01 no one

彼が僕のことを探している、という話を人伝に聞いて、僕はいてもたってもいられず直に部屋を飛び出した。つい先刻までの、ぼんやりと何もせずに過ごしていた1年間がまるで嘘のように気分は高揚している。運動は愚か、滅多に部屋からも出ていなかったので、歩くたびに膝はぎしぎしと軋んだ、が、そんなことはどうでも良かった。

戦後プラントに渡ったコーディネーターは多く、僕が彼を探し出すのに2ヶ月もかかってしまったが、それからは簡単だった。彼がザフトに入ったことがわかり、何の連絡もとっていなかった昔馴染みの友人に連絡を入れると、彼は驚いた声を上げたがしかしそれ以上のことは追求せずに僕のために部屋まで取ってくれた。

早く会いたい。

そう呟く僕に友人は、ならば会いに行けば良いだろう、と言う。しかしまだ時期じゃないのだ。それを伝えると、彼は意味がわからず首を傾げた。






シンが一人廊下を歩いているときのことだった。男は周囲の視線を物ともせずに、唐突にシンの前に現れた。背丈は自分よりも少し上、さらさらとした茶色い髪が少し目にかかっていて、間から紫色の瞳が覗いている。可愛い、と綺麗のどちらの形容詞も似合うようなそんな顔立ちで、うっすらと笑いながらシンを見つめていた。

それが当たり前というように堂々と周囲に溶け込んでいる彼に、シンははじめ軍の上官か何かだと思い敬礼をしようとしたのだが、しかし彼の服装をみて瞬時にそれを否定した。彼は、おそらく私服と思われる黒の上下に、何故かシンと同じくザフト軍赤服の上着だけを羽織るという、なんともおかしな格好だったのだ。

あまりに怪しすぎる。

軍に入ってまだ間もないシンは、ここで厄介ごとに巻き込まれるのはごめんだと思い彼と視線を合わせることなく横を素通りしようとするが、しかし。

「キミがシンアスカ?」

すれ違い際に尋ねられ、思わずシンは足を止めた。

「そう、ですけど、」

シンが視線を寄せると、男は嬉しそうに微笑む。シンの心が、一瞬どきりと鳴った。やはり見かけたことのない男だった。何より彼は、身長はシンより少し上だが、そんなシンよりも華奢に見えるくらいの体つきだ。軍人ではないのだろう、とシンは思った。評議会関係か何かだろうか、そう思い男を見ていると。

「キミを迎えに来たよ」

男はまた微笑んで、言う。

「はあ?…何言ってんだよ、誰だよあんた、」

あまりに唐突すぎる男の言葉に、シンは本来の口の悪さが出てしまったがしかし相手はまったく気にしない様子で、まるでシンと交わす会話のひとつひとつを楽しんでいるかのように、口元に笑みを浮かべている。シンはじっと男の顔を見た。綺麗な顔だ、と思ったが、しかしそれ以上の感慨はない。少し考えてみたが、やはりどう考えても彼とは初対面だった。

男は壁に寄りかかっていた上体を起こし、綺麗に直立してからシンを見据えて言った。

「僕はキラ。キミの家族を殺したのは僕だよ」

「え、」

突拍子もない告白に、シンはたじろぐ。しかしキラは気にせず淡々と続けた。

「好きだよ、シン。キミのために僕はここに来たんだ」

「な、なんなんだよ、アンタ!意味わかんない、」

「言ったでしょう?キミに会いに来た。僕はキミのために生きることにしたんだ」

有無を言わせぬ彼の口調と雰囲気に、気を抜けば直に呑み込まれてしまいそうだ、とシンは思った。からかわれているのかとも思ったのだが、しかしキラの表情は至って真面目だ。シンはごくりと息を呑んだ。キラは変わらず口元に少しの笑みを浮かべている。

「…なんだよそれ、勝手に決めんなよ!」

「でもキミは独りでしょう?独りは寂しい」

そう言ったキラの瞳が一瞬翳ったのを、シンは煩わしく思う。彼の言葉が全て真実なのだとしたら、一体。

「誰の所為で、独りになったと」

「あ、僕か」

キラの拍子抜けしたような雰囲気を見て、シンもようやく肩の力を抜いた。タチの悪い冗談だ、これ以上関わらない方が良いと思い、視線をキラから廊下脇の時計に移す。

もし彼の言葉が本当だとしても、そんなことシンにはどうでも良かった。もし彼が本当にあのフリーダムのパイロットだとしたところで、しかしシンにはどうすることもできないし、どうしようという気もないのだ。独りは寂しい。だが、それに気付きさえしなければ独りでもやっていける。プラントに来てから、シンはそれがわかった。

