「今日が何月何日か知ってますか?」
教室に入ってすぐ、持っていたカバンを机に置き席についたと同時、突然どこからか現れたシンは僕に問う。シンが唐突に現れるのはいつものことなのであまり驚かないが、先輩の教室に堂々と入ってこれる神経はいつも賞賛に値すると僕は思っていた。部活動の関係で、先輩に知り合いが多いから慣れているのだろうか。帰宅部の僕にはちっとも見当がつかなかった。
「キラさん聞いてます?」
「ああ、えっと、なんだっけ?」
ぼんやりと斜め上を眺めていた視線をシンに戻すと、不満そうな顔をしたシンがこちらを睨む。
「今日が、何月何日か、って話ですよ」
「今日…?」
僕は教室にかけられた小さなカレンダーを見た。6月。あれ、でももう8月になっていたはずだけど。他の掲示物にまぎれて埋もれてしまっているカレンダーは、6月から先誰にも捲られていなかった。僕はポケットから携帯電話を取り出し、ディスプレイを覗く。
「えーっと、8月だね。8月13日。水曜日。ついでに言うとあと2分で授業が始まるよ」
「そうです!8月13日ですよ!」
ばん、と勢いよくシンは両手で机を叩く。衝撃で机上にあったシャープペンシルがころころと転がった。周囲にいた生徒は不思議そうにこちらを見たが、シンが勝手に一人で騒ぎ立てるのは最早日常となっていたので咎める者はいない。
僕はそっとシンの顔を覗き込む。シンは未だ不服そうな顔をしながら言う。
「キラさん、なんかオレに言うことないですか」
「あと1分で授業が、」
「そうじゃなくて」
強い語調で遮られ、僕は頭を抱える。
「うーん、別に借りてるものも貸してるものもないし、誰かに伝言を頼まれたこともないし…特にないと思うけど」
「ヒント1、キラさん自身のことです」
シンは指を1本たてて、淡々と言う。しかし僕は全くピンと来ず、ただ唸って黙り込んだ。シンの指が2本に増える。
「ヒント2、ぶっちゃけ今日の日付は関係ないです。もっと前。3か月くらい前。てゆうか5月」
「5月?」
僕は考える。3か月前のことなんてたいして覚えてないけど、でもそこまで重要な事柄なんて少ないから頑張れば、
「おーい、授業始まるぞ。席につけー」
いつの間にか現れた教師の姿に、シンは肩を落とすと。
「放課後までには思い出しといてくださいね」
とだけ言い残し足早に去って行った。
放課後になり、僕はひとりで図書室に向かった。しばらく教室で待っていたのだが、シンはやってこなかったのだ。1年生はもう授業が終わっているようだったので、もしかしたらと思い来てみたら、やはりシンはそこにいた。
「シン…探したよ」
「よくここがわかりましたね」
「まあぶっちゃけ途中であったルナマリアに聞いたんだけど」
素直に告げると、シンはまた不服そうな顔をする。
「なんでそーゆーこと言うんですかキラさんは。愛の力でもなんでも、そういうことにしとけばいいのに、」
「愛はないよ愛は」
僕がにこやかに否定するとシンはじっとこちらを睨んだが、はあ、とため息を吐くと読んでいた文庫本を閉じてこちらに向き直った。
「それで、朝の質問の答えはわかりましたか?」
「うん、体育祭でしょ」
「…キラさん」
「嘘だよ。僕の誕生日でしょ?」
体育祭は9月だし。5月は新入生が入学したばかりで行事もなく、強いて言えば最初のテストがあるくらいだ。それ以外で僕とシンに共通して、しかもシンが何癖つけてきそうなことなんて、とうに過ぎ去った僕の誕生日以外に思いつかない。
「…わかってるならなんかないんですか。弁解とか」
「弁解って言ったって…」
要するにシンは、僕が僕の誕生日をシンに教えなかったことを怒っているのだろう。でもそれは仕方のないことじゃないか。僕とシンが出会ったのは5月の初めで、アスランがやってた生徒会の手伝いで書類を届けに図書室に来たところ、図書局員になったばかりのシンに出会い頭に告白されたのだ。告白、といっても「付き合ってください」とかそういうのじゃなく、「オレあんたの顔超好きです」とかいう意味のわからないもので、それ以降シンは愛だのなんだの嘯きながら僕に絡んでくるようになったのだ。好きです、とか、付き合ってください、とか言われたならはっきり断るなりなんなり出来るものを、シンはただ、友達にしてはしつこく近すぎる距離感で僕に絡んでくるだけ。そんな出会ってすぐの(しかもわけのわからない)子にいきなり自分の誕生日を教えるのもどうかと思って、黙っていたのだ。
「そんなに知りたかったなら聞けばいいじゃない」
「そんなことできるわけないじゃないですか」
「…なんで」
