全く無駄のない動きで、オレの撃つライフルの攻撃をかわしていくその青い羽の機体をオレは睨みつけた。今まで見たことの無い、8枚の翼を持つその機体はどこかオレのインパルスと似ていて腹が立つ。がむしゃらに投げたエクスカリバーが、弧を描いて手元に戻ってきた。が、敵の機体には掠りもしない。
「畜生、」
こんな苦戦した戦いは初めてだ。といってもオレはまだこのゲームを始めて間もないのだが。友人に無理矢理誘われてここに来て、友人に言われるがままにエントリーをしてしまい自分の機体を貰った。機体はプレイヤーごとにランダムに当てられるらしく、パーソナルデータを入力すれば自動的にそのカードが出てくる。といってもその殆どが量産機と呼ばれるもので、あってもせいぜいパーソナルカラーぐらいだと聞いていたのに。出てきたカードはインパルスで、友人によれば最近作られたレアカードなのだと言っていた。レアカードなんて、滅多に出ないと聞いていたが。
(やっぱ決勝戦となると量産機はいないか)
今は地区大会の決勝戦で、オレは同じく量産機ではない青い羽の機体と戦っていた。
プレイヤー名はキラとなっており、ゲームに詳しい友人に尋ねたが聞いたことがない名前だと言っていた。だからオレと同じく今大会が初登場のヤツだと思っていたのだが。
(強すぎる…攻撃が一度も当たらない)
オレのインパルスは武器を換装できるのが特徴で、多方面の攻撃が出来るのに。そのどれを試したところで、その青い羽の機体には一度も掠ることすら出来ていない。そして相手の攻撃は常に武器や手足を狙っていて、その命中力の高さにオレは圧倒されていた。
「何やってんのシン!しっかりしなさい!」
ギャラリーから声が聞こえる。しっかりしている。むしろ、しっかりしていなければもうとっくに機体は粉々になっているだろう。オレは必死に攻撃を避けながら、次の作戦を考える。真正面から攻撃してもダメだし、多方面からでもダメだった。一体どうすればいいのだ。
「シン、チャンスよ!」
友人の声に、はっと顔を上げる。先刻まで凄いスピードで目の前を飛び交っていたその機体が、動きを止めたのだ。一体何故。攻撃の手も止んでいる。罠だろうか。それとも。
すると突然目の前にいたはずの機体が消える。とっさにエクスカリバーを構えると、ガン、と大きな音と衝撃が襲ってきた。そして。
「勝者、プレイヤー1!シンアスカ!」
ジャッジの声が響き、強制的にバーチャル空間から排除された。突然のことに目がちかちかとしたが、瞬きを繰り返しているとすぽりとヘルメットを奪われる。明るい室内に一瞬目の前が真っ白になり、それからだんだんと友人の赤い髪の毛が見えてきた。
「シンってば、寝ぼけてるの?」
試合中ずっとギャラリーで声を張り上げていた友人のルナマリアだ。オレがぼけっとしているので、かわりにシステムの電源を切ってくれた。
「なあ、どうなってんだよ」
あの攻撃でオレの機体は多分壊れていたはずだ。なのにオレが勝つなんて、これは何かの夢だろうか。するとルナは首をかしげて言う。
「それがね、最後の攻撃が当たった直後に、相手の人が棄権したの。だからシンの勝ちってわけ」
「…棄、権?」
なんで棄権なんて。オレは立ち上がり向かいのプレイヤー席を見る。機材の所為で相手の顔は見えないが、細身の体で、さらさらとした茶色い髪が見えた。男だろうか。あんな荒々しい戦いをするヤツだから、一体どんな大男かと思っていたのに。
「あら、あの人、」
「知ってるのか?」
ルナは相手の男を見て考え込む。
「…どこかで見たことがあるわ…。キラ、…どこだったかしら…」
するとキラという名の茶髪の男は、ギャラリー席からやってきた藍色の髪の男となにやら喋っているようだ。藍色の男の顔は見えるが、肝心のキラの顔が見えない。
「ねえ、ちょっとあの人!」
すると突然ルナマリアが叫ぶ。
「アスランザラじゃない!?ねえシンってば、あれ、アスランザラよ!」
「アスランザラ?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜ぶルナの隣で、オレは首を傾げる。名前は聞いたことがあるかもしれないけれど、思い出せない。
「知らないの!?2年前の世界大会で準優勝した…私達プレイヤーにとっては英雄みたいな人なのよ!」
「ふーん、準優勝、ね」
ということはキラはそのアスランザラという男の弟子か何かなのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えながら、キラの方を見る。藍色の髪の男が必死になにか怒っている様子だが、キラはそれほど動じていないようだ。棄権をした所為で怒られているのだろうか。すると。
(え…?)
