・戦後(CE74)
・シンがとても良い子



星まとって

その日は何故かいつになっても目覚まし時計の音が鳴らず、シンは普段より30分も遅れて家を出た。もしかしたら遅刻してしまうかもしれない、新人の自分が遅刻をしては怒られてしまう、などと考えながら、シンは近道をしようと考え道路沿いにある大きな公園に足を踏み入れる。

公園は平日ながら子供やその母親達で賑わっており、いたるところで楽し気な笑い声が響いていた。その声にシンはほんの少しだけ昔を思い出してしまい、ちらりと横目で声のする方を見た。楽しそうに遊ぶ子供たち、の奥に佇む一人の男の姿を見付け、シンはぴたりと足を止める。

「キラさん!」

気が付けば無意識のうちに叫んでしまっていた。キラは木陰に腰を下ろして文庫本を読んでいたが、微かなシンの呼ぶ声に気が付いたのだろう。視線を本から公園に移すと、首を傾げてきょろきょろと辺りを見回している。あそこからシンがいる位置までは少しばかり距離があるし、この人混みだ。キラの位置からはシンを確認することは難しい。

それでも(気付いてくれればいいな、)と思いながらシンは、一歩一歩とキラに近寄る。元から数歩進んだところでシンの願いが通じたのか、キラはシンの姿を見付け嬉しそうににこりと微笑んだ。

(!!)

シンは思いがけず帰ってきたキラからの微笑みにまるで天にも昇りそうな気持になりながらも、急いでキラの元に駆け寄った。キラはぱたんと文庫本を閉じると、立ち上がりシンが来るのを待っている。

「キラさん!」

はあはあと乱れた呼吸を整えながら、シンはキラの前に立ち止まった。息をつく度にシンの肩口が大きく揺れ動くが構わずに、シンはじっとキラの目を見て言った。

「えっと、あの…どうして、ここに、」

すぐ傍には小さな子供達が笑いあっているここは公園で、しかも時刻はお昼前だ。キラは戦後はずっとモルゲンレーテで働いていると人伝てで聞いていたのだが、しかし今のキラからは全くといって良い程そんな様子は窺えなかった。

おそらく言葉にせずともそんなシンの思いがキラに伝わったのだろう。キラはにこりと微笑むと、

「今日はお休みなんだ」

と言った。そして

「あんな遠くからよく僕を見付けられたね」

と言い、また微笑んだ。シンは久しく見たキラの笑顔に、ただ呆然と見惚れてしまう。そしてそんなシンを不思議そうに見つめるキラに名前を呼ばれると、ようやく意識を取り戻したシンは慌てて言った。

「あ、当たり前じゃないですか!オレはどんな人混みの中にいたって絶対にキラさんを見付けだせますから」

シンがそう言うと、キラはすこしだけ驚いた顔をしたが、しかしすぐに冗談だと受け取ったらしくくすくすと笑いだした。シンは(冗談じゃないんだけどな、)と思ったが、しかし訂正することはしなかった。キラが笑ってくれたなら、それで良いと思ったのだ。

キラは戦場でも平和な公園の中でも変わらずにきらきらと輝いているから、シンはいつもすぐにキラを見つけることが出来た。その輝きを感じることができるのは自分だけだとわかり、とても嬉しかった。シンにとってキラは、自分だけの星だった。自然とシンの顔も綻んでいく。

すると突然キラの笑い声を遮り、無機質な電子音が響いた。シンの携帯電話だ。急いで取り出し確認すると、発信元は職場の同僚だった。シンは慌てて時計を確認し、たちまち顔面が蒼白する。そんなシンの様子を見て、キラは首を傾げた。

「どうしたの?大丈夫?」

キラに声をかけられ意識を取り戻したシンは、「大丈夫です、ちょっと失礼します」と言い、キラから少し離れたところで電話に出る。同僚からの電話の内容は予想通り、出勤時間を過ぎても何の連絡も寄越さないシンに、上司が痺を切らしているというものだった。シンはとっさに「渋滞に巻き込まれた、もうすぐ着く」と言い訳をし、電話を切った。

「お仕事なの?」

話の内容が聞こえていたのかもしくは察したらしく、キラはシンに尋ねる。シンは肩を落として頷いた。

「本当はもっとお話したかったんですけど…読書の邪魔してすみませんでした」

ぺこりと頭を下げて、シンは踵を返す。しかし。

「待ってシンくん!」

突然キラに呼びとめられ、右手首を掴まれた。今までこんな積極性のあるキラを見たことがないシンは、驚きのあまりキラを見た。キラはそれを、腕を強く掴んだせいだと勘違いしたのだろう。「ごめん」と言ってぱっと掴んでいた手首を手放す。

「あの…ほんとに、良かったらでいいんだ…また会えないかな?」

自信なさげに小声でこちらを窺うように尋ねてくるキラに、シンは一瞬何が何だかさっぱり理解できなかったが、考えるよりも先に「はい」と頷いてしまっていて、そして溢れるキラの笑顔にシンは、未だによくわからないけれど、つられてにこりと微笑んだ。


仕事場に向かうバスの中で、シンはぼんやりと考える。今朝は寝坊をしてしまうしテレビの占いは最下位だったし、おまけにこれから上司にこってり怒られなくてはいけなくて、こんなついてない日だからこそ先刻のキラとのやりとりも今朝見た夢か幻のように思えるけれど。それでも。キラの笑顔は未だ目に焼き付いて離れないし、それに、右手にしっかりと握られたままの、しわしわになってしまったメモにはしっかりと、小さく綺麗な文字でキラの携帯の電話番号が書かれているから。シンは何度もそれを見て、そして一人嬉しそうに微笑むのだった。