣に座る。びくり、と震えるキラの体にそっと手を乗せた。
「僕は、シンのことすきだよ」
油断すれば聞き逃してしまいそうな、微かな声が聞こえてくる。
「じゃあ帰るぞ」
「…だめだよ」
それでもキラは頷かない。
「僕、もう生きていけない。シンに顔、あわせられない」
「オレが嘘っていったから?」
「…」
言葉が帰ってこない。やはりそういうことだったのだろう。シンはキラに触れる力を強める。
「嘘じゃないから、信じるから、帰るぞ」
なんでこんなに帰る帰ると連呼しているのだろう、とシンは思った。かっこ悪い。こんなとき隊長ならきっと、自分には思いつかないような、優しい言葉でキラを慰めるのだろうか、と思い、少し腹が立つ。
「なあ、帰ろう。このままじゃ、レイが寝れないだろ」
「…レイくんと寝る」
「キラ!」
とっさに大声が出て、シンは自分でも驚いた。が、初めて呼んだ名なのに、まるでそんな気がしないほど、その名は口に馴染んだ。
「帰るぞ」
すこし厳しい、いつもの口調で言う。これでダメなら、一人で部屋に帰ろうと、シンは思う。しかしキラは。
「それは命令?」
懐かしい台詞を吐いた。それはすっかり忘れてしまっていた言葉だ。
「そうだ」
シンがにこりと微笑むと、申し訳なさそうに項垂れながらキラは緩慢な動作でベッドから降りた。
2人で部屋から出ると、少し驚いた顔をしているレイと目が合った。
「ごめんなさい、レイくん」
「構わない」
どうやら上手い具合にいったようだ、レイは微笑む。そんなレイを見てキラは少し気が軽くなったらしい。
「アスランに、レイくんは良い子だって言っておくから、」
「いや、別に、そんなことはしなくても、」
「ほら、帰るぞ」
時計を見ながらシンが言う。もう既に夜は遅い。もしかしたら明日の朝は寝坊してしまうかもしれない。
「…嵐が去った」
シンにしっかりと手首をつかまれ連れられていくキラを見て、レイは静かにため息を吐いた。
「ほら、明日も早いんだから早く寝るぞ」
ベッドに座りぼんやりとしているキラの肩に、手を置く。僅かに震えた肩に、シンは少し悲しい気分になった。
「アンタが、」
「え?」
「アンタが触れられるのが嫌いなら、オレはもう触らない」
「…そんなこと、ない」
突然のシンの言葉に、キラは驚き否定する。だが、シンにはその否定が信じられない。
「だってあんた、オレが触ったら、困った顔するだろ」
「違うよ、それは、」
「…それは?」
「…どうすればいいのか、わからなくて、」
シンは、キラの隣に腰を下ろした。ゆっくりと右手を伸ばしキラの頬に触れる。びくり、とキラの肩が揺れた。
「…ごめんなさい」
キラの謝罪を聞いた直後、シンはそのままキラの頬をつねった。
「…ひはい(痛い)」
「何で謝るんだよ」
ばちん、と手を離す。涙目の理由は、抓られた頬が痛いからか、それとも。
「だってシンが、何も言わないから、」
「嫌いじゃ、ないんだろ」
シンの言葉に、キラは必死に頷く。恐る恐るシンを見ると、シンは少しだけ笑っていた。
「オレといるのが、嫌なのかとおもった」
「そんなこと、」
あるわけがないじゃないか、キラは思う。でも、そう思わせてしまったのは、紛れも無い自分なのだ。
「オレに同情して、仕方なく一緒にいるんだと、」
途切れ途切れにシンは言う。一緒に暮らしているのはたった数日だが、キラのことを知れば知るほど、何故キラほどの人物が自分のことなんかを好きだというのかが、理解できなかった。おまけにキラにはアスランという優秀な幼馴染もいる。それなのに。
「言ったでしょ、僕にはもう、シンしかいないんだって。誰がいなくなってもいい、僕にはシンがいればいいんだ。シンが僕を見捨てても、僕はずっと、」
キラが泣いていた。眠たい。瞼が閉じそうだ。でも、キラは泣いている。それが悲しくて、そっと頬に流れ落ちる涙を拭った。キラは、少し驚いた顔をしている。
「オレは、見捨てないよ」
眠気に耐え切れずがくん、と肩が落ちそうになって、とっさにキラの服をつかんだ。キラはそっとシンをベッドに寝かせて、額の髪を撫でるように梳く。
「オレは、キラがすきだよ」
涙で頬が濡れている。ふれたいけれど、手が届かない。キラは微笑む。今はただ、それだけでいい。