室内に来訪者を告げるベルが鳴った。時計を見るともう夜遅く、こんな時間に誰だろう、そう思いながら扉を開くと。
「…キラ、さん」
キラの顔をまともに見たのは久々な気がする。先日の一件以来オレはこのアークエンジェルで暮しているが、キラはいつも仕事に追われていて、軍服じゃないキラを見るのはもう1週間ぶりくらいだろうか。キラはいつものオーブの軍服ではなく、Tシャツにズボンというラフな格好をしている。
「シン…一緒に寝てもいい?」
驚きも喜びもしないオレの顔を、窺うようにキラが尋ねる。こうやってキラからオレのところにやってくるのは初めてだ。キラはいつも忙しそうに艦内を走り回っていて、手を余したオレが構って欲しくて遊びに行ってもいつもキラは忙しいからといってオレを追い返すのだ。キラが名前を呼ぶのはいつもいつも金髪の男の名で、オレがヒマでヒマで死にそうになっているときもいつもキラはあの男とにこにこと笑っている。忙しいのはわかっているし、つい先日まで敵軍だったオレに感ける時間がないのもわかっている。
「…ムウって人んとこ行けばいいじゃないですか」
「シン、」
キラは哀しそうに呟いた。だってキラはオレが遊びに行ってもいつもいつもオレを邪魔者みたいに追い払うのに。だからオレはいつもひとりで、これからも多分ずっとひとりなのだろう。アークエンジェルに来れば良い、そういったのはキラなのに。
「昼間は構ってあげられなくて、ごめん」
キラが言う。
「忙しい…っていうのは理由にならないけど、でも、ごめん」
そう言って、キラは謝る。どうしてキラが謝るのだろう。悪いのは、何も出来ない、ただ拗ねることしか出来ないいつまでも子供なオレの方なのに。キラはTシャツの裾をぎゅっと握っていた。ごめんなさい、と、言うのはオレの方なのに。
「いいです…オレだってもう、子供じゃないし」
だからオレはキラが仕事で忙しくて構ってくれなくても文句は言わない。ここに来るよう誘ってくれたのはキラだけど、ここに居続けると決めたのはオレだから。俯いたオレの顔を、キラが覗き込む。
「でも、シンが淋しいんじゃないかと思って」
「別に淋しくなんてない。オレはひとりでも平気だ」
2年前のあの日から、オレはずっとずっとひとりだ。だからもう、今更一人になったところで淋しくなんてない、のに。
「シン、」
キラがオレの名前を呼ぶ。淋しそうな声で呼ぶ。どうしてキラさんが淋しがるのだろう。キラさんの傍にはいつも必ず誰かがいて、楽しそうに笑っているのに。ひとりでもいいと言って淋しがるオレと、たくさんの人の中で淋しがるキラさんはどちらがわがままなのだろう。
「あんた、疲れてるなら部屋もどれよ。オレは、淋しくなんて、ない」
そう言ってオレは一歩下がる。キラは縋るようにオレの右袖を掴んだ。それを振りほどかなければならないのに、オレの右手はまるで違う人の手みたいに思うように動かない。この手を放したくない。キラは最近殆ど寝る間も惜しんで仕事をしていたから、折角の睡眠時間をオレなんかのために割いちゃいけないんだ。オレはずるくてわがままて最低の人間だ。キラさんが忙しくてかまってくれないからって、拗ねた態度を見せてしまったから。だから優しいキラさんが、疲れているのにわざわざオレなんかのところへやって来てしまったのだ。
「おい、」
「…やだ」
だがキラは、掴んだその手を放さない。だめだ、早く離さないと。じゃないとオレが、キラさんを引き止めてしまいそうで。
オレは無理矢理キラさんの手を離す。おやすみなさい、そう言って扉を閉じようとしたら。
「僕が淋しいんだ」
キラさんは泣きそうな顔で言った。どうしてキラさんが泣くの?わからない。キラさんは続ける。
「僕が淋しいんだ。ずっとシンに会えなかったから、だから、一緒にいさせて、」
すとん、とキラが床に座り込んだ。オレは驚いて言葉が出ない。キラは不安そうにオレの顔を見上げている。オレは最低だ。オレが拗ねてわがままを言ってしまったから、こんなにもキラを不安にさせてしまっている。どうしてオレは大人になれないんだろう。どうしてオレは、もっと賢くなれないんだろう。オレは16歳で、キラさんは18歳だ。オレが18歳になったときはキラさんは20歳で、オレが20歳になったらキラさんは22歳になってしまう。いつまでもオレは子供で、そしてキラさんを不安にさせ続けるのだろう。
「早く入れよ」
「…シン?」
床に座りこんでいるキラの腕を掴む。キラの頬はほんのりと赤いのに、腕はひやりと冷たい。
「あんた、そんな格好でうろつくから体冷えてんじゃん」
両腕で支えて、キラを立ち上がらせた。キラは少し驚いて、でも未だ不安そうな顔でこちらを見ている。オレはいつまでも子供で、きっとキラより大人になれることは無いんだろう。だから今、オレが子供で、オレが悪いと思ったことは、今ちゃんと改善していけばいい。オレはキラが淋しがったり不安がったりしているところなんて、多分言ってもらわないときっと気づけないのだろう。だから今、キラが淋しいと言った今、オレが出来る精一杯の力でキラを安心させればいいんだ。
「どうした?」
立ち上がったキラだが、腕を引いても歩き出そうとしない。キラに尋ねると、キラは小さな声で
「名前を呼んで、」
と言った。が、
「ごめん、今の嘘。気にしないで」
にこりと微笑みキラは言う。オレはいつから名前を呼んでいなかった?ああ、オレはもうどうしようもないくらいのバカだ。でも、そんなバカなオレでもわかる。にこりと微笑むキラの瞳が、淋しそうに揺らいだことが。
「キラ」
オレが名前を呼ぶと、部屋に入りかけていたキラが立ち止まった。今更呼んでも遅いことはわかっている。だからこれは、名前を呼ばなかったから呼んだんじゃなくて、オレが今、ただキラの名を呼びたいと思ったから、だから呼んだのだ。
「なんかオレも寒くなってきたなあ。久々に温泉でも入ろうかな」
「一緒に?」
くすりと笑ってキラは言う。今なら温泉にはきっと誰も入っていない。
「当たり前ですよ。じゃないとキラさん、淋しがるでしょ」
「えー?」
仕方ないなあ、と言ってキラは笑う。オレはまだ子供で、いつもいつもキラさんを淋しがらせるし、こんな稚拙なことでしかキラを笑わせることが出来ないけれど、今はまだ、このままでもいいと思った。