・元ネタは某BL漫画
・キラ→金持ちの息子
・シン→その使用人
・みたいな感じ



回 帰

「なにいってんだよ、みんなキラのこと大好きにきまってるだろ」

中学で初めてシンと別々の学校に行くことになり、新学期初日から不安で不安で眠れなくなった僕にシンは言った。両親が死んで、財産が全て僕のものになってから1年が経つ。屋敷の皆は優しいし、何も不安なんて無い筈なのに、あの頃の僕はなにもかもが信じられなくて、いつも隣で寝ているシンを起こしてはこうやって話し相手になってもらっていた。

「本当に?本当にそう?」

「本当だから、安心して寝ろよ」

ぽんぽんとシンは僕の頭を叩く。シンの手は暖かくて、僕はすぐに安心してうとうととしてきてしまう。

「じゃあシンは?シンは僕のこと好き?」

朦朧とする意識の中で問い掛ける。シンの答えを、僕は覚えていない。




「キラ先輩、おはようございます」

「あ、うん、おはよ、」

すれ違いざまに挨拶してくる後輩達に手を振りながら挨拶を返そうと思ったら。ががががが、と、僕は盛大に階段から足を滑らせた。

「せ、先輩!大丈夫ですか?」

周りにいた生徒達が、次々と掛けより手を差し伸べてくるのを僕は丁寧に断り、大丈夫だからといって立ち上がろうとしたところ。ひょい、と腰を丁寧に持ち上げられて、僕はそのまま立ち上がった。

「あ、ありがと…」

「なにをやってるんですか、キラさん」

僕を起こしてくれたのは後輩であり幼い頃は共に暮らしていたシンだった。シンは僕より2つも下だというのに、小さな頃からいつも僕の面倒を見てくれた、家族みたいな存在だ。シンの両親は僕が生まれる前から僕の屋敷で住み込みで働いていたため、シンのことは生まれた頃から知っている。僕の両親が彼の両親と共に事故で亡くなったその日から、僕の面倒は彼がみることになっていた。といっても両親が亡くなったのは小学校5年生の頃で、僕が中学に上がってすぐ、シンは遠くの学校に行くことになってしまったから、実質シンが僕の面倒を見るようになったのは先日からだ。5年ぶりに見るシンは別人のように大人びていて、僕だけが未だ子供のままでいるような感覚に陥る。

「大丈夫ですか?どこか怪我でもしましたか?」

ぼんやりとしていた僕に、シンが問い掛ける。転んだときにぶつけた膝がじんじんと痛んだが、しかし僕は「大丈夫だよ」と言って誤魔化した。


「へえ、あれが噂のシン・アスカか」

保健室の窓に腰をかけ、アスランが言う。グラウンドでは1年生が体育をしていた。アスランに指差されて僕も窓の外を見ると、人ごみの中にシンの姿を見つける。Tシャツとハーフパンツ姿のシンは本当に大人びていて、僕はどきりと胸が鳴った。

「ねえ、アスラン。僕って中学の頃からちっとも成長してない?」

僕は視線はグラウンドのシンに向けたまま、アスランに尋ねた。するとくすりと笑い声が聞こえ、僕はアスランの方に顔を向ける。

「何」

「まあ確かに、それほど変わってない気もするが…。シンアスカはそんなに変わったのか?」

僕はため息をついてから、静かに頷いた。

あの頃は身長だって僕の方が高かったし、足だって僕の方が速かった。ご飯を食べる量はシンの方が多かったから、それが原因なのだろうか。先刻隣にたったシンは、僕とほとんど同じような身長で、しかも彼は軽々と僕を持ち上げたのだ。はあ、ともう一度ため息を吐くと、アスランが笑い出した。

「まあ、身長だけは抜かれないよう頑張るんだな。で、今日はあいつと帰るのか?」

「…わかんない」

僕は視線をグラウンドに戻した。走り終えたシンが、グラウンドの隅で友達と楽しそうに談笑している。

「わからない、って何だ。彼はまたお前の屋敷で暮らすんだろう?」

「そうだけど、でも」

小学校の頃は送迎の車がきていたから一緒に帰っていただけで、それに、同じ家に住んでいるからといって高校生になってまでシンは僕と一緒に帰ってくれるのだろうか。シンが帰ってくることになったのは本当に突然のことで、だからシンの部屋の準備が出来ておらずシンは今日までずっと近所のホテルから学校に通っていた。昨日の夜、漸く部屋の準備が整い、荷物だけ部屋に送られてきたのだ。もしかしたらシンは今日屋敷に帰らないかもしれないし、シンだって付き合いというものがあるのだから、友達と遊びにいくこともあるだろう。それに、シンがもし部活動にでも入れば、僕らは当然のように一緒に学校に行くことも帰ることもできなくなる。

