・お正月話
・シンとキラ



happy-go-lucky

がらがらがしゃんと音を立てて、何かが落ちる音が聞こえた。シンは一つ溜息をつくと、冷たく濡れたタオルを片手に部屋へ向かう。

「何やってるんですか、キラさん。面倒だから大人しく寝ててくれって言ったじゃないですか」

おそらくふらついて本棚にぶつかったらしい。数冊の本が床に散乱し、それに混じってキラ自身も床に座り込んでいた。ぶつけた頭部をさすりながら言う。

「何いってんのシン。今日はお正月だよ。午前中はカガリたちのとこ行かなきゃいけないし、午後からはマリューさん達に挨拶して…とにかく寝てるヒマなんてないんだよ!」

「んなこと言ってもアスハの集まりなんてとっくに始まってますよ。さっきから携帯鳴りまくってますし。オレが迎えにこなかったらあんた、ずっと床に倒れてたんじゃないの」

シンがそう言うと、キラは気まずそうに他所を向いた。


今日は新年の挨拶をするために、皆でアスハの家に集まることになっている。カガリはもちろんラクスやアスラン、ルナマリア達も来るらしいので、もちろんシンとキラも呼ばれていた。しかし集まる時間も早く、キラは自分の車を持っていなかったため、たまたま同じ方向に住んでいたシンがキラを迎えに来ることになったのだ。

そしてキラの家で見つけたのが、おそらくなんとかベッドから這い出たけど途中で力尽きたと思われる、居間で倒れるキラだった。


「あれは…、寝相が悪くて、」

「下手な言い訳はいいから。とにかくオレは、あんたの様子みたらアスハんとこ行きますからね。あんたは大人しく寝ててください。ほら、暴れないで」

嫌がるキラを無理矢理ベッドに寝かせる。額に冷たいタオルを乗せると、暴れていたキラが大人しくなった。

ひやりと冷たいタオルは心地よく、キラは思わず目を閉じる。しかし、シンが立ちあがる気配を感じると、がばりと起き上った。

「ちょっと、どこ行くの!」

「どこって飲み物持ってくるだけですよ。心配しなくても飲み物持ってきてお粥作り終わったらアスハんとこ行きますから」

「ひどい!僕を置いていくっていうの」

「当たり前じゃないですか。新年早々風邪ウイルスをみんなのところに連れてくわけにはいかないし、オレだって風邪うつされるなんてごめんです」

「シンがそんな酷い人間だったなんて、知らなかったよ…」

「いや、酷いもなにも、」

言いかけてシンはキラの顔を見、ぎょっとした。キラの瞳はうるうる潤んできて、今にも涙がこぼれそうだ。

「僕とシンに何の違いがあるの!ちょっと僕の方が熱が高くて咳してるだけじゃない。こんなの個性の一つだよ。それなのにシンは…差別?これって差別?シンがそんな人間だとは思わなかったよ」

「いやいやいやいや、話が突飛しすぎでしょう!病人を置いてくのは当たり前じゃないですか!個性ってなんだよ個性って!それなら病院なんていらねーよ」

「何言ってるの、病院がなかったら怪我をしたときどうするの」

「いや、だから…」

キラのめちゃくちゃな言い分に反論する気も起きなくなったシンは、とりあえず飲み物を持ってこようと踵を返す。しかし、キラがシンの服の裾をがっしりと掴んでいたためそれは叶わなかった。シンは深くため息をはく。


シンとキラは、それほど仲が良いわけではなかった。あの慰霊碑で会って以来は、たまにモルゲンレーテの工場で顔をあわせる程度の関係だ。それだって、他愛もない挨拶だけで終わっている。

なのになんでこんなことになっているんだ、とシンはため息をはいて、寝息をたてるキラの顔を見た。時計を見るともう午後の2時。アスハの集まりはとっくに終わってるし、先刻マリューさんにも断わりのメールを入れたところだ。

