シンが図書局に入ってから数日後の昼休み。シンとルナマリアとレイの3人は食堂に行ってみようということになり、各自財布を持って食券売り場を探していた。食堂は上級生で溢れていてどの席も満員だ。ここのラーメンがおいしいという噂を聞いたので来てみたのだが、この様子じゃあもしかしたら売り切れかもしれない。
生徒でごった返している食堂をぐるっと一周眺めたシンは、食堂の最奥の席で並んでお弁当を食べている2人を発見した。そこにいるのはキラだ。窓際に座っているキラは、楽しそうに隣に座るアスランと話をしている。気付かなければよかった、とシンは思った。
食券を買い終え、3人はどこに座ろうかときょろきょろと空いている席を探す。シンはキラのところに行こうかとも思ったのだが、しかし隣に座っているのがアスランで、そして何より楽しそうにお弁当を食べているところを見てしまった以上近寄ることは出来なかった。だからこのまま気付かないフリをして今すぐにでも彼等から離れたい、と思っていたのに。
「あら?あれ、アスランさんじゃない?」
ルナマリアがアスランに気付き、駆け寄った。レイの顔を窺うと、諦めたように溜息を吐きルナマリアの後を追う。シンも諦めてレイに続いた。
「アスランさん、こんにちは!」
ルナマリアが挨拶をすると、アスランは爽やかに挨拶を返した。シンはどうしてルナマリアと彼が知り合いなのか疑問だったのだが、しかしルナマリアはいつもレイと一緒にいたので、きっとそのとき知り合ったのだろうと勝手に納得する。アスランは後ろに立つシンとレイに気付くと、「席がないならここに座ってもいいぞ」と言った。シンは断って早く立ち去ろうと思ったのだが、しかしその前にルナマリアはさっさと席についてしまう。キラとは未だ目を合わせていない。
食堂のラーメンは評判通り美味しかったのだが、しかし今はあまりシンの喉を通ってくれなかった。
「あら、2人とも同じお弁当なんですね」
ルナマリアがふと、キラとアスランの弁当箱を交互に眺めて言う。言われてシンも見てみると、ルナマリアの言うとおりキラとアスランの弁当の中身は同じだった。アスランが照れた笑いを浮かべる。
「いや、弁当はいつもキラに作ってもらってるんだよ。オレは料理が出来なくてね」
「毎日作ってもらってるんですか!?2人はとても仲が良いんですね」
きゃあきゃあと騒ぎ立てるルナマリアに、押され気味のキラは苦笑して答える。
「みんなの分を作ってるついでだから、」
「でも毎日なんて凄いですよ!私なんて、自分の分すら面倒臭くって…」
「僕もはじめはそうだったんだけどね。最近は楽しくて、」
弁当話で盛り上がっている2人を、楽しそうにアスランは見つめている。シンはそんな様子をぼんやりと、おもしろくなさそうに眺めていた。
するとアスランは弁当を食べ終わるや否や、「じゃあオレはこの辺で、」といって立ち上がった。続いてレイも立ち上がり、アスランの後を追う。おそらくまだ生徒会の仕事があるのだろう。シンも早くこの場から立ち去りたかったのだが、しかしルナマリアがキラを気に入ってしまったらしく、なかなか立ち上がろうとしない。シンはぼんやりと立ち去ったアスランを眺めた。
食堂の出入り口に向かって歩いていたアスランは、ふと何かを思い出したかのように踵を返すと、自動販売機に駆け寄った。そして買ったジュースを持って、こちらに戻ってくる。
「キラ、」
アスランは紙パックのそれをキラに手渡すと、今度こそ本当に食堂を出て行った。キラはぼんやりと、受け取ったジュースにストローをさす。
「なんか今の凄い自然だったんですけど、いっつも奢ってもらってるんですか?」
ルナマリアがキラに尋ねる。シンもつい耳を傾けた。
「うん。お弁当のお礼って、」
「やっぱり2人ってとっても仲が良いんですね!」
ルナマリアがそう言うと、キラは少し照れたように微笑んだ。
そして今、席にはシンとキラの2人しかいない。ルナマリアがラーメンだけでは物足りず、購買でパンを買ってくるといって出かけてしまったからだ。シンも行くと言ったのだが、ルナマリアが「ついでに買ってきてあげるわよ」と言い張るためシンは渋々ここに残った。