「…そんなに深く考え込むなよ」

アスランに言われ、僕ははっと顔を上げた。

「以前のように接すればいいじゃないか」

「そうだけど…」

「向こうは普段通り接してきたんだろう?」

僕は静かに首を振った。

昔のシンは僕のことを「キラさん」だなんて呼ばなかったし、敬語だって使わなかった。僕が転んでたら「バカだなあ」って言って笑って、それで僕が泣きそうになると笑ったまま手を差し伸べてくれた。あんなシンは、僕は知らない。知りたくなかった。

「幼馴染なんだろう?」

「今のシンは、ただのボディーガードだよ」

僕がそう言うと、アスランは困ったような顔をした。



「キラさん、起きてください、キラさん」

シンの声が聞こえ、僕は目を開けた。最初にほっとしたようなシンの顔が見え、その次に白い天井が見えた。そうだ、僕は午後からずっとやる気が出なくて、保健室にいたんだった。ついさっきまでは起きていたはずなのだが、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「…アスランは、」

きょろきょろとあたりを見回すが、彼の姿は見当たらない。アスランと話をしていたまでは覚えているのだが、それ以降の記憶もない。

「あの人でしたら、先程出ていかれましたけど」

「…そう」

きっと生徒会室に向かったのだろう。彼は生徒会長をしていて、僕もよく彼を手伝っていた。窓の外からは下校する生徒の声が聞こえてきて、僕もそろそろ帰らなければ、と思う。カバンは教室に置きっぱなしだ。急いで取りに戻らないと、と思いながらふと足元を見てみると、そこにはいつの間にか僕のカバンが乗っている。

「これ、」

「失礼ですが、勝手に教室からもってきました。用事がないなら屋敷に帰ろうと思いますが、どうしますか?」

「きみは?用事ないの?部活とか、入ってもいいんだよ」

「仕事がありますから」

「そう」

僕は立ち上がり、くしゃくしゃになったワイシャツを直す。その間にシンはベッドを整えてくれていて、そして僕のカバンも持ってくれた。

「…一緒に帰るの?」

「迷惑ですか?」

率直に聞かれ、僕は思わず首を振る。シンは一瞬、微かに微笑んだような表情をしたが、すぐにまたいつも通りの無表情に戻ってしまった。シンはそれ以上何も言わない。

僕はシンの後につき歩き出した。



屋敷に戻ると、いつものように沢山の使用人たちが迎えてくれて、僕はほっと息をついた。シンと2人で帰る道のりは、ほんの数十分のはずなのになぜか数時間くらい歩いているような気がした。シンは僕のカバンを持って隣を歩いていたけれど、しかし一度も会話はない。

僕が使用人たちに挨拶をしているうちに、いつの間にかシンはどこかへ行ってしまった。


その夜、僕は一度もシンに会わずにベッドに入った。きっと荷物の整理で忙しかったのだろう、と思う。それとも、シンの仕事は僕のボディーガードだから、屋敷にいる間は関係ないのか。

一人で寝るのはもう慣れた。時間はかかったけど、ようやく人のぬくもりを忘れることが出来たと思ったのに。

「…どうして今更、戻ってくるんだよ…」

忘れたはずのぬくもりが、心のどこかで呼んでいる気がして、僕はぎゅっと目を閉じた。


次の日も次の日も、同じように1日は過ぎていった。登下校時以外にシンが何をしているのか僕にはさっぱりわからないが、しかしシンは僕が転ぶといつもすぐにやってきて、助けてくれた。「ありがとう」と僕が言うと、シンはいつも「仕事ですから」と言う。それが嫌で、それから僕はいつも転ばないように気をつけた。次第と、学校でシンに会う日がなくなった。


もうすぐ学校祭の時期で、僕はアスランを手伝うために放課後はいつも生徒会室にいた。使用人を通してシンにもそれは伝えてあるので、きっともうシンは屋敷に帰っているはずだ。僕の仕事は主に書類作りで、今日も各方面に配布する書類のデータを打ち終わると、窓際のソファーに腰を下ろした。

