・バレンタイン用だったもの
・シンとキラは義兄弟



MELODY

「で、ここがこうなるからyを代入して、」

授業が終わり休み時間が始まって間もなく、席を立とうとしていたところを後ろの席の女子に呼び止められた。名前はよく覚えていなかったが、その綺麗な栗色の髪の色だけは覚えていた。彼女はどうやら今の授業でわからないところがあったらしく、オレに尋ねてきたのだ。そんなの先生に聞けよとも思ったのだが、あの先生は外部講師なため授業が終わるとすぐに帰ってしまうし、何より断ってとやかく言われるのも面倒だったから、オレは立ち上がりかけた腰をまたイスに戻し後ろを向く。

ノートの隙間を勝手に使って出来る限りわかりやすいように解き方を説明する。彼女はわかっているのかいないのかわからない小さな相槌を返す。

すらすらと動いていたシャープペンが、ぴたりと動きを止めたのでオレはノートを見た。どうやらちゃんとわかってくれたらしく、その答えは正解だった。

「できた!すごーい!シンって頭いいし教えるの上手だよね。塾とか行ってるんだっけ?」

「いや、塾には行ってない、けど、」

「けど?」

咄嗟に言いかけた言葉を止めたがどうやら遅かったらしい。彼女は興味深深といった様子でこちらの顔を伺ってくる。オレは視線を逸らすが、しかし彼女は諦めてくれなくて、そのまま隠し通すことも出来ずオレは極力小さな声で答えた。

「…兄貴が、教えてくれるんだよ」

「お兄さんが?へえ、仲良いのね」

一体何を想像しているのか、彼女は楽しそうににこにこと笑いながら言うが、オレは笑う気にはなれなかった。だってオレは、兄貴なんて大嫌いなのだから。

突如教室に携帯電話の着信音が響いた。流行の音楽ではない、初期設定のままの電子音だ。そしてその携帯電話の音を掻き消すかのようなルナマリアの声。

「シン!携帯鳴ってるわよ!うるさいから早く出てよ!」

ルナの声の方がうるさい、と思ったがしかし口に出すことも出来ず、オレは電話を開いた。オレに電話をかけてくる相手なんて、ルナマリアでないのなら残るは一人しかいない。

「あとはわかるわろ?じゃあ」

「あ、シン!」

呼び止められたような気がしたがオレは構わず急いで教室の端、一番後ろの窓際に凭れ掛るようにして立った。その近くではルナマリアがイスに座りぱらぱらと雑誌を捲っている。ルナマリアはちらりとこちらを見て、笑いながら言った。

「今日もモテモテね〜。電話は彼女かしら?」

「そんなんじゃねーよ」

からかうようなルナマリアの声を無視し、シンは携帯電話を開く。ディスプレイに表示された予想通りの名前に、ほっとするのと同時、何故こんな時間にという疑問が過ぎるがすぐに通話ボタンを押した。

「…なんだよ」

「ごめんね、突然…授業中だった?」

電話の向こうでキラは、申し訳なさそうに言った。

キラはオレの兄貴だ。といっても血は繋がっていない。オレの家族が事故で死んで、一人残ったオレをキラの家族が受け入れてくれたのだ。キラは優しい。だから嫌いだ。今は事情がありキラと2人で暮しているが、しかし彼の優しさは変わらない。キラはいつだって優しいお兄さんなのだ。オレはそんなキラが大嫌いだった。

「いいから早く用件言えよ」

「あの、今日なんだけど…帰り遅くなるから、」

「はぁ!?」

予想外の言葉につい大声を上げてしまい、慌てて口を押さえた。ルナマリアがちらりと顔を上げたが、なんでもないと首を振ると首をかしげて雑誌に目を戻す。

「出来るだけ早く帰るつもりだけど…もしかしたら遅くなるかもしれないから、」

「なんで」

「プラントに用事があって…手続きをしなくちゃいけなくて、」

「あっそ。じゃあな」

「あ、シン、」

キラがまだ言い終わらないうちにオレは通話を切った。ぱたんと携帯電話を閉じ、深く溜息を吐く。キラがプラントに行くのは良くあることなのだが、帰りが遅くなるというのは始めてだ。

ぱたんと雑誌を閉じてルナマリアが顔を上げた。

「キラさんから?どうかしたの?」

「ルナには関係ない」

「わかった、今日帰ってこないんでしょ」

どうして彼女はこんなに勘が良いのだろうか。鋭いルナマリアの言葉に、オレは驚いて言葉に詰まる。にやり、とルナマリアは笑った。

「図星のようね」

「うっさいな」

シンが一歩踏み出すと同時、前方の扉から生物教師が入ってきた。いつの間にか休み時間は終わっていたらしい。オレは黙って席についた。


授業が終わり、オレは珍しくどこにも寄らず真っ直ぐ家に帰った。キラの両親はどうやら金持ちらしく、オレとキラが住むだけなのに学生にしてはかなり良いマンションに住まわせてもらっている。キラの両親は技術士として色々な工場を渡り歩いているから今どこにいるのかはわからない。