突然キラが、こちらを見た。ばっちりと目が合ってしまい、オレはつい逸らすことが出来ずにその目を見つめ返してしまう。キラはオレたちのことに気づいているのかいないのか、ふ、と笑うとまた藍色の男の方を向き、何か言って、そのまま部屋から出て行ってしまった。そしてそれを藍色の男が慌てて追いかけている。
「あの2人、どういう関係なのかしら」
ルナが興味津々といった顔で言う。確かにそれは少し気になるが、オレが一番聞きたいのは棄権をした理由だけだ。
「私ちょっと後つけてくるわ!」
そう言ってルナマリアは走り出す。オレも慌てて後を追いかけようとしたが、次の大会についての手続きがあるらしくオレは事務室へ向かった。
各種の手続きを終えてロビーに出ると、そこにルナマリアの姿はない。まさかまだ彼等の後をつけているのだろうか。ひょっとしてそれは犯罪ではないのだろうか。と思ったが、オレにはどうすることもできない。事務員の人に、対戦したキラのことを尋ねてみたが、やはり今大会が初出場らしく何の情報も引き出せなかった。
「…なんか今日はどっと疲れた…」
今日は大会があったので通常営業はしていない。大会が終わり数時間たった今、ロビーには殆ど人がいなかった。オレは何か飲んでから帰ろうと思い、自販機でコーヒーを買ってイスに座る。ふと顔を上げると、窓の下のイスのところに誰かが座っていた。1枚のカードを手に持ち、じっとそれを眺めている、茶色い髪の男。それは。
「キラ、」
オレが呟くと、キラは顔を上げてこちらを見る。年齢はオレと同じくらいで、どこか愁いを帯びた紫色の瞳をしている。キラはオレに気づくと、首をかしげた。
「誰?」
やはり彼はオレを知らない。先刻目があったと思ったのも、気のせいだったのか。オレが何も言わずに立ち尽くしていると、キラは続ける。
「キミ…決勝戦の子?」
驚いた。
「…なんで、」
「なんとなく、雰囲気が似てるなって」
そう言ってキラは微笑む。優しい笑顔だ。こんなヤツが、あんな戦い方をするなんて。
「…あんた、アスランザラとどういう関係?」
オレがそう問うと、キラは一瞬驚いたような顔をしてから。
「幼馴染なんだ」
と言った。
その後続ける言葉が思いつかず、オレはただふうんとだけ言うと近くのソファーに座った。ごくりと一口コーヒーを飲む。つい勢いよく飲んでしまい、熱い液体が喉を通る。やけどしそうだったけど、顔には出さない。
オレは考えていた。なぜあの時キラは棄権をしたのだろう。もし会ったら絶対に聞き出してやると思っていたはずなのに、いざ本人を目の前にするとその言葉が出てこない。怖気づいたわけではない。多分、あの荒々しい動きとは正反対のこいつが、わからないだけ。
ふと顔を上げるとこちらを見ていたキラと目が合い、オレは顔を歪めた。
「…何だよ」
「ううん、なんでもない」
キラはそういって微笑むと、視線を持っていたカードに落とす。男の癖に嫌に綺麗なその顔に、やはりこいつがあのプレイヤーだなんて思えなかった。アスランザラの戦い方は知らないが、もしかしたら彼の戦い方の影響もあるかもしれない、と思う。それほどまでに彼とあの機体のギャップが激しい。
カタン、と足音が聞こえ、オレは顔を上げる。キラも同時に顔を上げた。静かなロビーに足音が響く。廊下の角から顔を出したのは、あのアスランザラだった。彼はキラの姿を見つけると、ほっと胸を撫で下ろしたように少し微笑む。
「キラ、ここにいたのか…探したぞ」
「うん、ごめんね」
キラは謝るが、その顔はとてもじゃないが謝っている顔ではない。しかしアスランはそんなことどうでもいいようで、つかつかとキラに近寄ると彼の手を引き歩きだした。年齢的には同じに見える彼等だが、見た限りでは子供とその保護者だ。大人しく後を歩くキラを、オレはぼんやりと眺めていた。すると彼は、角を曲がりきる直前で立ち止まり、こちらを振り向く。目があって、オレは一瞬どきりとした。
「またね」
キラはそう言うとひらひらと手を振り、唖然とするオレに構わず通路の奥に消えていった。結局棄権した理由は聞けなかったが、しかし、今はもうそんなことはどうでもよかったし、それに、どうせまた会えるだろうと、そう思っていた。
