オレはコーディネーターだが、プラントには住まず、地球のオーブという国で暮している。2年前の戦争で家族を失い一人になったオレは、最初はプラントに上がり軍人になることも考えたが、オレ一人でプラントに行って暮せる自信もなく。それからずっと日雇いのバイトをしながら、路上生活をしていた。
その日オレはいつものようにバイトが終わり、寝床にしている公園に向かう途中だった。派手な光を放つ歓楽街を通り抜けようとしたときのことだ。後ろから突然殴られて、そのまま数人の男達にボコボコにされてしまった。男はおそらく、以前公園でホームレス狩りをしていたところでオレに退治された奴等だろう。彼等は散々オレを殴りつけると気が晴れたらしく、オレのポケットから今日のバイト代が入った袋を抜き取るとそのまま去っていった。
ぼんやりと空を見上げる。体の節々が痛い。男の癖に大人数で、しかも不意打ちなんて最悪だ。道端で倒れているオレを、道行く人は不審そうな顔をしながら避けて通る。起きるのが億劫でオレはこのままここで眠ってしまおうか、なんてことを考えていたら。がん、と足に何かがぶつかり、ソレはどさりとオレの隣に倒れた。
「おい、どこみて歩いてんだよ!」
オレが怒鳴りながら起き上がると、男は酔っ払っているのかソレが素なのかはわからないがにこにこと笑みを浮かべ、驚いた顔でオレの方を見ていた。本気でオレに気づいていなかったらしい。男はとても整った綺麗な顔をしていて、高級そうなスーツを身に纏っている。腕には高そうな時計がじゃらじゃらとついており、胸元から覗く財布はとても分厚い。こんな綺麗な顔をして、危ない仕事でもしているのだろうか。オレは関わらないでおこうと思い、この場を立ち去ろうと立ち上がる、が。男に引き止められてしりもちをついてしまった。
「な、なんだよ!離せ!」
男はオレの腕を掴んで離さない。そして、不思議そうな顔でオレの目を覗きこんできた。
「…泣いてるの?」
男は尋ねる。
「んなわけないだろ!」
「だって、目が赤い」
「これは元からだ!」
オレがそう言うと男はぱあっと嬉しそうな顔になり。
「きみって猫みたい。あ、目が赤いから兎か」
とよくわからないことを言い出した。綺麗な白い手が、オレの汚い頬に触れる。
「うっさいな、あっち行けよ。スーツ汚れるぞ」
というか、現にもう転んだ衝撃でズボンの辺りが汚れてしまっているし、綺麗な手には泥が付いている。スーツの汚れはもうクリーニングでは直らないだろう。一応オレの所為でもあるから申し訳ないと思うが、だがクリーニング代なんて払えない。だからさっさと逃げようと思うのだが、男はオレの腕を離してくれない。
「こんなの別に汚れても平気だよ。ねえねえ、キミ、ここに住んでるの?」
男はきょろきょろと辺りを見回しながら言う。この辺りの路地はオレと同じように路上生活をしている子供の溜まり場なのだ。
「…悪いかよ」
「どうして?兎だから?」
男はまた突拍子もない質問をしてきた。お坊ちゃまなのだろうか。暖かい裕福な家庭で育ってきたから、世間には家を持たずに路上で暮らす人間がいるということを知らないのだろうか。
「住むところも金もないんだよ!見りゃわかるだろ!あとオレは、兎じゃない!」
オレは怒鳴るが、男は全く怯む様子もなく。
「だって目が赤いじゃないか」
と言い出した。
「コーディネーターだからだよ」
「うん、僕もだよ」
「見りゃわかる」
こんな綺麗な顔をしているナチュラルなんて見たことがない。それに、彼はコーディネーターの中でも特に綺麗な部類に入る顔だろう。彼の両親は容姿を重点的にコーディネートしたのだろうか。きっとそうに違いない。だからこんなアホみたいな男になってしまったのだろう。
「そうかな?すごいなー、目が赤いよ。可愛いなー」
道行く人が、ちらちらとこちらの様子を窺っている。全身ずたぼろなオレと、高級スーツを身に纏うこの男。もしかしたら、オレがこいつにカツアゲでもしているかのように見られているのかもしれない。
「…いいから早くどっか行けって」
オレは男を押しのけるが、男は離れない。
「僕、赤色好きだよ」
「そうかい」
「そうだ!」
急に男は叫び、立ち上がった。そしてオレの腕を掴んで引き上げる。その細い腕では持ち上がらないだろうと思ったが、意外にも腕力があり、オレの体は難なく持ち上がった。
「痛っ、何すんだよ!」
ずきり、と全身の傷が痛む。
「キミ、怪我してるの?」
「見りゃわかるだろ!」
「ふうん」
だが男はそれを気にする様子もなく、オレの手を引き歩き出した。
「おい、あんた」
「いいからいいから」
そういうと男は強引にオレを引きずっていく。
暫く歩いたところで、歓楽街のすぐ傍にそびえ立つ高級そうなマンションに到着した。男はオレの手を引いたままエレベータに乗り込み、最上階のボタンを押す。オレがまだ家族と一緒に暮していた頃、奮発して少し豪華なホテルに泊まったことがあるが、このマンションはそれ以上に華やかで高そうだ。オレがこんなところに来てもいいのだろうか。男は何もいわない。エレベータが到着し、廊下をどんどんと進む。一番奥の部屋の前に着くと、男はカードキーを差し込み部屋の扉を開いた。
「なあおい、あんた」
「いいからいいから」