窓からは強い夕日が差し込んできて、まぶしい。開けた窓からは静かに風が入り込んできているが、しかし室内は暑かった。もうすぐ夏だ。

ふと窓の外から楽しそうな笑い声が聞こえ、僕は窓の下を見た。窓の下、グラウンドの端には2人の生徒が座っており、2人で楽しそうに雑談しながらどこかを眺めていた。

「…キラ、キラ?」

呼ばれてはっと僕は振り返る。アスランが、心配そうにソファーの前に立っていた。

「どうした?具合でも悪いのか?」

「…そうかもしれない」

ずっと下を向いていたから、首の後ろが痛かったが、それ以上にがんがんと頭が痛んだ。僕は窓を閉めると、そのままソファーに横になる。

「具合が悪いなら、もう帰ってもいいぞ。…シンアスカは、」

「大丈夫だよ。一人で帰れる」

僕は笑顔を作ってそう言うと、カバンを持って立ち上がった。急に立ち上がったせいか少し足元がふらついてアスランに呼び止められたが、僕は気にせず部屋を出た。


帰り道何を考えていたのかさっぱり覚えていない。屋敷につくと、アスランが連絡してくれていたらしく、使用人達が心配そうに出迎えてくれた。その頃にはもう頭痛は治まっていたから、大丈夫だよといって僕は部屋に急ぐ。使用人の一人が、僕に尋ねた。

「シンはどうしたんですか?こんなときに一緒に帰ってこないなんて、」

「…シンは、忙しそうだったから、」

嘘ではない。シンは楽しそうに、グラウンドの端で女の子と喋っていた。シンは優しいしかっこいいから、彼女の一人や二人いてもおかしくないのだ。昔の恩があるからこの屋敷で働いているだけで、本当は一人で暮らしたいとか思っているに違いない。

使用人は僕の言葉に、まさか、と言ったが、僕は微笑みその場を逃げた。


シンが帰ってきたのは、それから間もなくのことだった。

ばたばたと足音が聞こえ、僕はベッドから起き上がった。時計を見るとまだ6時を少し過ぎたところだった。帰ってきたのが6時前だから、まだ数分しか寝ていないことになる。カーテンは全て締め切っているから、室内は薄暗い。一体何事だろう、と扉を開けたら、扉の前に息を切らせたシンが立っていた。

「なんで、」

走って帰ってきたのだろうか。シンはぜえぜえと苦しそうに肩で息をしていた。シンはキっと僕を睨むと、扉を掴んでいた僕の腕を掴み、言う。

「なんで勝手に帰ったりしたんですか!それも、具合が悪いのに、」

「…それは、」

僕は言葉に詰まった。シンの彼女に嫉妬しました、なんて言えるわけがなかった。シンは僕のボディーガードであって、それ以外の何者でもないのだから。シンが放課後誰と喋っていようが、僕には全く関係ないことだ。

「…どうかしましたか?」

騒ぎを聞きつけて、他の使用人たちが駆け寄ってきた。僕が言葉に詰まっていると、シンは「なんでもありません」と言って、僕の手を引き部屋の中へ入り込む。使用人たちが首をかしげていたが、シンはかまわず扉を閉めた。

掴まれた手首が痛くて僕はなんとか逃れようと腕を引いてみたが、シンはさらに強く掴んで離してくれない。困ったようにシンを見ると、丁度同じようにこちらを見たシンと、ばちりと目が合ってしまった。

「オレが、オレが駄目なんですか。ボディーガードとして、ちゃんとできなかったから、」

「違う、そうじゃない、」

悲しそうな瞳で言われ、僕は必死に首を振った。シンは何も悪くない。悪いのは僕なのに、何故シンが悲しんでいるんだろう。じわりと瞳に涙が浮かんで、僕は空いている手でごしごしと目を擦った。

「僕が悪いんだ。僕が…」

シンは目を擦る僕の腕を掴んで止めると、ポケットからハンカチを出して僕に渡してくれた。僕はそれで涙を拭う。シンは何も言わずに僕の言葉を待っていた。

「僕が勝手に嫉妬したんだ。だから、シンは何も悪くないから、」

「嫉妬って、誰にですか」

僕はシンの顔を見る。シンは僕が放課後見ていたことなど知らないのだ。本当は言葉にするのも嫌だけど、僕はぐっと息を呑んで言う。

「シンの、彼女」

「彼女なんて…もしかして、放課後、」

どうやらシンも心当たりがあったようで、シンの言葉に僕はこくりと頷いた。シンは悔しそうに頭を抱えてその場に屈みこむ。その様子は本当に悔しそうで、きっとボディーガードがクビになるのを恐れているのだろうと思って僕は言う。