しかし、その後キラがこのショップに姿を現すことはなく、オレもその日以来、カードに触ることはなかった。
そして半月が経った。
絶え間なく鳴り響く玄関のベルに、オレは漸く目を覚まし起き上がると、渋々玄関に向かう。誰だろう、と思い着替えようかと思ったが、生憎この家を尋ねてくるのは一人しか心当たりがなかったので、まあいいかとTシャツとジャージのまま玄関の扉を開ける。玄関の前に立っていたのは予想通りの人物で、オレの姿を見ると大きく溜息を吐いた。
尋ねてきたのはルナマリアだった。彼女はオレが一人暮らしを始めてからよくこの家に遊びにきていた。遊びに来たというよりも、世話をしに来たに等しい。ルナマリアと、同じく友人であるレイは、オレのことを心配してよくこの家に来てくれる。今日もルナマリアの手には大きなスーパーの袋が握られており、それをどさりとリビングのテーブルに置いた。その拍子に積みあがっていた本がばさばさと床に落ちる。
「もう、ちょっとは自分で片付けてよね!」
「わかってるよ」
オレは渋々そう言い、落ちた本を拾いまたテーブルの上に積み上げる。ルナマリアが溜息を吐いた。
「シンってば…今は私達がいるからいいけど、少しは自分でやらないと後々困るわよ?」
「…わかってるよ」
ソファーに座りぼんやりと窓の外を眺めながら言う。ルナはまた溜息を吐くと、立ち上がり買ってきた食材を冷蔵庫に入れ始めた。
それからルナはキッチンに立ち遅めの昼食を作り始める。オレは料理が出来ないので、リビングを軽く片付けた。そしてそれを食べ終わると、ルナは帰る、はずなのだが。今日は違っていて、ルナは姿勢を正してオレの前に座る。説教かな、とオレは思った。
「ねえシン、あんたまたカード始めたら?」
「はあ?」
思いもよらない言葉に、オレは首を傾げた。てっきり学校に行け、か、仕事をしろと言われるものだと思い込んでいたからだ。しかしルナマリアの顔はいたって真面目である。
オレは静かに首を横に振った。ルナの顔が不満そうに歪む。
「どうして?あれほど飽きっぽかったシンが唯一熱中できたのなんてカードくらいじゃない。どうせ学校にも行かない、仕事もしないっていうんなら、せめて趣味くらい見つけなさいよ」
「でも、」
ルナの言いたいことはわかる。が、オレは出来ればもうカードには触れたくなかった。
あの日、最後にカードを触った大会の決勝戦の直後のことだった。キラと分かれてからすぐに病院から電話がかかってきた。入院していた妹の容態が急変したのだ。オレの両親も数年前に事故で亡くなっていて、他に親戚もいないオレのたった一人の家族が妹だったのだが、妹もその事故に巻き込まれ、それ以来ずっと入院生活を送っている。オレは妹が大好きだったし、毎日お見舞いに行っていた。カードを始めたのだって、ルナが誘ってきたのもあるが、それより前に妹がカードに興味を持って、オレに楽しそうに話してくれるからだ。その日オレがした試合の話を聞かせるととても喜んでくれて、決勝戦の後も、すぐに病院に行って話をしてあげようと思っていたのに。手術は長時間に渡ったが、オレはもう二度と妹の笑った顔を見ることが出来なかった。妹が大好きだったインパルスのカードは、妹の棺に入れて燃やしてしまった。だからもう、カードを始めることなんて出来ない。
オレは何も答えなった。ルナも何も言わない。沈黙に耐え切れず、オレはリモコンを拾いテレビの電源を入れた。
「あら、」
ルナマリアが顔を上げ、言う。オレもテレビを見た。アナウンサーが説明しているのは、カードについてだ。カードはいまや世界的な大ヒットとなり、たびたびニュースに登場している。オレはそれが嫌で、いつもチャンネルを変えるのだが。リモコンを手にしたところで、アナウンサーの口から意外な名前が飛び出してオレは思わず手を止める。
『全国大会優勝、世界大会優勝と次々と記録を塗り替える期待の新人、キラさんのインタビューを、』
オレとルナマリアは互いに顔を見合わせた。
「…あの人、あの時の、」