目の前のキラは、ぼーっとストローを銜えジュースを飲んでいる。
「なあ」
シンが呼びかけると、キラは顔を動かさずに視線だけをシンに寄越した。
「あんたとあのアスランって人、どういう関係」
シンの質問に、首をかしげながらもキラは言う。
「友達、だけど」
「ただの友達が毎日ジュース奢ってくれるっていうのかよ」
刺々しいシンの言葉に、キラは更に首を傾げた。シンはそんなキラの様子が気に食わないらしく、眉間に皺を寄せる。
「お弁当のお礼に奢ってもらってるだけだよ」
「ふーん」
キラが必死に弁明すると、しかしシンはどうでも良いかのように返事を返した。
間もなくして、パンを2つ持ったルナマリアが席に戻って来る。ルナマリアは片方のパンをシンに寄越し、席に座った。
「おい、なんだよこれ!」
シンは受け取ったパンを見るなりそう叫ぶ。頼んだのは「甘くないパン」だったはずなのだが、しかしルナマリアが寄越したパンはどう見ても砂糖塗れだ。
「だって仕様が無いじゃない。売り切れだったんだもの」
「じゃあお前のパンはなんなんだよ!」
シンはばん、と机を叩いてルナマリアの食べているパンを指差す。ハムサンドだ。どう見ても甘くない。ルナマリアは何も言わずにもぐもぐとパンを食べ終えると、立ち上がり言う。
「私ので最後だったのよ!自分で行かないから悪いんでしょ!」
「自分で、って、お前が代わりに行くからって言い張ったんだろ!」
「それでもついれくればよかったじゃない」
「てゆうか甘くないのがないなら買ってくるなよ!」
「だってそんなこと言われてないもの。いいじゃない甘いパンでも。あんた細いんだから少しはたくましくならないと彼女の一人も出来ないわよ」
「関係ないだろそれは!」
「あのー」
暫く呆然と2人のやりとりを眺めていたキラが、2人に向かって微かな声を上げる。ルナマリアとシンの2人は、同時にキラを振り返った。キラは、にこりと微笑み言う。
「僕、用事があるからもう行くね」
そういうとキラは席を立ち、静かに食堂を出た。
キラが向かったのは生徒会室だった。最近では殆どキラしか使っていないと思われるソファーに全身を乗せて座り、窓の外を眺めながら眠っている。室内にはかたかたとキーボートを叩く音が聞こえている。部屋の中にはアスランしかいない。
コンコン、と扉がノックされ、レイがやってきた。数枚の書類を抱えている。ソファーに座っているキラを見つけると、驚いたように眉を上げた。
「ああ、気にしなくていいから」
それに気付いたアスランがそう言うが、しかしレイはどうしても気になってしまう。すやすやと眠っているキラは、まるで年上とは思えないとレイは思った。
「…この方がキラヤマトさん、ですよね」
「そうだ。フルネームを知っていたのか?キラはそれほど目だったヤツじゃあないが、」
「シンが、先刻一緒だった友人がよく彼の話をするんです」
言われてアスランは、先刻一緒にテーブルを囲んでいた黒髪の少年を思い出す。殆ど言葉は発していないが、その赤い瞳からか存在感はとても大きかった。
「シン…シンアスカか?学年首席の、」
「はい。同じ図書局員らしく、」
「へえ、彼は図書局に入ったのか…」
そう言いアスランはぼんやりとキラを見た。キラは未だ静かにソファーで眠っている。
あの後シンはキラを追いかけたのだが、しかし食堂を出てすぐに見失ってしまった。教室の方まで見てみたが、しかしキラはいないかった。キラが昼休みはいつもどこで過ごしているかなんて、考えてもシンにはわからない。
そしてシンは、最後の望みを託して司書室に向かった、が。
「あの、キラ先輩、来ませんでした?」
司書室ではラクスが一人で弁当を食べており、そこにキラの姿はない。
「いえ、今日はまだ来てませんわよ。教室にいらっしゃるのでは、」
「教室はもう見ました。…ったく、どこにいるんだよ…」
「でしたらきっと、アスランのところですわね」
まるで当然、というように、ラクスは言う。
「アスラン…アスランザラか」
シンは大きく溜息を吐いて、ソファーに腰掛けた。
「キラに何かご用でも?」
「いや、別に、そういうわけじゃないんですけど、」