わかってはいたがやはり答えはなかった。シンにはよくわからない基準があって、今のだって「聞けないものは聞けないんだから、ほかに理由なんてないです」みたいな。その基準の根拠をしらない僕にしてみれば、本当にもう、わけがわからない。
「オレの誕生日は9月1日です」
「そう」
「でも、プレゼントはいりませんから」
「あげるなんて言ってないけど…」
「今年はどっちもプレゼントなしで相殺ってことで」
わけがわからないが、シンの表情は至って真面目だ。
「で、来年はすっごいプレゼントあげる予定なので期待しててください」
「じゃあ来年の君の誕生日に僕はすっごいプレゼントを返さなきゃいけないってこと?」
「そうです」
「じゃあ僕が今年の君の誕生日に、たとえば鉛筆みたいなちゃちいプレゼントをあげたら、来年の僕の誕生日にキミは僕に消しゴムをくれるってこと?」
「違いますよ。だって1月からでも4月からでも、キラさんの方が誕生日早いじゃないですか。だから今年はもうダメです。しかも鉛筆より消しゴムの方が高いし」
もしかして値段もきっちり合わせないといけないのだろうか。僕は頭をかかえる。
図書局にはもう一人、ルナマリアという女の子がいて、その子がシンと仲が良さそうだったのでシンについて聞いてみたことがある。シンの中学時代の話とか、色々と。
意外なことに、シンは中学時代はそうとうな遊び人だったらしい。不純異性交遊的な意味で。頻繁に彼女を変えるだけならまだしも、一人で一夫多妻制を導入していたらしく、多い時では6人の彼女がいたとのこと。ルナマリアはその中には含まれていないらしいが、真相はわからない。
でも、彼女の話では中学時代のシンは、普通だったらしい。普通に好きだよと言い、映画を見に行ったり、遊園地に行ったり、ホテルに行ったり。中学生のうちからそんなんなのはどうかと思うけど、それは僕には関係のないことだ。強いて言うなら、シン自ら告白したり振ったりということはなかったようだが。
ルナマリアは、「シンにとって初めて好きになった人だから、勝手がわからないんですよきっと!」と言っていたが、素直に納得することはできなかった。シンはいつも僕に根掘り葉掘り聞いてばかりで、自分のことは一切話さない。
僕はシンのフルネームも居住地も出身中学も、電話番号もメールアドレスも知らない。
「じゃあもし僕が、キミからの誕生日プレゼントを受け取らなかったらどうするの」
「誕生日おめでとうございますって言います」
「それで君の誕生日には同じセリフを返せばいいの?」
「そうです」
満足のいく回答が得られたからか、シンは少し嬉しそうだった。
シンは可愛い。黒い髪は寝ぐせか癖毛かところどころ撥ねていて、風でさらさらと揺れる。すぐに笑ったり怒ったりするところも、凄く可愛い。ルナマリアの話では、成績だって悪くないし運動神経も良いようだ。僕以外の人間との交遊関係も、悪い噂は全くない。
そんなシンの唯一の汚点が僕なのだ。シンについて尋ねたら、殆どの人は「僕に対してのアレさえなければ、」と答えるに違いない。それくらい、シンにとっての僕の存在は悪害にしかならないのに、シンはわかっているのかいないのか、僕から離れることは一切しない。シンは僕に色々言ったり聞いたりしてくるけど、僕がシンを拒絶するほど直接的な距離は、ない。
「…僕は、どうすればいいの」
「?」
思わずついて出た呟きはシンの耳にも届いたらしく、シンは首を傾げた。
「どうって、キラさんはキラさんのままでいいんです」
「僕が僕のままでいて、それでどうなるの?誕生日にプレゼントもらって、キミの誕生日にプレゼントあげて、それでまた再来年の誕生日にプレゼントをもらえばいいの?そしたら再来年のキミの誕生日に僕は」
「プレゼントをくれればいいんです。それだけです。難しいことなんて、なにもないんです」
僕はため息を吐いて窓の外を見た。手すりに寄りかかり、開いた窓の下を覗く。下校時間のためかたくさんの生徒が帰宅していた。その合間をぬって、自転車に2人乗りした男女が通り抜ける。
もし僕が今誰か別の女の子に告白されたら、僕はきっとそれを受けるに違いない。だって断る理由がないから。それで、来年の誕生日にはその子と一緒に過ごして、なんか、洒落たプレゼントでも貰って、そしてシンに誕生日おめでとうございます、と言って貰うのだ。そして僕は彼女のために洒落たプレゼントを用意して、9月1日になればシンに誕生日おめでとうと言う。
「でも僕は、そんなの嫌だ」
僕は先に進みたい。なんだかんだ言ってシンは優しいし可愛いし、僕が彼を好きになる理由はる。でも、そこから先に進むことはできないのだ。道の入り口には常にシンが立っていて、そこから先に進ませてくれない。