「意味わかんねぇ。オレ、忙しいから」

じゃあな、と言って、シンはキラの前を通り過ぎる。

「あー、行っちゃった」

去っていくシンの背中を眺めながら、キラは残念そうに呟いた。





「アスラーン!!!」

遠くから叫ぶキラの微かな声を正確に察知し、名前を呼ばれたアスランは颯爽と扉を開いた。向こうから全力で走ってくるのは、先日突然押しかけてきて以来、部屋に入り浸っている幼馴染のキラだ。

戦後一度も連絡がなく、消息が途絶えていたキラが1年前突然連絡を寄越してきたときは、嬉しさのあまり心臓が止まりそうだった。シンアスカという人物を探している、と聞き、アスランは自分の権限を利用しアカデミーの生徒名簿を調べたところ、彼の所在は直にわかった。するとキラは、報告して間もなく、その身一つでプラントまでやってきたのだ。

先刻も漸くシンに会いに行ける、と言って、予備の赤服を貸してやり楽しそうに駆けて行ったばかりだったのだが。

「どうした!シンアスカに何か言われたのか!?」

キラは部屋に辿り着くと途端に、崩れこむようにソファーに座り込んだ。

「あのね、…忙しいから、って行っちゃったんだ」

いつ涙を零してもおかしくないくらいに瞳を潤ませて呟くキラに、アスランは冷蔵庫からキラ用に購入しておいたジュースを差し出し言う。

「それは当たり前だろう…いきなりあんなことを言うヤツがあるか」

「見てたの?…だって、正直に話すのが一番だと思って…」

うっかり回線に潜り込み廊下の監視カメラから現場を覗いていたことがバレそうになったが、しかしキラは大して気にもしていないらしく、もらったオレンジジュースをおいしそうに飲んでいる。

「せっかく怪しくないように、って赤服も借りたのに…」

「…かえってそれが逆効果だったのかもしれないな」

キラの異様な服装を確認して、アスランは言った。

「だいたいなんで上着だけで行くんだ。着るならちゃんと着ろ!ちゃんと」

「だって、それは面倒臭いから、」

にこにこと笑って言うキラの、シンプル且つわかりやすい答えに、アスランはただ

「そうか」

と頷くことしかできなかった。



「あー疲れた…って、」

今日の分の演習を終えシンが自室に入ろうとしたところ、入り口前に見慣れない、しかし先刻見かけて未だ尚印象の薄れない、キラと名乗るあの怪しい男が座り込んでいた。

「なんで、あんた…」

「だって、シンがどっか行っちゃうから…」

わなわなと指を指し言うが、指された本人はまるで気にしていない様子で、心なしか涙目になりながら答える。泣きたいのはこっちだ、とシンは思った。よく見てみると服装も先刻とは変わっており、あの怪しい私服ではなくザフトの緑服を、きちんと上下着込んでいる。

「なんで、服、」

「赤服じゃあ目立つから、って言われて…」

「誰に」

「それは内緒」

「…」

赤服や緑服をこんな不審者にぽんぽん貸すような奴が同じ軍内にいるとは、と思うと少し悲しくなる。しかしシンにはそれを悲しんでいるヒマなどないのだ。演習は厳しく、明日の朝だって早い。こうやって話をしている一分一秒すら勿体無いというのに。

「疲れてるんだ…どにかく退けよ。早くシャワー浴びて寝る」

「マッサージしてあげようか?」

「いい!」

シンはぶんぶんと首を振った。今目の前で会話をしている彼は、先刻とはまるで別人のようだ。だが、どちらも演技しているとは思えなくて、余計にシンの頭を悩ませる。

ロックを開けて部屋に入ると、扉を閉める直前に、まるで当たり前、というようにキラも室内に入った。

「入ってくんなよ!」

「なんで!?なんも悪いことしないから、」

そういう問題ではない。シンは思わず頭を抱えた。うるうると瞳を潤ませているこの男をなんとか泣かせないよう、シンは慎重に怒鳴る。

「そういう問題じゃないんだよ!大体あんた、軍人なわけ?」

軍人であってほしい。頼むから。それがシンの心からの願いだった。自分が勤めるこの軍が、このいかにも弱そうで怪しい部外者をぽんぽんと侵入させてるなんて思いたくはない。

「ううん、違うよ」

しかしシンの願いはあっさりと砕けた。無断で侵入しているのだろうか、と思ったが、しかし赤服や緑服を斡旋している共犯者がいるのならば、それも可能だろう。だがしかし、軍人でもない奴を自分の部屋に入れていたとなると、さすがにシン自身の立場も危うくなる。スパイの手引きをしたなんていう噂をたてられたら、せっかくの赤服エリートが全てぱあになってしまう。

「…とにかくオレは忙しいから、話があるなら軍人になってから来い」

「…それは命令?」

(命令…?)