ルナマリアが呟く。オレは無言で頷いた。間もなくして画面に登場した男は、やはりあの時と同じ、キラだ。やわらかい笑みを浮かべ立つ姿と背後で流れる彼の戦闘の映像はやはりまるで違う。コメンテーターもまさか彼があんな美少年だとは思ってもいなかったようで皆絶句していた。オレは無意識にボリュームを上げる。アナウンサーが質問し、それにキラが答えていたが、オレはその内容を殆ど覚えていなかった。ずっと彼を見ていた。
『世界大会の次は、何を狙いますか?』
『そうですね…友人のアスランが全国大会を2連続で優勝しているので、その記録を塗り替えたいなと思ってます』
『キラさんはあのアスランザラと幼馴染だそうで…では、今一番戦ってみたいのは、彼ですか?』
当然だろうとオレは思った。ルナマリアに聞いた話だとアスランザラは今回の大会には出場していなかったらしいから、きっと彼と戦いたいに違いない。しかしキラは静かに首を振る。
『違うんですか?じゃあ、決勝戦で戦ったプラントの、』
しかしキラはまた首を振った。そして、真っ直ぐにカメラを見据えて言う。
『地区大会の決勝戦で戦った、彼とまた戦いたいです。残念ながら名前はわからないんですが、彼との戦闘が一番楽しかったので、』
オレは驚いて、言葉をなくした。同じく絶句したルナマリアがこちらを見ているけれど、オレはただ首を傾げることしか出来ない。
『地区大会といえば、両者とも棄権をしたあの戦闘ですね!』
『はい。どうして彼も棄権したのかわからないんですが…でも、出来るならまた彼と戦いたいです。僕が負けたのは、彼一人だけですから』
そう言ってキラはにこりと微笑む。画面越しだがオレは、それが自分に向けられた笑みのような気がしてならない。宣戦布告か、それとも。いつのまにかテレビはCMに入っており、オレは電源を消した。
「…どうするの?シン」
ルナマリアはオレに向かって尋ねる。どうするもこうするも、決まっている。
「どうもしないさ」
オレはソファーに寝転んだ。
「どうしようもないって…戦いなさいよ!」
オレは答えない。だってそれは、もう無理な話なんだから。カードは一人1枚と決まっている。量産機や武器は複数枚持つこともできるが、しかしそれではキラには勝てないだろうし、そもそも戦いになるかどうかもわからない。オレのカードはもうないから、いくらオレが彼とまた戦いたいと思っても、どうすることもできない。
「もう…シンのバカ!」
ばん、とテーブルを叩いて、ルナマリアはカバンを持つと部屋を出て行った。ガタン、と遠くで玄関の扉が閉じる音がする。怒らせてしまったようだ。もしかしたらもうこの部屋には来ないかもしれないな、と思い、オレは溜息を吐いた。
「…オレだって、出来るなら戦いたいよ」
キラと戦っていると、あまりに絶望的な力の差でも、それでも戦闘が楽しいと思えてくるから。そして、彼と戦っているときだけは何故か、妹のことも両親のことも何もかも忘れることが出来るのだ。もう一度テレビをつけたが、やっているのは天気予報で、オレはすぐにテレビを切った。
それから数週間後。やはりルナマリアはやってこなくて、同じく世話をしに来てくれているレイが首を傾げていた。
その日もオレはいつものようにTシャツとジャージというどうでもいい格好でテレビを見ていた。丁度コマーシャルに差し掛かったところで、いつものように玄関のベルが鳴る。どうせレイだろう、レイならば勝手に入ってくるのでオレは放っておいたのだが、しかし中に入ってくる気配はない。まさかルナが来たのだろうか、そう思いオレは立ち上がり玄関の扉を開く。そこにいたのは、キラだった。
「こんにちは」
キラはにこりと微笑み、唖然とするオレを見て首を傾げた。
オレはとりあえずキラを中に通すと、リビングの机を片付ける。といっても、積んである雑誌や本を部屋に運んだだけだが。
冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに入れてキラに出す。ありがとう、とキラは微笑んだ。半年前とまるで変わらない笑顔に、オレはどこかほっとする。キラはソファーに座り、オレはその向かい側の床に腰を下ろした。