「ってゆうかこいつ、ほんとに寝てんのか…?」

シンはがっしりとつかまれた自分の服の裾を見た。必死に言い訳してなんとか飲み物と薬は持ってきたが、それ以降キラは裾を掴んだまま離さないのだ。今もすやすやと気持良さそうに眠っているのに、裾を掴んだ手には渾身の力がこめられている。こっそりとその手を外そうとしたが、逆にさらに力を込められる結果になった。

「絶対起きてるだろ…」

じっとキラの顔を凝視するが、やはりキラは眠っているらしく不審な動きはない。

シンはもう何度目かもわからない溜息を吐いた。



* * *



シンが目を覚ますと、そこは先刻まで座っていたイスではなく、キラが横たわっていたはずのベッドの上だった。ベッドにキラの姿はない。わけがわからず呆然としていると、部屋のドアが開いた。

「あ、」

入ってきたのはキラだった。さっきまでは熱の所為でうっすらと赤い頬をして、瞳も僅かに潤んでいたはずなのに、今はもう完全にいつも通りのキラだ。

キラはシンが起きたのを見ると、即座にその場で土下座した。

「え!?」

シンはこの状況に全くついていけず、ただ驚きキラを見る。キラは消え入りそうな声で言う。

「本当にごめんなさい」

「いや、あんた、風邪はどうしたんだよ」

「風邪は治りました」

「いやいや、いくらなんでも早いだろ」

シンは時計を見る。薬を飲ませたのが2時。計ってないから詳しくはわからないが、それでも38度以上はあった気がする。しかし現在の時刻は5時だ。あれからまだ3時間しか経っていないし、薬が効いたとしても効きすぎだろう。キラに飲ませたのは特別な薬でもなんでもない、ありふれた市販の風邪薬、しかもナチュラル用だ。

「僕昔から風邪治るの早いから…。そんなことより、あの…散々迷惑かけて、今さら言うのもアレなんだけど…風邪ひいてる時の僕は、僕であって僕じゃないっていうか…酒に酔った人間がしでかしたようなもんっていうか…」

「なんだよ」

「ほんと…あの…、忘れてください!きれいさっぱり。僕の台詞全部」

「ああ、あの個性がどうのとか差別がどうのって」

「うわぁ!」

がばりとキラが顔をあげた。頬は真っ赤に染まっているが、それは先刻とは違う色だ。キラは申し訳なさそうに顔を下げていて、シンはさっきまでのキラとのギャップに思わず声を出して笑う。キラは自分が笑われているのがわかっていたが、しかし笑われて当然ということもわかっていたので、俯いたまま堪えている。

「まあ、いいか。…あーあ、でも正月早々散々だな」

「うう…ごめんなさい」

「いや、まあ、うん、いいんだけどさ」

あまりにも申し訳なさそうな顔で俯くキラが逆に可哀想になってきて、シンはキラに駆け寄り立ち上がらせる。

「とにかく、じゃあもう風邪は治ったってことだよな?」

「あ、はい」

シンはちらりと時計を見た。

「5時か…今からでも間に合うかな」

「間に合うって、何に?」

「マリューさん達だよ。オレまだお年玉もらってないし」

「え、君まだお年玉もらう気でいたの」

キラは驚いてシンを見、そして笑った。つられてシンも笑う。去年までは考えられない光景だった。キラもシンもそれがわかっていて、だから可笑しくて笑うのだ。

「オレんちじゃ20までお年玉もらえるから」

「まあでも、マリューさんはともかくムウさんからは何か貰いたいよね」

折角のお正月だ、もう半分以上は終わってしまっているけれど、まだ終わったわけではない。キラもそのつもりだったらしく、シンが寝ている間に着替え終えていたようだ。

「じゃあ行くか。連絡は…まあしなくてもいいだろ。悪いけどオレ車じゃないから、暖かい格好しろよ。治ったとはいえ病み上がりなんだし」

「はい」

キラは嬉しそうに返事をすると、部屋の奥にかけてあるコートを手に取る。

「ああ、それと…」

言いかけたまま何も言わないシンを不思議に思い、キラは振り返る。シンはキラが振り返るのを待っていたらしく、その目を見、しかしどこか気恥ずかしそうに言った。


「あけましておめでとう」