そう言ってシンは、ソファーに寝転がる。窓からは温かい日差しが差し込んできて、心地よい。シンはぼんやりと空を見上げた。
「…ただ追いかけるだけでは、何も変わりませんわ」
静かなラクスの声は、自然とシンの耳に響いた。シンはぼーっと空を見上げたまま言う。
「じゃあ引けってことですか?」
自分がもし引いたとしても、キラは絶対に自分のことなど気にしないだろう、とシンは思った。いつだってそうだ。キラが自分を見る瞳は、いつも暗くて悲しげだ。本当ならばもう二度とキラの前には現れない方が良いのだが、しかしそうすることはシンには出来なかった。
「いいえ、まずは相手に気付いてもらうことです」
「え?」
「自分が追いかけてるんだってことを、知らないかもしれないでしょう?」
ラクスはにこりと微笑む。彼女は何を知っているんだろうとシンは思ったが、しかし聞けなかった。彼女の言うとおりだった。もしキラがあの頃から何も変わっていないとしたら、彼はここに自分がいるのも単なる偶然だと思っているかもしれない。
授業開始のベルがなりシンは立ち上がろうかと思ったが、しかし今更授業に出る気にもなれずそのまま瞳を閉じた。相変わらず日差しは温かくて、あっという間に眠気を運んでくる。
「キラもよくここでお昼寝なさってましたわ」
ラクスが静かに微笑んだ。
そのまま授業が2つ終わり、シンが眠っているうちにもう放課後になっていた。殆ど誰にも使われない、廊下に面した司書室の扉が開く。入ってきたのはアスランだ。
「あらアスラン、ごきげんよう」
アスランは司書室に入ってすぐ、奥のソファーで眠るシンを見つけ苦笑する。
「これは…シンアスカか。ったく、キラみたいなヤツだな」
くすりと笑ってアスランは言う。
「そういえばキラはまだそちらにいらっしゃるのですか?」
「ああ、昼休みからずっと生徒会室で寝ているよ。そろそろ起こした方がいいな」
アスランは時計を見ながら言う。部活動の無い生徒は、もうとっくに帰ってしまっている時間だ。アスランは司書室を出た。
シンが目を覚ますと、外は真っ暗だった。図書室の電気も消えている。未だ冴えない目をごしごしと擦っていると、カタカタと音が聞こえ顔を上げた。
パソコンの前に座り、データ打ちをしているのはキラだった。シンは時計を見る。もう帰らなければならない時間だ。立ち上がろうとすると、ふと体に何かがかかっていることに気付いた。
「このジャージ、」
シンの言葉に、キラがこちらを見ずに言う。
「風邪ひかないようにと思って。…ここから寮までは少しあるでしょ、だから、寒かったらそれ着て帰っていいから、」
言われてシンは、手元のジャージを見る。自分達とは色の違う、3年生のジャージ。キラのだ。
「その必要はございませんわ」
いつの間にか現れたラクスが言う。キラは首を傾げた。
「どういうこと?」
ラクスは楽しそうに微笑み言う。
「明日は幸い土曜日ですし、シンにもわたくしたちのおうちに来てもらおうと思いまして」
「はぁ!?」
聞いていない、というようにシンは叫ぶ。しかしラクスは全く気にしない様子で話を続けた。
「お昼にそのお話をしていたんですのよ。シンってば温泉がお好きらしくって、でしたら是非わたくしたちのおうちに泊まりにきてくださいな、と」
「え、いや、…え?」
「そうなの?」
戸惑うシンに、キラは尋ねる。
「は?なにが、」
「温泉、好きなの?」
困惑するシンを他所に、キラは至って真面目だった。シンはもう何がなんだかわからずに、しかしここで断って帰るのも嫌だったから、こくこくと頷く。
「え、あの…はい、まあ、好きです」
するとキラは、ほんの少し微笑んで立ち上がる。
「そっか、じゃあ今日はご飯を一人分多く作らなきゃいけないね」
「ではわらくし、帰る仕度をしてまいりますわ!」
そう言うとラクスは足早に司書室を出て行った。キラもパソコンに戻り、電源を落とす。シンはソファーに座ったまま、そんなキラの行動を眺めていた。
「…どういうことだよ」
「何が?」
キラは首を傾げる。
「あんた、いいの?オレがあんたんち行っても」
「だってキミ、温泉好きなんでしょ?」
「まあ、そうだけど、」
その言葉に嘘はない。シンは確かに温泉が好きだった。ここ数年はずっと入っていなかったが。