「…なんでうちに、」
「ルナマリアって子が、教えてくれたんだ」
キラの口から出たルナの名に、オレは驚く。てっきりオレに愛想を尽かしてしまったのかと思っていたのだが、どうやら裏で暗躍していてくれたようだ。ルナは、オレが本当はキラと戦いたかったことに気付いていたのだろうか。もしかしたら、単にオレがやる気を出すようにと、キラをけしかけただけなのかもしれないが。
「ルナちゃんから聞いたよ。ニュース、見てくれたみたいだね」
「…見たけど、」
「もう1度、僕と戦ってくれないかな。今度はちゃんと最後まで」
「…」
オレは黙り込んだ。オレだって本当は戦いたい。ルナにはどうでもいいような風に話したけれど、本人を目の前にそんなこと、オレはいえない。暫くの沈黙の後、オレは静かに言った。
「…無理だ」
「どうして?」
「カードが、ないんだ」
オレの言葉に、キラは驚くわけでもなくただ静かに「そっか」と言った。ルナマリアには、カードがないことを言っていない。このことを知っているのはオレ一人と、そして今聞いたキラだけだ。
「だから、戦えない」
「じゃあ、量産機同士でもいいから、」
キラの言葉に、シンは首を振る。量産機同士ならばもしかしたら、キラと対等に戦えるかもしれない。しかしそれじゃあ、戦うことにはならないのだ。キラはがくりと肩を落とした。
「なんでそんなにオレと戦いたがるんだよ」
オレの問いに、キラは答えない。
「じゃあなんであの時、いきなり棄権なんかしたんだ」
「キミはどうして棄権したの?」
オレが棄権した理由は、妹が死んでしまったからだ。だがそんなことを彼に言うわけにはいかず、オレは黙った。
「同じだよ」
そう言ってキラは微笑む。オレと同じく、何らかの理由があって、それを話すことが出来ないと言うことなのだろうか。キラはちらりとリビングの壁に掛けてある時計に目をやった。そして、立ち上がる。
「もし僕と戦ってくれるなら、またあのショップに来てほしい」
「でもあんた、もうすぐプラントで大会があるだろ」
「きみと戦う方が大事だよ」
キラは言った。それが本当かどうかはオレにはわからない。オレが何も言わずにいると、キラは微笑み帰っていった。キラがプラントに渡るのはおそらく3日後、ギリギリまで粘ったとしても5日後だろう。オレは静かに溜息を吐いた。
5日目の朝、悩んだ末オレはあのショップに向かった。明日は朝からプラントで大会がある。当然キラもそれに参加するから、もしかしたらキラはもうプラントに向かっているかもしれない、と思った。し、オレもそれでいいと思っていた。ショップには向かうが、オレはまだ、戦うかどうかは決めていない。
ショップに辿り着き、店の前でオレは立ち止まった。ここまで来たは良いが、半年もカードに触れていないし、なによりカードに触れた瞬間、死んだ妹のことを思い出しそうな気がしたからだ。1歩足を踏み出すことが出来なくて、オレが諦めて帰ろうと踵を返した、そのとき。
「遅いぞ!なにやっていたんだ!早く中に入れ!」
突然店の中から出てきた藍色の髪の男に、腕を掴まれた。逃げようと思ったが彼の力は強く、ずるずると中に引きずられる。いったい誰だろう、と彼の顔を見た。どこかで見たことがあるような気がする。それも、この場所で。…そうだ、彼はあの決勝戦の時にキラと一緒にいた、アスランという男だ。
ロビーに辿り着くと、あの日と同じようにキラは窓際に座ってカードを眺めていた。窓から入り込む日差しの所為で、茶色い髪がきらきらと耀いていて、一瞬オレは動きを止めた。アスランも、窓辺に座るキラに気付いたらしい。
「キラ!」
アスランが名を呼ぶと、キラは顔を上げた。そして、オレの姿をみた途端ぱあっと顔を明るくし、オレたちの所までやってきた。とても嬉しそうににこにこ微笑んでいるキラに言うのは忍びないが、オレはぎゅっと拳を握り、キラに言う。
「来たけど戦うつもりはない」
するとキラは呆れたように微笑むだけで、怒ることはしなかった。かわりに怒り出したのはアスランだ。