「別に、彼女がいてもいいんだよ。登下校だって、僕は一人でもできるんだから、」

僕の言葉に、シンは首を振った。僕は首を傾げる。

「そうじゃない…あれは、彼女じゃないんです」

「え?」

でもあの時の2人は本当に楽しそうに会話をしていたし、何より、ただの友人とは思えない程親しげだったのだ。第一、彼女じゃない女の子と放課後のグラウンドの端で2人きりで、一体何をしていたというのだ。シンは小さくため息をついてから、立ち上がり言う。

「あれは…クラスメイト、っていうか友達で…キラさんが帰り遅くなるっていうから、それまでの間時間を潰そうと思ってたら…ルナ、あ、友達はルナっていうんですけど、ルナが彼氏の部活を見学したいっていうから、それの付き添いをしてて、」

予想外の言葉に、僕は呆気に取られシンを見る。

「そのルナの彼氏っていうのもオレの友達で…キラさんの用事が終わるのが6時って聞いていたから、6時に切り上げて生徒会室に迎えにいったら、あのアスランって人が、キラさんはもう帰ったっていうから」

だから急いで帰ってきたのだとシンは言った。何もかもが予想外で、僕は呆然とシンを見ていた。シンも僕を見ている。僕はなんて勘違いをしてしまったのだ。しかも、そんな勘違いでシンの彼女に嫉妬したなんてことを言ってしまって、僕はもうシンの主人失格なのかもしれない。

「…ごめんなさい」

僕が謝ると、シンは驚いたように言う。

「な、なんでキラさんが謝るんですか。オレが説明しないのが悪くて、」

「僕が勝手に勘違いして…しかも嫉妬したとか言っちゃって…ごめんね、シン。折角帰ってきてくれたのに…シンはこんなに成長してるのに、僕はちっとも変わってないや」

「キラさん…」

ぎゅ、と両手を握られて、僕は驚いて顔を上げた。

「…シン?」

「名前…やっと呼んでくれましたね」

シンに言われ、僕は初めて未だシンの名を呼んでいなかったことを思い出した。というよりも、シンが戻ってきてから、こんなに会話をしたのも初めてなのだ。シンは嬉しそうに微笑んでいて、僕は恥ずかしくなって俯いた。

「オレ…勝手にキラさん置いて屋敷を出て…だからもう、嫌われてるんだと思いました。でもオレ、立派になってちゃんとしたキラさんのボディーガードになりたくて…本当は学校とかでも色々話したかったんですけど、でももっと嫌われて、ボディーガードを辞めさせられるのが怖くて…だからキラさんが転んだとき、本当は嬉しかったんです。でも、最近はずっと転ばなくて、」

「嫌だったんだ。シンが、シンじゃなくてただのボディーガードみたいで…僕を助けてくれるのも、一緒に登下校するのも全部、仕事だから仕方なくやってるんだって、そう思うのがいやで、」

ぎゅっとハンカチを握り締めた。瞳から零れる涙を、シンが袖口で拭う。

コンコン、とノックの音が聞こえ、僕の変わりにシンが返事を返した。どうやら夕食の準備が出来たらしい。もしかしたら今までの会話も全部聞こえていたかもしれないけど、僕にはもうどうでもよかった。

「…ご飯、食べに行きますか?」

シンが来てからずっと、僕は自分の部屋で食事を食べていた。これ以上、知らないシンを知りたくなかったからだ。僕だけが取り残されたことを認識したくなかった。

でも今僕は、もっとシンのことを知りたいと思う。シンが変わってしまったのも、僕に対して敬語を使うのも、仕方が無いことなのだということは僕もわかっている。5年の月日はシンを変えてしまったけれど、ほんの少しだけ、僕も変えてくれたみたいだ。

僕が頷くと、シンは嬉しそうに微笑んでくれた。昔のように心が通じたみたいで嬉しくて、泣きすぎて赤くなった目で僕も笑った。今はもう、それだけで充分だった。