シンは首を傾げた。シンは別に彼の上司というわけでもないのだから、命令をする立場ではない。シンはじっとキラを見た。キラは先刻から変わらずシンを見つめている。

「そうだよ、命令だ」

「軍人になったら、キミの傍においてくれる?」

「…ああ」

その頃にはきっと、シンは戦艦にでも配属されているだろうし、それからキラが追いつくのには最低でも5年以上はかかるだろう。

「わかった!僕、軍人になってくるよ!」

先刻までの涙目とは打って変わって、キラは嬉しそうな表情でシンがきた道とは反対方向を走り去る。

「…助かった」

さすがに5年も経てば向こうも気が変わっているに違いない。そう思いながらも、シンは漸く部屋で落ち着いた。


「アスラーン!!!」

バン、とノックも無しに扉が開かれ、勢いよくキラは室内に入る。

「どうしたキラァァ!!!」

「あのね、シンがね、命令してくれたの!」

アスランのデスクの手前にあるソファーに正座をしながら、キラは嬉しそうに答えた。そんなキラの顔を見て、次第にアスランの顔も綻んでいく。

「そうか、それは良かったな!」

(命令…?)

疑問は残ったが、しかしアスランは気付かないフリをした。

「それでね、僕、アスランに頼みたいことがあるんだけど…」

「何だ?キラ。何でも言ってごらん。コロニーでもほしいのかい?」

コロニーなら、前々から溜めていた貯金と今月の給料でなんとかなるだろう、と考えていたアスランに、キラは嬉しそうに微笑みながら言う。

「あのね、僕、軍人になりたいんだ」

「…軍人?なんでまた」

てっきり何か買ってくれ、の類だと思っていたアスランは、キラの意外な言葉に驚く。しかしキラはそんなアスランの様子など気にも留めず、嬉々として話し始めた。

「あのね、シンがね、軍人になれば話聞いてくれるって!」

(まだ聞いてもらってなかったのか…)

頑張れているんだかいないんだかよくわからない幼馴染に多少同情の念を抱きつつも、なるほどそれで軍人か、とアスランは納得した。シンとしては、体良くキラを追い払ったつもりなのだろうが。しかしシンは知らないのだ。まさかキラの共犯者が自分の隊の隊長であるということ、そして、そのアスランはキラのためなら多少の難題も気にせずやってのけるということを。

「アスラン、お願い」

「任せろキラ!今議長に電話して頼んでやるからな!」

そう言うとアスランは既に起動していたパソコンに手をやり、議長に電話をかける。緊急時以外にはあまり使用してはいけない回線だが、しかしキラのためなら仕方が無い。と、アスランは自分に言い聞かせる。

「あ、もしもし、議長ですか?」

「アスランか。どうかしたのかい?」

画面上の議長は、驚いたように首を傾げている。

「実は、議長に折り入って頼みたいことが…」

「何だね?」

「私の友人がですね、今すぐザフトに入りたい、というのです」

「ふむ、どんな人物だね」

あっさりと切り捨てられるかもしれない、と思っていたが、思いのほか議長は食いついてきてアスランは胸を撫で下ろした。少しでも興味を持ってもらえれば良いのだ。実物を見れば、きっと議長だって気に入るに違いない!と、アスランは密かに拳を握る。

「MSパイロットとしての腕は、私以上です」

「だが、今すぐというわけには、」

「いえ、議長も一目見て、気に入るかと」

思わせぶりにそう言うと、議長の目がきらりと光った。

「ほほう。では、その友人とやらの写真を送ってくれるかね?」

「はい、これです」

なんで写真持ってるんだよ、という突っ込みも、もはやキラには日常的すぎて気付きもしなかった。アスランはパソコンの中にある何百枚、何千枚というキラの写真の中で、自分の一番のお気に入り画像を添付し、議長宛に送信する。

「許可!」

間もなくして、議長からの許可が下りた。

「ありがとうございます。…あ、服の色は」

「なんでもいいんじゃないかな」

画面上の議長は、明らかにこちらではなく添付された画像に釘付けだった。

「今度私のところにも連れてきておくれよ」

「はい、近々伺います」

では、と括り電話を切る。議長が可愛いモノ好きで助かった、とアスランは胸を撫で下ろした。


「どうだった?アスラン」

心配そうな目でこちらを見るキラを可愛いなあと思いながら、アスランは誇らしげに頷いた。

「やったー!!さすがアスラン!あ、ガムあげるね」

「ありがとうキラ…」

キラのポケットから出されたガムが、アスランに手渡される。アスランはそれを大事そうに引き出しの中に仕舞うと、立ち上がり奥にある棚を開いた。

「キラは何色の服が着たい?キラは何でも似合うからなぁ」

「僕ね、シンと同じ色がいいな!」

「そうかそうか、オレと同じ色か。…じゃあ今用意するからな」

アスランの最後の台詞は、幸い嬉しさに驚喜するキラには届かなかったらしい。アスランは棚の奥底にあった誰のものでもない赤服を取り出すと、それをキラに手渡した。

「とりあえず、キラはオレの隊ってことにしておくから」

「シンと同じ隊だね!わかったよ!」

「それで、部屋なんだけど…」

「じゃあ僕、シンのところに行ってくるね!」

いつの間に着替えたのか、もう既に赤服に着替えたキラは、物凄い速さで嬉々として走り去っていった。ほんの少しのむなしさと、引き出しのガム(宝物)と、キラの赤服姿への萌えだけがアスランに残された。