男はそう言い、オレを室内に押し込んだ。
「ただいまー」
「お帰りなさい、遅かったわね」
男が叫ぶと、奥から女の人の声が聞こえる。家族だろうか。男はそのままオレの手を引き、リビングに辿り着く。中にいたのは20代の男と女。彼等はオレの姿を見ると、首を傾げる。
「坊主、それはなんだ」
「そこで拾いました」
男はにこりと笑ってそう言った。
「あらあら」
「っておい!何なんだよ一体!」
ここぞとオレが間に入ると、男はまあまあ、と言いオレをなだめる。
「いいからいいから。キミ、怪我してるんだっけ?ま、いいや。先にシャワーあびてきてよ」
「え!?」
何を言い出すのだ。オレは驚きのあまり言葉をなくし口をぱくぱくとさせる。男は「いいからいいから」といい、オレをシャワー室に押し込んだ。
「大丈夫?一人で入れる?僕も入ろうか?」
「いい!」
さっさと服を脱ぎ、シャワー室の扉を閉じる。コックをひねると、温かいお湯が飛び出した。
「キラ君、ご飯用意しましょうか?」
女の人の声がする。男の名前はキラというのか。彼にピッタリな名前だと思ったが、多分オレがその名を呼ぶことはないだろう。
「あれ、Tシャツなかった?」
シャワー室から出てきたオレを見て、キラが言う。オレはジャージに上半身裸という格好で、肩からタオルを提げていた。
「小さい」
「おかしいな、キミ、僕より小さそうなのに…。ムウさん、Tシャツ貸してくれません?」
「おう、勝手に使え」
キラはムウと呼ばれた男に承諾を得ると、窓際にかかっていたTシャツを下ろしてオレに手渡した。微妙に大きいような気がしたが、キラは「まあ、小さいよりはいいよね」と微笑んだ。
ソファーに座らされ、隣ではムウという男がオレの傷の手当てをしている。
「ごめんね、僕、不器用だから」
そう言ってキラが笑った。
「それにしても酷い怪我だな。ケンカか?」
「そんなようなもんです」
はあ、と溜息を吐くと、向かい側に座っていた女の人がことんと湯のみをテーブルに置いた。
「で、キラ君。この子は?」
「兎さん」
にこりと微笑みキラは言う。
「違う!」
「動くな!」
「あ、すんません」
突拍子もないキラの台詞に、オレは思わず突っ込みを入れてしまった。キラはにこにこと微笑み、女の人は苦笑を浮かべている。
「ええとキミ、名前は?」
「シンアスカ」
「瞳が赤くて兎みたいじゃないですか?」
まるで自慢するかのようにキラは言う。
「だから拾ってきたのか?」
ムウという男に尋ねられて、キラはこくりと頷いた。女の人が深い溜息を吐く。
「シン君、ご家族は?おうちの方は大丈夫?」
「大丈夫です」
「このこ、おうちがないみたいなんです」
キラが言う。すると女の人はぱっと明るい顔になり。
「そういうことなら安心ね。そうね、部屋はどうしましょうかしら」
と言い出した。オレが戸惑いのあまり何も言えないでいるうちに、話はどんどんと進んでいく。
「坊主の所為でもう部屋なんてないぞ」
「そうなのよ。困ったわね」
「僕の部屋を使うといいよ!」
そう言い、突然キラは立ち上がった。
「キラ君の部屋を?でも、」
「さ!部屋に行くよ!」
2人の制止を全く気にせず、キラは怪我の手当てが終わったばかりのオレを無理矢理立ち上がらせる。
「え!?」
いいからいいから、と言い、キラはオレの手を引き歩き出した。
「なんなんだよ一体!」
キラの部屋は広い。が、端に大きなベッドがあり、あとはクローゼットと窓とパソコンしかない淋しい部屋だった。オレはベッドに座って叫ぶ。
「なにが?」
「何が、じゃなくて…」
キラはパソコンのイスにすわり、くるくると回りながら首をかしげた。そして、さも当然だというかのように
「キミ、住むところがないんでしょ?じゃあうちに住めばいいよ」
「…え?」
「僕と一緒に寝ることになるけど…多分道端で寝るようりは寝心地は良いと思うし、」
だから一緒に住もうよ、とキラは言う。確かに、この部屋ならば道端の数十倍、数百倍は寝心地が良いだろう。それに、一緒に寝るといってもこのベッドはとても大きい。2人くらい一緒に寝ても、まだまだ余裕がありそうだ。だが。
「…なんで」
「え?」
「なんであんたは、赤の他人のオレと一緒に暮そうなんて思うんだよ」
「……」
キラは答えない。いつもふんわりと微笑んでいるキラの顔つきが変わった。
「なあ、」
「キミの家族は、戦争で亡くなったの?」
「…そうだけど」
「…だからだよ」
そう言うとキラはパソコンの電源を入れ、体をそちらに向けてしまった。これ以上オレとこの話をするつもりはないらしい。たくさんの書類を、物凄い速度で打ち込んでいる。どういう意味なのだろうか。キラもあの戦争で家族を亡くして、淋しいからという意味なのだろうか。
「あんた、淋しいの?」
ベッドに寝転がり、尋ねる。応えが返って来ずキラの方へ顔を向けると、淋しそうな瞳をしたキラと目が合った。一番最初に会ったときの、あのアホ面とは全く違う瞳。やはり彼も、あの戦争で何か大切なものを失ったのだろう。家族だろうか、それとも恋人。
「淋しいよ。きみは淋しくないの?」
キラの瞳が今にも泣き出しそうに潤む。
「オレは、さみしくなんてない」
キラが少しだけ驚いた顔をした。淋しくなんてない。ただほんの少しだけ、泣きたくなる時があるだけ。