「それに僕には、断る理由がないから」
キラはそう言うとテーブルに上がっていたカバンを持つ。シンはふと教室にカバンが置きっぱなしになっていることを思い出したが、ふと足元に何かがあたり見てみると、そこにあるのは自分のカバンだった。
「なあ、これ」
「赤い髪の女の子が持って来てくれたよ」
「なんだルナか」
ルナマリアがこんな気の利いたことをするなんて珍しい。きっと昼のお詫びか何かだろう、とシンは思った。シンはカバンを持って立ち上がる。ふと、先刻から左手に持っていたジャージを思い出す。
「おい、このジャージ、」
司書室の扉を開きかけた状態で、キラは振り返る。
「貸してあげる」
いらなかったらそこに置いてっていいから、とキラは言う。シンはジャージを抱えてキラの後に続いた。
意外なことにラクスは車で通勤していた。この人に運転なんて出来るのか、とシンは思ったが、しかし快調に走っているところを見るといらぬ心配だったのだろう。シンとキラは、互いに後部座席に座っている。
昼間はぽかぽかと暖かかったのに夜は一気に冷え込んで、あまりの寒さにシンは手に持っていたジャージを来た。そしてふと、隣に座るキラを見る。
「あんた寒くないの」
「平気だよ」
キラは言う。が、しかしキラはブレザーの上着すら着ていないワイシャツのままの姿でいて、どうみても寒そうだった。シンはジャージを返そう、と脱ぎかけるが、キラに止められる。
「本当に平気だから、だからそれはキミが着て」
「でも、」
「大丈夫だから」
そう言い張るキラだが、しかしその腕は微かに震えている。走り始めの車は未だ暖房が効いておらず薄ら寒い。やはりジャージを返そうとキラを見るが、キラは両腕を抱えじっと前方を見据えていて、シンはぼんやりとそんなキラを見ていた。
暫く車を走らせた後、ラクスとキラの家、海岸沿いにあるその大きな孤児院に辿り着いた。
「勝手に寛いでていいから、」
そう言われ通されたのは、綺麗に片付けられたキラの部屋だった。てっきりリビングにでも通されると思っていたシンは、驚きのあまり一瞬言葉をなくす。キラは何も言わないシンを他所に、晩ご飯の仕度があるから、と言って部屋を出て行った。
キラの部屋はベッドとデスクがあるだけで、他には何もなかった。真っ白いカーテンが、開いた窓から入り込む風に揺られている。机の上のノートパソコンが、スクリーンセーバーのままちかちかと耀いていた。とくにすることもなくシンは机に近寄る。ふと机に備え付けられた小さな本棚から深い赤色の背表紙の本を見つけ、シンはそれを取り出した。ぱらりとページを捲ると、中には沢山の写真が収められている。それはアルバムだった。少し日に焼けたその写真に写っているのは、茶色い髪をした小さな少年と、沢山の大人たちだ。少年は少し照れたような笑みを浮かべ、写真の中央に写っていた。
次のページを捲ると、そこから写真の数がぐっと減った。おそらく全てのポケットに写真は入っていたのだろうけれど、しかし今では写真の殆どが抜き取られ、虫食い状態となっている。残った写真に写っているのは、ほんの少し大きくなった茶髪の少年と、またその周りで楽しそうに微笑む大人達だ。シンは首を傾げた。そして少し前のページに戻る。集合写真のようなものに、茶髪の少年(おそらくキラであろう)の隣で金色の髪の男が親しげに微笑んでいるのだが。しかしどのページを見てもその男の写真は無かった。抜き取られているのはきっと彼の写真なのだろう、とシンは思った。集合写真とその他のページを交互に確認するようにシンは見る。写っていないのはその金色の髪の男と、集合写真の端の方で、微かに微笑んでいる黒い髪の男が一人。
ぱたん、とシンはアルバムを閉じた。
「ご飯できたけど、」
キラが扉を開くと、驚いたことにシンはベッドの上で眠っていた。起こそうか、とも思ったのだが、しかし普段では見られないような健やかな顔で眠っているシンをキラは起こすことが出来ず、逆にそっと布団を掛けた。制服がくしゃくしゃになってしまうかもしれない、と思ったが、明日は土曜日だし洗ってアイロンをかけてあげれば大丈夫だろう。キラはぱちりと電気を消して、部屋を出た。