「あー…、今日はどっと疲れた…」

シャワーを浴びて寝る体勢を整えたシンは、ベッドに腰掛け溜息を吐く。今日は災難続きだったなあと、先刻走り去った男を思い出していた。初対面はミステリアスでほんの少しかっこいいという印象すらあったのだが、その後は散々だ。本当にあれがフリーダムのパイロットなのかという疑いすら残る。

2度目の溜息と同時に、シンの部屋に来訪を告げるベルが鳴る。こんな時間に一体誰が、そう思いながらも扉を開く。

「誰だよ、もう…」

そこに立っていたのは、綺麗に赤服を着こなしているキラだった。

「な、なんで、あんた…」

当分は会うこともないと思っていた人物が早速目の前に現れて、驚きのあまり思わず後ずさる。

「軍人になったよ、シン!これでいいでしょ?」

しかし当の本人は全く気にしていない様子で、にこにこと笑いながらシンの顔を見ていた。

「嘘だ!ありえないだろ!こんな早く、」

「ほんとだってば!議長って人に電話して、頼んでもらったの」

議長が許可したというのなら、それはやはり軍人になれたということなのだろう。キラの背後には一体誰がついているのか、シンは本気で気になっていた。

「頼んでもらった、って、誰に、」

「それは内緒」

「……」

そそっかしそうに見えるキラだが、そこはきちんと口止めされているのかうっかり口を滑らせることはなかった。

「だから僕、これからはずっとシンの傍にいていいんだよね」

「…まあ、約束だからな」

渋々といった様子でシンは頷いた。男として、人として、シンは約束を破るのは最低な行為だと思っている。シンは小さく溜息を吐くと、立ち話もなんなのでとりあえずキラを部屋の中に入れた。

シンの部屋は2人部屋だが、今はシン一人で使っている。それでも一応半分は綺麗に片付いたままで、残り半分、シンが使っているスペースはシンが脱ぎ捨てた洋服や書類などが散乱していた。

シンは空いているほうのベッドにキラを座らせ、自分も少し間を開け、隣に腰掛けた。


「シンの言うこと何でも聞くから、なんでも言ってね?」

にこにこと微笑み言うキラに、シンは溜息が止まらない。初めて会ったときの彼はもっとクールな印象だったのだが、と思いキラを見てみるが、クールさなんて微塵も感じられない笑顔を向けられた。おそらくこちらが素なのだろう。兄貴体質のシンとしては、ああいったクールな感じよりもこういってぼけぼけしている奴のほうが扱い易くて正直助かった。本来の年齢は知らないが、おそらく同年代か少し上くらいだろう。年上だったら嫌だなあ、なんて思いながら、シンはなるべく相手を刺激させないよう言う。

「あんたはオレの仇なんだよな?フリーダムのパイロットで、」

「うん、そうだよ」

「じゃあオレが仇だから死ねって言ったら、あんたは死ぬのか?」

そう問われたキラは、少し驚いた顔をした後、悲しそうな顔で、しかしそれでも微笑みながら

「寂しいけど、シンが望むなら」

と答えた。シンは思わず立ち上がる。

「はあ!?なんだよそれ、意味わかんねー!」

「だって僕にはもう、キミしかいないんだ。キミが僕をいらなくなれば、僕は死んだって変わらない」

シンは何も答えなかった。キラは尚も続ける。

「キミだって、僕しかいないでしょう?」

「それは、」

その通りだった。キラの言葉は真っ直ぐで裏がない。そういう言葉は好きだけれど、しかし彼の言葉はどこか寂しげだ。

顔をあげることが出来なくて俯いていたシンだったが、あの饒舌なキラが黙り込んでいることを不審に思い、ゆっくりと顔をあげる。

「っておい、あんた」

キラはすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。シンは驚きのあまりがくがくとキラの肩を掴んで揺らすが、キラの瞼はぴくりとも動かない。

「ちょっと、おい、ここで寝るな!あんた、自分の部屋は!?…あー、もう!意味わかんねぇ…」

散々揺すったり叩いたりしてみたのだが、目を覚ますどころか声のひとつも上げないキラに、シンも面倒臭くなったらしくそのまま自分もベッドに入った。