「何を言っている!来たってことは戦うってことだろう!…もういい、キラ。彼はもう戦う気はないんだ。プラントに向かうぞ」
「言ったでしょ?僕、彼と戦うまでは大会には出ないって」
にこにこと微笑みながら言うキラに、アスランは大きな溜息を吐いて頭を抱えた。そして恨めしそうな視線でオレを見る。が、オレを見られたって困る。オレが視線を外すと、アスランは無理矢理またオレの腕を掴み、バーチャルルームへ引きずった。ホルダーから適当な量産機のカードを取り出すと、それをオレとキラに手渡す。
半年振りに触れるカードの感触に、オレの胸がどきりと鳴った。キラは反対側の席に着き、準備を始めている。オレも席に座ろうと足を一歩踏み出すが、途端ぐらりと目の前が揺れる。カードを持った手が動かない。それがだんだんと体から足にまで伝染し、そのうち全身が動かなくなってしまった。ずきずきと頭が痛む。
「どうした、大丈夫か!?」
おそらくオレは今、物凄い青い顔をしているのだろうと思った。席から立ち上がったキラがこちらにかけよってくるのが見える。オレはついに真っ直ぐに立つことすら出来なくなって、ぐらり、と床に倒れた。
「シン!」
意識を失う直前、誰かに名前を呼ばれた気がした。
目を覚ますと、一面の白い天井が見えた。どきりと心臓がなる。じわじわと額に汗が湧き出てきて、だんだんと息苦しくなってくる。オレの熱い額を、誰かの冷たい手が触れた。
「大丈夫?」
上から顔を覗き込んできたのは、紫色の瞳だった。キラだ。
「…なんで」
そしてオレは漸く室内を見回す。そこはなんてことのない、自分の部屋だ。真っ白に見えていた天井も、よく見ればいつもと同じ見慣れた白い天井だった。
「キミ、倒れたから…アスランは病院につれてけって言うんだけど、一応」
「そりゃありがたい」
もし病院になんて運ばれたら、きっとオレは意識を失うどころじゃ済まないだろう。病院は嫌いだ。白い天井も、白いベッドも白衣もなにもかもが嫌いだ。思い出すだけでも吐き気が込み上げ、オレはぎゅっと目を瞑りキラに背を向けた。暫くしてかちゃりと扉が開き、足音が近づく。
「キミは一人暮しなのか?」
アスランだった。家族に連絡でもしようかと思っていたのだろうか。しかし生憎、この家には電話がない。連絡出来る人もいない。携帯電話も、暫く前に解約したままだ。オレは黙って頷いた。はあ、と溜息が聞こえる。きっとアスランだろう。
「先程はすまない。どうしても早く戦闘を終わらせてキラを連れて行く必要があってな」
「いや、いきなり倒れたのはオレの方だし、…そうだ、大会は!?」
がばっと起き上がり、キラを見る。しかしキラはにこにこ笑っているだけだ。答えは期待できそうになく、オレは視線をアスランの方へと向けた。アスランはまた溜息を吐く。
「棄権した」
「棄権って、そんな…」
「いいんだ、別に。どうしても出たかったってわけじゃないし」
「キラ!」
キラの言葉に、アスランが声を荒げて咎めた。キラは静かにアスランを見つめて言う。
「本当のことでしょ、アスラン」
言われ、アスランはぐっと息を呑んだ。オレはわけがわからず首を傾げる。するとキラが、静かにオレの方を向き、言った。
「僕はね、本当はもう戦いたくないんだ。だから、やめる前に一度、キミと戦いたいなって思ったんだけど…キミはもう、カードをやめちゃったんだね」
「…はい」
「どうして?理由だけでも教えてくれないかな」
カードがないからだとは答えられなかった。あれを燃やしたことは後悔していないが、他にもっと方法はあったんじゃないかという考えが脳裏を過ぎる。カードを燃やしたことは後悔していない。けれど、現にオレは未だにカードから離れられない。これは後悔なのだろうか。
「戦うのが嫌になったの?」
黙りこくるオレにキラがまた尋ねる。オレは即座に首を振った。振ったけれど、本当のところはよくわからなかった。戦うことは好きじゃなかったけれど、半年もなおずるずると引きずっているオレはもしかしたら、戦うことが好きだったのだろうか。
「そっか」
オレの返事に満足したらしいキラが、にこりと微笑んだ。ほんの少しだけ、救われた気がした。