一人リビングのソファーに座り、ぼんやりとテレビをつけた。普段ならリビングの隣にあるキッチンにキラが立っているため自室に篭っているのだが、今日はそのキラがいない。久々に見るテレビはしかし面白くもなんともなく、暫くぱちぱちとチャンネルを変えていたがつまらなくなって電源を切った。雑誌でも読もうかと立ち上がりかけたそのとき、玄関のチャイムがなりオレは急いで玄関に向かう。扉を開くと、顔を出したのはルナマリアだった。

「どうせヒマしてると思って、来てあげたわよ」

ルナマリアはそう言ってオレの隣をすり抜け勝手に室内に入った。

ルナマリアがこの家に遊びに来るのは今日が初めてではない。幼い頃から何故かずっと同じクラスだったルナマリアは幼馴染みたいなもので、オレがキラの家に引き取られてからも尚、彼女は毎週のようにオレの部屋に遊びに来るのだ。

「メイリンはどうしたんだよ。どっか行く約束してるんだろ?」

「バイトなのよ。待ち合わせは10時。まあ、ギリギリってとこね」

「オレを暇潰しに使うなよ…」

はあ、と溜息を吐くと、ルナマリアがにやりと笑った。

「いいじゃない、どうせ一人なんでしょ」

「そうだけど…」

ルナマリアはにやにやと笑っている。

「さすがにキラさんも今日はシンに構ってる場合じゃないものね」

「…はあ?何がだよ」

「知らないの?今日はバレンタインよ」

それくらいテレビを見ているので知っている。しかしそれが何だというのだろう。要領を得ないルナマリアの言葉に、オレは首を傾げる。頭の中は疑問符だらけだ。するとルナマリアはさも当たり前、といったような顔で言った。

「だってキラさん、いつも定期的にプラントに行ってるじゃない?ってことはプラントに彼女がいるに決まってるわ!せっかくのバレンタインですもの、キラさんもシンなんかより彼女と一緒にいたいに決まってるじゃない」

「…まさか、」

突然の言葉に驚きを隠せないオレを他所にルナマリアは続ける。

「シンは一緒に暮してるからわからないかもしれないけど、キラさんって優しいし綺麗だし、彼氏にするなら文句なしって感じよね」

唖然としたまま、オレは何もいわなかった。キラに彼女がいるなんて考えたこともなかったのだ。しかし言われてみればルナの言うとおり、キラはいつも定期的に誰かと連絡を取っていたし、週末には必ずプラントに上がっていた。いつも「手続きがあるから」といわれ頷いていたオレだが、しかしよく考えてみればその手続きが何のものなのかを教えてもらったことはないし、第一そんな沢山の手続きをする必要が一体どこにあるというのだろうか。

ぐるぐると頭の中で考えていると、突然また携帯電話が鳴り響いた。オレはろくに画面も確認せずに通話ボタンを押す。今電話をかけてくる人物など、一人しかいない。

「ごめんね、言い忘れたことがあって、」

「…なんだよ」

「シチュー作ってあるから、おなかすいたら温めて食べてね。僕、戻るの10時くらいになりそうで…」

「別に、無理して帰ってこなくてもいいし」

そう言ってぷつりと電話を切った。ぱたんと携帯を閉じると、ルナマリアが深く溜息を吐く。

「シン…あんたねぇ、キラさんのことが好きなんでしょ?素直に言えばいいじゃない。キラさんだって、別にあんたのことが嫌いってわけでもないんだから、大丈夫よ」

「無理だよ」

「どうして?」

オレはぎゅっと携帯電話を握った。思い出したくも無い、数年前の話だ。

「あいつはオレに弟になれっていったんだ。あいつがオレに優しいのも、オレが弟だからだよ。オレに対して優しいわけじゃない」

「…じゃあ、もう少しキラさんに素直になってみれば?あんな態度じゃ、いつか見捨てられるわよ?それでもいいの?」

「いいよ。その方が良い」

見捨ててくれれば、オレのことを嫌いになってくれれば、これ以上キラの優しさに悩むことも、キラを傷つける心配もなくなるだろう。きっとキラだって、オレみたいな弟はいないほうが良かったんだ。一度に家族を失ったオレを少し可哀想だと思ったから、嫌いじゃないオレを受け入れただけで。

「バカね」

はあ、とルナマリアは溜息を吐いた。そんなこと、言われなくてもわかってる。もしオレがバカじゃなかったなら、弟なんかにはならなかったのに。もしオレがバカじゃなかったら、誰も傷つけることもなくキラの傍に居られたのだろうか。









 キラもシンが大好きで、だけど嫌われていると思っていたので、弟なら優しくしても許されると思っていたというオチでした。
 バレンタイン用だったけど間に合わないしラストが気に食わなかったのでごみばこに復活。