「でも…だって、そうしないとだめなんです」
「どうして」
「好きだよって言って手をつないでデートしてキスしてエッチして、そしたらあとは別れるだけです。別れたらそれで終わり。オレが別れたくないと思っても、みんなすぐにいなくなります。オレはそんなのは嫌だ。来年も再来年も、ずっとキラさんに誕生日おめでとうって言いたいです。オレはキラさんと離れるなんて嫌だ。恋人は別れるけど、オレとキラさんは恋人じゃない。友達だって、いつのまにか連絡がつかなくなるけど、オレとキラさんは友達じゃない。なんでもないから、まだなにも始まってないから終わらない。オレはそれでいい」
「そんなのわからないよ。もし僕が今ここで君なんて大嫌いって言ったら、君はもう僕に話しかけなくなる」
「…」
初めて、シンが黙った。その表情はひどく悲しげで、胸が締め付けられる。
「きみは僕の、何を知ってるっていうの」
「名前と家族構成と、学年とクラスと出席番号と出身中学と、あとさっき誕生日を知りました」
「たったそれだけで、僕の何がわかるっていうの。わからないじゃない。僕がきみの今までの彼女みたいに、きみのことを好きじゃなくなるなんていう理由、どこにもないよ」
「でもオレのことを好きになる理由もない」
「僕は君が好きだよ」
シンの瞳が驚きに見開かれる。まさか知らなかったのか、と思ったが、僕自身も自覚したのはつい先刻だった。
「オレのどこが好きなんですか」
「…顔。きみの顔がすごい好き」
「それ、オレが言った台詞じゃないですか」
「でもこれで僕が君を好きになる理由ができた。あと足りないのは何?きみが欲しいもの全部あげる。僕はきみと違って、誕生日にしかプレゼントがもらえないなんて嫌。欲しいものは、欲しいときにもらうし、あげたいものはいつだってあげる」
半ばヤケクソ気味に伝えると、シンは暫く考え込み、そして意を決したように顔をあげた。いままでの穏やかな瞳でも、戸惑うようにさ迷う瞳でもない、初めて見る真剣な眼差し。
「キラさんが欲しいものは、なんですか」
僕は少しだけ考えるふりをして、実は予め用意していた言葉を言う。
「きみの電話番号とメールアドレス」
するとシンは驚いたような表情をして、そしてまた初めて、可笑しそうに微笑んだ。
「なんですか、それ。好きとか、そういうことじゃないんですか?」
「だってそんなこと、言われなくてもわかってるし」
シンは「それもそうですね」と言い、手元にあった白い紙に電話番号とメールアドレスを記す。
「僕の番号とメアドは、キミの誕生日まで待った方がいい?」
わざとらしく尋ねると、シンはくすりと笑って。
「そうですね、今年の9月1日で」
「え、じゃあ僕それまでメールも電話もできないってこと?」
「嘘です」
今書いたばかりの紙をくしゃくしゃに丸め、シンはポケットから携帯電話を取り出す。
「どうしたの?」
シンは答えずになにやらボタンを押し始めた。僕はわけがわからずにただシンの言葉を待つ。シンは誰かに電話をかけているらしく、ひとしきりボタンを押し終えると携帯を耳にあてた。
と同時、僕のポケットにある携帯電話が震えだす。
「え?」
シンは何も言わない。僕は慌てて電話を取り出しディスプレイを覗き込む。見知らぬ番号だ。恐る恐る受話ボタンを押し、耳にあてる。
『もしもし』
携帯電話から聞こえてきたのは、紛れもなく今目の前にいるシンの言葉だ。
「え?なんで…僕の番号知ってたの?」
シンは頷く。
「かなり前から。アスランさんに聞きました」
「なにそれ。きみ、始まりたくないとか言っといてなんで僕の番号聞いてるの。しかも勝手に」
「シンです」
「は?」
「キミ、じゃなくて、シン」
シンの表情は今までと同じ、ほんの少しからかいを含んだ微笑。
「シン、なんで僕の番号聞いてたの」
「内緒です」
「なにそれ!」
「オレの宝物だったんです」
「…意味わかんない」
「わかんなくていいです」
ぷつり、と電話が切れた。といってもシンは目の前にいるのだが。驚いたり恥ずかしがったりしていたのはほんの一瞬、目の前にいるのは今までと同じシンだ。
「もういい、帰る!」
僕は机に置いていたカバンを持ち上げると、図書室の扉に手をかけた。
「キラさん」
「なに」
振り返らずに言う。
「また電話します」
「10時までに来なかったら寝るから」
そう言って振り返るとシンはやはりからかうような笑みを浮かべていて、僕は嬉しいのか悔しいのかわからないけれどとりあえず勢いに任せて扉を閉じた。